第62話 不幸の後に天使様

 侯爵家でのお茶会を終え、その後数日。政界をかき乱しかねない衝撃とは遠いところで、フェリクスは魔術学院とバイト先を中心とした日常に戻っていた。

 ただしそれは完璧な日常ではない。これまではなんとか無関係を装えたが、フェリクスはとうとう派閥争いに片足を突っ込んでしまったのだ。どこかで貴族の恨みを買ってしまえば、平民など直ちに叩き潰される。また、利用もされる。

 ゴートを代表に少なくない人数の穏健派から恨みを買ったフェリクスが数日を平穏のなかで過ごせたのは、単に彼がシャルロットのお気に入りであるから。小さな貴族たちは公爵家に目を付けられるのが怖いのだ。

 それでも安心は出来ない。憎悪は時として理性を凌駕する。それがフェリクスに向かわないとは限らないのだ―――――


 力無く佇むフェリクスの視界に映る炎。鮮烈な赤が貧相な木造建築物を飲み込み、急速に火勢を増していく。

「俺の家、なんだけどなぁ」

 フェリクスの家が燃えていた。

 別に愛着はない。自らの賃金で生活が安定する水準の物件を探しただけで、合理的な決断の中に特別な思いなど無かった。だが、生活拠点であったのは事実。

「はぁ―――」

 学院での生活態度を筆頭に多方の恨みを買っているフェリクスだが、ここまでされる覚えは一つしかない。先のお茶会だ。穏健派の上位の鼻っ柱を折った、その仕返しがこれなのだろう。犯人はゴートかそれに与する者。

「舐めやがって」

 普段おちゃらけてばかりなフェリクスでも苛立ちが募る。しかしそれをぶつけることはできない。相手は貴族なのだ。殴り込みにいけば死刑になるし、そもそも仮にこれをやったという証拠がフェリクスの手元に揃っていたとしても、ゴートを裁くことは不可能だろう。逆に裏から証拠を握り潰され、証拠を捏造して貴族を陥れようとした罪で間違いなく死刑になる。

