第68話

 シャルロットの前に立ち鍋蓋でナイフを受け止めたフェリクスは、それを引っこ抜いてまじまじと観察する。

「ご丁寧に毒まで塗ってあんのかよ…………そこまでして殺したいとか、お前マジ暗殺者に歪んだ愛情でもぶつけられてんじゃねぇの?」

「ちょっと、ふざけてないで―――」

 戦場での油断をシャルロットが咎めるより早く、次なるナイフと魔術が飛来する。二方向から襲い掛かる死。シャルロットたちが防ぐので精一杯だったそれは、当然ながらフェリクスの脅威足り得なかった。

「甘いわボケ」

 ナイフと漆黒の矢を魔術を纏った拳で弾き飛ばし、そして攻撃の軌道から敵の位置を逆算したフェリクスは、そこへ向けて無数の氷柱を射出する。

 一瞬の後、静寂を引き裂く絶叫が二つ響き、それと同時に二人の男が落下してきた。骨が砕ける音が狭い路地裏に反響し、シャルロットとアメリアが嫌な顔をする。

「ま、死んではねえだろ」

 英雄の卵二人で防戦一方だった状況を僅か一秒で打開した男は、だるそうに頭を掻きむしりながらシャルロットたちの方を振り返った。

「よぉ」

「遅いわよ」

「いやあ、酒飲みにダル絡みされててな。間に合ったから良いだろ。ほら、立てるか?」

 スッと手を差し出すフェリクス。シャルロットは一瞬それに掴まろうとし、しかしそうはせずに自力で起き上がる。

「え?なんで?」

「油っぽいのよ。手のひらがテカテカしてて、絶対に触りたくないわ」

「飲食店なんだから仕方ねぇだろ!?油使うんだよ!お前そんなこと言ったらエリナだってヌルヌルしてるからな!」

「エリナは別よ!あんただと汚いって言ってるの!」

「ハァ!?いや、まあ確かにエリナがヌルヌルしてんのは、むしろこっちから金払ってでもお願いしたいよな。うん」

 反論しようとした後、変態な方向で勝手に納得するフェリクス。健全なシャルロットは「なんでヌルヌルだとお金払うのよ?」と首をかしげる。その横ではアメリアが耳元まで顔を真っ赤にしていた。

