第57話 ふたりぼっち
「できましたー」
バイト先の飲食店の厨房。フェリクスは定食のおまけで付けられる卵スープを作ると、それを一口分だけ皿によそって店主に渡した。
「相変わらず腕だけは確かだな」
スープを飲んだ店主が唸る。フェリクスが作ったそれは、一流とは言えずとも店を構えても文句無い水準なのだ。
「だけってなんすか」
「そうだろう。挨拶はまともにできない、しかもだらしない。娘の恩人じゃなきゃ、雇おうとも思えなかったからな」
「えっ」
ショックを受けたように固まるフェリクス。
「なに止まってやがる。もうそろそろ店仕舞いの時間だからって手を抜いたら叩き出すからな」
「わ、分かってますって!はは、はははっ」
フロアの方からは酒飲みたちの罵声や下品な笑い声が聞こえてくる。彼らは昼も夜も関係なく居座って騒ぐのだ。閉店時間が迫っているからといって、休むわけにはいかない。
「じゃ、俺はフロアの様子を見に行きますから」
フェリクスがフロアに現れると、酒飲みたちの騒がしさが増す。
「おうバイトの兄ちゃん!賭けしようぜ!」
「もう閉める時間になるっての」
「んだよ、ノリ悪い奴だなぁ。それなら仕方ねぇ、あと一品だけ―――」
「だぁーかーらぁっ!閉店だっつってんだろ?そんなに食いたいならまた明日来てくれって。その方が親父さんも喜ぶからよ」
「ちぇっ。分かった分かった」
この一ヶ月弱の間で、フェリクスはすっかり店の常連と打ち解けていた。酒飲みとダメ人間、元々通じ合うところも多かったのだろう。今ではフェリクスが一言いえば、こうして引き下がるまでになっている。
「んじゃ、また明日来るからなー」
「じゃあな兄ちゃん、エリナちゃんによろしく伝えといてくれ」
「明日こそ絶対に賭けするんだからな!?忘れんじゃねぇぞー!」
口々に別れの言葉を言う男たちに、フェリクスも笑顔で一言。
「金、払ってから帰れな?」
⚪️
「はぁ、今日も終わりましたねー」
「ったく、なーにが出世払いだ。そんな言葉信じられるか」
「とかいって出世払いで良いって言う親父さんも、意外と優しいんすね」
「アホか。あそこで断ってたら、もうこの店に来なくなっちまうだろうが」
「なるほど。そこまで考えての言葉だったんすか」
感心した風に頷くフェリクス。店主はハッと鼻で笑ってから、疲れを隠さずに口を開いた。
「今日は珍しく客が多かったからな。もう疲れてるし、賄いは簡単なものにするぞ?」
「あ、全然構いませんよ」
「じゃあ、俺は厨房に入るから片付けでもしておけ」
「了解であります」
「んだその返事は」
フェリクスのふざけた態度も小さく笑って許し、店主は再び厨房に戻っていった。ちなみに、もう日付が変わるほど夜遅くであるため、エリナは居住スペースである二階にあがって眠っている。
「んじゃ、片付けますか」
散らかったテーブルの上のごみを掃除し、それから調味料の類いや箸などを回収していく。それが終われば今度は床や壁の掃除だ。本来これらの後片付けにはそれなりに時間が掛かるのだが―――
「《ほいっ》」
フェリクスが一言呟くと、ごみが勝手に浮き出してゴミ箱まで移動していく。一瞬で掃除用の魔術回路を構築し、極力手間を省いたのだ。
フェリクスがやっているから簡単に見えるだけで、実はオリジナル、それもかなりの高等技術だったりする。
「さあ、後は見落としが無いかを確認して終わりだな。それにしても、雨なのによく騒ぐよなぁ、あいつら」
外から聞こえてくる雨音はかなり強い。もしかしたら、外で騒げない鬱憤を晴らしていたのかもしれない。
「ま、どっちにしろもう終わったことだしな。あー疲れた」
そのまま伸びをして椅子に座るフェリクス。後は賄いが来るのを待つだけ―――
バンッ!!
「うぉっ!?」
いきなり開いたドアに驚いて飛び上がる。もう閉店時間は過ぎているのだ。そんな時にこのように荒々しく入ってくるのは面倒な輩に限る。フェリクスはうんざりした様子でドアの方を見る。
「へ?」
そして、そこにいた予想外の人物に、思わず間抜けな声をあげてしまった。
「おい、何でお前がこんなとこにいるんだよ?つーかもう夜中だぞ?どうしたんだよ!?」
「······うるさいっ」
フェリクスの視線の先にいたのはシャルロットであった。雨の中傘もささずにここまで来たのか、全身びしょ濡れで学院指定の制服もグショグショになっている。
うるさいと言ったきり、ピクリとも動かないシャルロット。俯いた顔は見えないが、声色からただならぬ様子を察したフェリクスは、慌てて少女に駆け寄った。
「と、取り敢えず扉閉めろって。雨入って来るからよ。あと魔術だな。乾かさねぇと――」
魔術。その言葉に反応して震えるシャルロット。普段の生意気な態度からは想像もつかない弱り方に、流石のフェリクスも顔色を悪くする。
「おい、マジでどうしたんだよ。家の人達だって心配すんだろ」
「······しないわよ、誰も」
「っ」
「ねぇ。辛い、辛いの。どうすればいいのよ」
「おい―――っ」
いきなりシャルロットに抱き着かれて困惑するフェリクス。しかし、密着した途端に伝わってきた震えに、弱さに、言葉を失ってしまった。
「助けてっ、も、もう、どうすればいいか分からないわ」
「お前」
「お父様が、お父様が私をっ」
大きな瞳から、ここまで堪えてきた涙が溢れ出す。一度決壊するとそれはもう止まらず、シャルロットは全身をフェリクスに押し付けて泣きじゃくった。
「―――」
それを正面から受け止めて、フェリクスは何故か慰めることもせず、ただ申し訳なさそうな顔をするのみ。
「おいどうした―――って、お前なぁ」
騒がしくなったフロアの様子を見に来た店主が、二人の様子を見て顔をしかめた。
「あー、すみません。なんか温かいもの出してもらえません?」
「ちょっと待ってろ」
短く返事をした店主が奥に引っ込むと、フェリクスはシャルロットが落ち着くまで頭を優しく撫でていた。
⚪️
再び店主が戻って来た時、シャルロットは泣き疲れてフェリクスの胸で眠っていた。
「この間来た子だろう?エリナが喜んでたから覚えてる」
「はい」
「なんで貴族の娘がお前なんかに懐いてんのか。まあいいが、エリナの友達だってんなら大切にしてくれよ」
「分かってますよ」
「濡れた体を拭くタオルなんかは······いらないな。それも魔術か?」
「はい」
飲む者がいなくなった温かいお茶とフェリクスの賄いをテーブルに運び、それから店主はため息を一つ。
「なんて顔をしてやがる」
「本当ですよね。まだ子供だってのに」
「違う。お前だよ」
「俺、ですか?」
ハッとして自分の頬に手を当てるフェリクス。
「俺からしたら、その子よりお前の方がよっぽど酷い面をしてるように見える」
そう言って奥に戻っていく店主。後には、迷子のような顔をした二人が残された。
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