第67話 お鍋の蓋
暗殺者から逃げるように先を急ぐ二人の表情は暗い。光属性魔術による目眩ましとその後姿を隠すところまでは良かったが、そこからが最悪だったのだ。
土地勘の無い狭く入り組んだ路地裏では、少しでも速度を出そうとすると途端にぶつかりそうになってしまう。故に、風属性魔術で超加速するわけにもいかず、二人はほとんど生身の人間と変わらぬ速度で走らなければならなかった。
一時は完全に暗殺者たちを撒けていたのだが、今はしっかり捕捉されてしまっている。次第に近付いてくる足音、もう幾許もなく追い付かれるだろう。
「どうしますかっ」
「盛大に魔術をブッ放すしかないわ!」
「そんなことして何になるんですか!」
強力な魔術はその発動前後で大きな隙を生む。今は無計画に放てるものではないのだが―――
「《此れを以て我が意を示せ》」
シャルロットは迷いなく魔力回路を組み上げ始めた。呪術的な紋様こそないが、複雑で大きなそれは第四階梯の中でもより難度が高いもの。三年生であるアメリアですらまだ発動させられない。
「すごい……」
追われている状況下、走り続けたことで息も絶え絶え。しかしシャルロットが優秀であるが故に、組み上がった魔力回路は細部まで整っていた。
「耳塞いで!」
「もう塞いでいます!」
魔方陣の構造からそれが何の魔術かを判断したアメリアは、既に両耳を塞いでいた。
「じゃあいくわよ!これでもくら―――」
―――え。最後の一文字が圧倒的爆音により掻き消えた。周囲の水溜まりが震えるほどの音量。声だけでなくありとあらゆる音を飲み込んで、爆音が狭い路地を中心に響き渡った。
「………う、ぅ」
両耳を塞いでいたはずのアメリアがふらつく。魔術の制御に片手を取られていたシャルロットにいたっては、目を回して転びそうになっている始末。
「は、はやく、にげるわよっ」
それでも、強靭な精神力で倒れることだけは耐え、前に駆け出した。後に続くアメリアが眉を潜める。
「今の魔術に何の意味があったんですか?」
「これだけの、音なら、あの馬鹿のところ、にも響く、わよ。うぅ、耳が痛いっ」
「そういうことですか………って、でもその前に追い付かれたら無駄じゃありませんか!?」
「平気、よ。五人くらいいたのが、二人に減ってる、わ」
「え?」
そう。爆音によってフェリクスに異常事態を知らせると同時に、敵の数を減らす。それこそがシャルロットの狙いだったのだ。
一度に四~五人を相手取ることは、いくら優秀だとはいえ学生の枠を出ない二人には不可能。しかしその半分であれば?異変に気付きさえすれば、フェリクスは即座に来てくれるだろう。その数十秒を生き延びるくらいであれば、不可能ではないかもしれない。
「あいつが来るまで、耐えるわよ!!」
すぐ後ろまで聞こえてきた足音に対抗するようにシャルロットが振り返る。その視界の真ん中、暗闇にて何かが迸った。
(ナイフと魔術!)
どちらも狙っているのはアメリア。ナイフは頭を、魔術は心臓を。確実に殺しに来ている。
「《ごめんっ!》」
強力な魔術でそれらを跳ね返す時間的猶予はない。ではあれば取れる策は一つ。シャルロットは簡単な水属性魔術を適当に唱えて、アメリアの足元をぬかるみに変えた。
「きゃぁ!!」
足を取られてしりもちをつくアメリア。その頭上を魔術とナイフ通り過ぎていく。
「早く立ちなさい!あいつが来るまで私たちで持ちこたえるわよ!!」
既に戦闘態勢に入っているシャルロットが叫ぶと、一拍遅れてアメリアも意識を切り替えた。
「分かりました。お互いに背中を守りましょう」
二人は背中を合わせ、即興のツーマンセルを組んだ。
⚪️
静寂を引き裂くように魔術の発動音が鳴り響く。限界まで細く引き絞った闇色の矢。周囲の闇に溶け込んだそれは、アメリアの頭を貫通する軌道で打ち出されていた。
「《光の精霊よ・踊れ》」
「《灼熱の槍よ》!!」
アメリアの光が周囲の闇を明るく照らし、はっきりした視界の中で見えた漆黒の矢を、シャルロットが《炎槍》で撃ち落とす。即興のツーマンセルとは思えぬ役割分担。互いの息もぴったり合っている。
「まだ来ます!」
今度はナイフと魔術。しかも二人同時に攻撃してきたのか、どちらも二つずつ飛来してくる。これで絶体絶命―――にはならない。
シャルロットとアメリアは共に天才が集う学院の成績上位者なのだ。この程度の攻撃であれば、風属性魔術でまとめて吹き飛ばせる。
二人は同時に魔術を発動させた。強風にあおられたナイフと漆黒の矢が、同時に見当違いの方向へと逸れていく。
「いけるわ!」
「はい!あと少し耐えれば―――」
喜びながらも二人に油断はない。この場は殺し合い。魔術師として最大限の警戒を相手に向け続けている。しかしそれは相手も同じ。そして、互いが相手を注視しているのであれば、あとは経験の差がものを言う。
「もう一度来るわ!!」
三度迫る殺意の矢。慣れてきた二人は、落ち着いてそれに対処し―――
「えっ」
突然、何の前触れもなくシャルロットが転ぶ。見ればその足元はぬかるみと化していた。敵の魔術だ。今回の矢は囮で、本当の狙いはこっちだったのだ。
命運尽きたり。隙だらけの胸元にナイフが吸い込まれていき―――
「お前、暗殺者に襲われてばっかりだな」
そのナイフは、横から滑り込んできた鍋の蓋に受け止められた。
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