「あ、あの。取り敢えずこの場を離れるべきだと思うのですが」

「おお、そうだな。こいつらは―――《ほい》。ま、これでいいだろ」

 《束縛網(ディバインド)》。ルークの得意技でもあるそれが、暗殺者二人を雁字搦めにする。

「第六階梯魔術をほいって、何よそれ。何だか頑張ってるのが馬鹿らしくなってくるわ」

「アホ。頑張ったからほいで済むようになったんだよ。んじゃ、さっさとここを離れるか。ん?」

 ようやくアメリアの顔が赤いことに気付いたフェリクスが血相を変えた。

「毒か!?ナイフが掠ったのか!?」

「い、いえ。そういう訳では……ひゃっ」

 肩を掴まれ、間近で全身を見回されるアメリアの一切の思考が停止する。

「怪我はない。魔術の干渉もないもんな。熱か?」

「あ、あの!本当に何でもないですから!離れてください!」

 体格相応の弱い力がフェリクスを押し返す。それでもフェリクスは心配そうにアメリアの顔を覗き込む。

「一応回復魔術と対毒の魔術掛けとくけど、何かあったらすぐ言えよ……って、あ、やべ」

 今更ながらアメリアへの敬語を忘れていたことに気付いたフェリクスが、アメリア以上に顔色を悪くした。

「気にしていませんよ。フェリクスさんは命の恩人ですし、敬語でなくても構いません」

 シャルロットの手前、心優しい笑みでそう答えるアメリア。勿論その裏では絶えず思考が巡らされているはずである。フェリクスは曖昧に笑った。

「じ、じゃあ戻るか」


⚪️


 一度飲食店に戻り、二人を送っていくと店主に伝えてからもう一度店を出るフェリクス。鍋蓋をダメにしたことをこっぴどく叱られたからか、その足取りは非常に重い。

「はぁ。俺、なんも悪いことしてなくね?」

「確かにしてないわよね。次あのお店に行った時は、私からも一言謝っておくわ」

「やめとけやめとけ。貴族に頭下げられるとか、心臓縮まる思いだからよ」

「でもあんたは私と普通に喋ってるじゃない」

「そりゃあ、お前だからな」

「え?」

 驚き、何かを期待するようにフェリクスを見上げるシャルロット。店から出たばかりで周囲は薄暗い路地裏なのだが、少女の周辺だけが心なしか輝いて見える。

「ほら、ガキ相手に敬語とかないだろ?」

「そうね!無いわよね!!期待した私が馬鹿だったわ!!」

「期待?は?なんの話だよ」

「うっさいわね!!」

 叫びながらフェリクスの足を踏みつけようとし、容易く避けられる。そこからは普段と同じ流れであった。ぎゃあぎゃあ騒ぎながらの攻防戦。シャルロットの魔術をフェリクスが煽りつつ防いでいく。

 唯一普段と違う点があるとすれば、それはアメリアが二人を白い目で見ていることだろう。

「あの、お二人は普段からこんなことを?」

「やりたくてやってる訳じゃないからな!?こいつが魔術ばっか撃ってくる―――ッぶね!!」

「あんたが余計なこと言うからでしょ!《死ね!!》」

「―――し、死ね?」

「危ねぇ!?お前、また魔術の腕上がってるし!」

 そんなやり取りが、表通りに着く直前まで続いた。シャルロットは貴族令嬢、流石に一般人の前で醜態を晒すことはしない。

 ―――学院で同じことをやっている時点で、既に手遅れではあるが。


 それからまた移動を続け、三人は貴族街を進んでいた。

「あ」

 シャルロットが前方から向かってくる人影に気付く。その者らは、執事姿の老人と数人の騎士たちであった。

「お嬢様!ご無事でしたか!」

「じいや………ようやく私たちが襲われてたことに気付いたの?随分と遅かったわね」

 暗い表情で答えるシャルロット。彼女の前で跪いた老人は、グラディウス家の執事長である。少ない情報からシャルロットが襲われていることを察知し、路地裏に向かおうとした『グラディウス家』の忠臣だ。

「遅れてしまい、誠に申し訳ありませんでした。お怪我は無いでしょうか?」

「無いわよ。アメリアさんと一緒だったし、またこの男に助けて貰ったもの」

「おお、それはそれは。私は、グラディウス公爵家で執事長をしているサイモンという者でございます。この度はお嬢様の危機を救っていただき、本当にありがとうございました」

「あぁ、そうだな」

 シャルロットの歪みの原因、その一端を前に顔をしかめるフェリクス。

「ささ、お嬢様、早く戻りましょう」

「そう、ね」

 暗い表情でフェリクスの隣を離れ、執事長の方へ向かっていくシャルロット。後ろ髪を引かれるように何度もフェリクスを振り返るが、フェリクスは止めようとはしなかった。貴族に通用するだけの力を持っていないからだ。

「また明日、早朝になれば会えるだろ」

「そうね。じゃあ、また明日」

 さっきまでの騒ぎようから一転、力無く去っていく小さな背中。フェリクスはそれが見えなくなるまで手を振り続け、そして小さくため息をつく。

「―――はぁ」

 もうこの場にシャルロットはいない。であればフェリクスとアメリアの関係は、依頼によって結び付いたものそれに戻る。アメリアに目を向けたフェリクスの表情は、氷のように無機質になっていた。

「で、今回のも侯爵の手のひらというわけですよね?この後俺は何をすれば良いのですか」

「―――お父様がフェリクスさんを屋敷に招待しています。ついてきてください」

 二人もまた、移動を開始した。

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