第56話 父との対面
その日の放課後。
寄り道せず屋敷に戻ったシャルロットは、昼間の件を報告するために、父であるエドモンドの書斎に向かった。
緊張で強張った表情。力のみを求められる重圧が、少女の心を縛り付ける。以前の彼女であれば、真っ直ぐ前を向いて父親と向き合うなど不可能だっただろう。
しかし今は違う。騒がしく満たされた毎日。あの馬鹿馬鹿しい用務員の存在。様々なものが支えとなっているのだ。
「大丈夫よ」
己にそう言い聞かせ、シャルロットは目の前の扉をノックした。
「入れ」
そんな一言で足がすくむ。それでもシャルロットは足を前に踏み出した。
「失礼します」
開かれた扉。最も効率的な位置に仕事机や本棚が配置された、合理のみを求めた無機質な空間。シャルロットの視線の先に、シャルロットとよく似た容姿の男が―――エドモンドがいた。
「何の用だ?第五階梯魔術の発動に成功したのか?」
実の娘には目もくれず、目の前の書類を見比べながら問うエドモンド。いつもはここでどもってしまっていた。しかし、
「魔術の方は第四階梯の発動に成功して、ようやく第五階梯に踏み込めたばかりです。今日は別件で来ました」
シャルロットは、一切物怖じせず、俯きもせずに言い切った。
「ほう」
ここで初めて、エドモンドが興味を示した。視線が交差する。
「何だ、言ってみろ」
「ストライアー侯爵家の長女から、四日後のお茶会に招待されました。私は参加する方向で話を進めるつもりですが、その前にお父様の意見を伺いたいのです」
「ストライアー、だと?」
「はい」
穏健派の筆頭家。一番の政敵の名に、流石のエドモンドもシャルロットに大きな興味を向けた。向けざるを得なかった。
(ほら、やっぱりこうして良かったんじゃない)
シャルロットはそれに多大な幸福感を覚える。家族の情ではなく利害への興味、それすらシャルロットを満たす。歪な心は満たされてしまう。
「そこに至るまでの事柄を、時系列に沿って詳しく伝えろ」
公爵家を背負って立つ者としての威厳を纏い、固い口調で命じるエドモンド。
「ストライアー家の長女、アメリアさんと直接の関係を持ったのは数日前の事です。以前お話しした、私に魔術を教えてくれる用務員と歩いている途中で、賊に襲われているところを助けました」
「それで?」
「それだけです。それから日が経った今日、お礼をしたいということで招待を受けました」
「何故そんな大事なことを伝えなかった?」
眼光鋭く問うエドモンド。その圧力にたじろぎながらも、シャルロットは口を開いた。
「と、特に問題が起こったわけでもないので、お忙しい中で伝えることでも無いと判断しました」
「それはお前の判断だろう?事の大小を計るのは私だ」
「も、申し訳ありません」
「次からは全て伝えろ。いいな」
全く感情が含まれない命令。負の感情であれ、対象の人物に何かしら抱く思いがあるのならまだいい。それすら失った無を突き付けられ、シャルロットは声を詰まらせた。
「返事をしろ」
「―――は、いっ」
これだけ近くにいて、言葉も交わしているのに、こんなに苦しい。それに気付いてくれない、もしくは気付いて態度を変えない事実に、シャルロットは震えた。
「で、話を戻すが。お前を招待した時のアメリアの様子はどんな風だった?何か裏があるように感じたか?」
「い、いえ。純粋な好意は受け取れませんでしたが、逆に悪意があるようにも思えませんでした」
「何だその曖昧な言葉は。はっきりしろ」
「そう言われましても······それ以上は分からなかったのです」
「ふんっ。お前の人を見る目だけは多少高く買っていたんだがな。唯一の長所もそんなものか」
エドモンドが冷たく言い切る。書斎に入る前の期待など砕け散り、シャルロットはもう俯いてしまっていた。溢れそうになる涙を堪える。握り締めた手からは、薄く血が滲み始めていた。
エドモンドは、そんなシャルロットへの興味を失い、再び書類に目をやりながら会話を続ける。
「それにしても、ストライアーがな。何を考えているのか。まさか、今さら単純に仲良しごっこをしたいというわけでもあるまい。―――いや、人一倍愛国心の強いあいつの事だ。派閥の垣根など無いものとしてみている可能性も捨てきれんな」
あまりにも多すぎる情報。どこを掘り下げれば良いのかも分からず、エドモンドは顔をしかめた。だが、良い案でも浮かんだのだろう。やがて笑ってシャルロットを見る。
その顔を期待したシャルロットは、次に来る言葉を待って―――
「シャルロット。その茶会だが、参加して構わんぞ。というより参加しろ。ああ、アメリアとかいう女を助けた場面には、用務員もいたのだろう?それなら、その男も無理矢理同行させろ」
自分を駒として見ているその言葉に、今度こそ何も言えなくなってしまった。
相手は政敵。その屋敷、つまり懐へ行けと言うのだ。侯爵という力があれば、令嬢一人の事故死を演出するくらい造作もないというのに。
勿論、外国への警戒が必要な状況で、穏健派がそんな内乱の火種を蒔くような真似をするはずがない。が、それでも不安は残るのだ。
「おい、だから返事をしろ」
「わ、わかり、ましたっ」
「話は以上か?」
「はい」
「なら退室していいぞ。私は仕事で忙しい」
最後の一線を守るために、涙だけは堪えるシャルロット。力を求める男の前で涙を流すなどあり得ないのだ。
フラフラと放心状態で扉まで歩き、力無い様子で開く。そして廊下に出て、すぐに崩れ落ちた。
「なんで、なんでよっ。私が、なにをしたのよ······」
苦しい。誰かに嫌われるのは構わない。でも、その相手が肉親なのは、どうしても耐えられない。
シャルロットは胸をおさえて嗚咽を漏らした。
―――会いたい。あのうるさい馬鹿に。
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