 ぶつけようのない苛立ちを抑え込むように、フェリクスは深く深呼吸をした。

「おい見ろよあれ―――」

「うわっ、まじで燃えてやがる」

「避難しないと」

「ふざけんなよ、俺の家まで引火するじゃねぇか!」

 この場に集まった貧相な身形の野次馬たちが騒ぐ。

 低賃金のフェリクスが住める場所は、貧しいもの達が小さな土地に集まる区画に限られる。

 密集地帯。当然そこで火事が起これば、瞬く間に炎は広がっていき―――突然、火勢が衰え始めた。直前まで猛威を振るっていた炎が一瞬にして消えていく。

「あ?なにが起こったんで?今の見てたかよ?」

「いやぁ、俺に言われたって―――」

「マジュツじゃねぇか?マジュツならキセキを起こせるって聞いたことがあるぞ」

 騒ぎ立てる者たちの注目から外れたところで、フェリクスは魔力回路の残滓を強く握り潰した。


⚪️


「すみません、遅れました」

 フェリクスがバイト先の飲食店に姿を現す。

「おいテメェ!二時間も遅れて、どこほっつき歩いてたんだ!」

 厨房から店主の怒声が飛ぶ。近くで鳥が飛び立ち、料理の配膳をしていたエリナがビクリと肩を震わせ、常連の酒飲み共はいいぞいいぞと囃し立てる。

「夕方から夜にかけての時間がクソ忙しいことくらい馬鹿なお前でも分かるだろうが!大人ならせめて時間くらいは責任を持て!」

「はぁ、すみません」

 情けなく頭を下げて謝るフェリクス。顔を真っ赤にした酒飲みたちがゲラゲラと下品に笑い声をあげるが、その中の一人が異変に気付いた。

「おい、兄ちゃんまじで元気ねーじゃんかよ。別にバイト辞めさせられるってわけでもねーんだし、切り替えろって」

「ああ、そうだな」

「お、おぉ?」

 彼らに負けず劣らず馬鹿で楽観的で騒ぐのが好きなフェリクスが、枯れ果てた稲のように落ち込んでいる。

 これはおかしいと思ったのか、店主がフェリクスの様子を見に厨房から出て来た。

「お前、どうした?なにがあったのか?」

「家、無くなりました」

「そうか。家がな。 は?家?」

「はい。学院から戻ったら家が燃えてて。魔術で火は消したんですけど、全焼です」

 この世の終わりを絶望的な表情で体現しながら力無く笑うフェリクス。あまりの不幸に、店主も酒飲みたちも言葉を失った。

 ―――つんつん。

「ぁ?」

 肩をつんつんされたフェリクスが振り返る。そこにいたエプロン姿のエリナは、心配そうな顔でフェリクスを見上げていた。

「···だ·······ぃ······ぶ··?」

「あぁー、多分大丈夫だろ。心配してくれてありがとな」

 こくこく。頷きながら、エリナはフェリクスの頭に手を伸ばす。が、届かないのかぷるぷると背伸びをした。そしてぽんぽんと優しく頭を撫でる。

「て、天使かっ」

 シリウスの策略に巻き込まれてから不幸続きのフェリクスは、エリナの優しさに胸を打たれ、感極まったように涙を浮かべる。

「おうおう兄ちゃん!今日は俺らが奢ってやっから、んなシケタ面してんじゃねーよ!」

「そうだぜ、メシがまずくなっちまうだろうがっ!」

「お、お前ら」

「賭けでもしようぜ!な?」

「あ、あぁ!そう、だなっ」

 肝心の店主をよそに、フェリクスがバイトを一日休んでいい、みたいな空気が出来上がっていく。皆に慰められたことで多少気を良くしたのか、フェリクス自身もそれに乗り気だ。「トランプで賭けでもするか」などと、店主が聞けば雷が落ちるようなことをほざいている。

「ちっ、お前らな―――」

 案の定怒り出す店主。天を貫くような威圧感を感じて酒飲みたちがガバッと振り返る。そして、「こ、こいつが言い出したんだよ!」と口々にフェリクスを売り始めた。変わり身にかかった時間は僅か一秒未満。熟練の武人も驚きの速さだ。

「ハァ!?テメェら、裏切りやがったな!?」

「裏切るもなにも、俺たちはなにもしてねぇだろ!」

「そうだぜ!この間賭けで銀貨二十枚負けたからって、変なこと言うなよな!兄ちゃん!」

「奢るっつったのはお前だよな!?あとそこのお前!賭けで負けたのはお前だ!どさくさに紛れてパチこくんじゃねぇよ!」

 さっきまでのお通夜ムードはなんだったのか。一瞬にして騒がしさで満ちる店内を見て店主は頭を抱えた。

「はぁ。まったく、お前らは。もういい。フェリクス、お前は今日一日休め」

「え!?よっしゃ!!」

「やっぱり働かせてやろうか······」

「ぁ、い、いえ。俺、もう何も手が付かなくて。ど、どうすればいいのかっ」

 即座に悲壮感たっぷりの顔をするフェリクス。ガタガタと震え、視線は宛も無く彷徨う。

「お前はここのバイトを辞めて、明日から役者になったらどうだ?」

 その真に迫った演技を見て店主は呆れ返った。やれやれと首を振ると、さっさと厨房の方へ戻って行ってしまう。それを確認して歓喜するダメンズ。

「さぁ賭けやろうぜ!鬼の居ぬ間になんとやら、だ!!」

「おう!」

「よっしゃぁ!!!」

 彼らは机の上にトランプを並べ――――


⚪️


「い、家を失ったうえに、有り金まで無くなるとは。グハッ」

 閉店後。精魂尽き果てた様子で床に転がるフェリクスが、死ぬ間際のような声を絞り出す。その手に握られた財布には、銅貨二枚しか残っていなかった。

「···だ····ぃ·····ぶ··?」

「あ、ぁ、おれ、は、もうだめ、だ―――ガクッ」

「自分で死ぬ音を口に出すくらいならまだ平気だろう。ほら、立ってエリナに礼を言え。お前が入るはずだった時間、代わりにエリナが働いていたんだぞ」

「あ、ありがとな」

 こくこく。

 エリナは眠そうな目をこすりながら頷く。

「で。これからお前どうするんだ?どうせ新しい家を買う金なんて持ってないんだろ?賃貸に住むにしても、それなりにまとまった金が要るだろうしな。当てはあるのか」

「当て、ですか」

(シャルロットのところはエドモンドがいるから論外だし、今からルークの所に押し掛ける訳にもいかねぇしな。エリュシエルはワンチャンあるかもしんねぇけど―――)

 悩んだ末に、何と答えが出てこないフェリクス。これに救いを与えたのはまたもや天使様であった。

「…う…ち………」

「は?」

「うん?」

「……と……ま……る……?」

「「ハァ!?」」

 ―――初めてフェリクスと店主の心境が一致した瞬間であった。 





――――――

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