第45話 天性の才能

 時は遡ること二週間、学院が休校になった翌日のこと。

「ほら、さっさと出ていきな!お前みたいなやつを雇えるか!!」

 目抜き通りに面する飲食店から、一人の男が叩き出された。普段は寡黙なことで知られる店主は、真っ赤な顔で叩き出した男を見下ろす。

「ちょっ、ちょっと待ってくれって!少しくらい話を聞いてくれたっていいだろ!?」

「だったら正当な手順を踏めってんだ!履歴書の一枚も持たずに飛び込んでくる馬鹿がどこにいる!?」

「いやっ、だってそれは………。でもさぁ、この熱意を買ってくれよ!!」

「んなもん犬も食わねぇよ!!」

 男の必死さを一蹴する店主。物珍しい光景に、道行く一般人の注目が集まる。しかし、それでも男は醜態を晒すことを躊躇わずに、店主にすがり付いた。

「頼むって!もう八件目で後が無いんだよ!!」

「そんなの知るか!!七件も断られてんなら、なおさらお前なんて雇いたくねぇ!!あっち行け!!営業妨害で訴えるぞ!!」

「…………クソッ!!こんな店潰れちまえ!!」

「あぁ!?」

「やっべ」

 慌てて退散していく男。店主は額に青筋を浮かべて追おうとするが、男はその情けない様子からは想像もつかない俊敏さで人混みに紛れ、あっという間に姿を眩ませてしまった。

「ちっ。なんだってんだよ」

 渋々店内に戻っていく店主。それを人混みに紛れたまま少し離れた所から見ていた男―――フェリクスは、情けない顔でため息をついた。

「マジで働けねぇ」

 先の襲撃事件の結果、マーレア金貨一千枚分の借金を背負ってしまったフェリクスは、働く必要に迫られていた。しかし、サボることを心情生きる者に居場所を与えるほど、日の目のあたる世界は優しくない。

「もうどうすんだよこれ。経験則からして、ギャンブルは多分失敗するだろうしなぁ。いや、いけるか?今の俺ならいける気がすんだよなぁ。ちょっとだけ、銀貨数枚からブッ飛ぶ可能性だってあんだし―――」

 人間の負の一面しか現れない言動。そのまま転げ落ちていく未来しか見えない。それでも、他に打つ手を持たないフェリクスは底無し沼に嵌まっていき―――

 チョイチョイッ。

 フェリクスは、突然袖を引っ張られて後ろを振り返った。そして、視線を下ろしたところに見覚えのある顔を見る。

「エリナじゃんか。どうしたんだよ」

「……………」

 鳶色の髪を風に乗せ、フェリクスを見上げるエリナ。普段から自己主張が弱い少女は、何も言わずに視線だけを合わせ続ける。

「おい、おーい?」

「こ……ち……」

 言葉と同時、エリナはスっと指でとある方角示した。

「こっちに来いってことか?」

 コクコク。

 この世の栄華を極めたマーレアの王都。その広さの中では人間など蟻一匹にも等しく、取り敢えず目抜き通りに行けばいいと思う者が多いとはいえ、知人と出会う確率はそう高いものではない。

 だから、この状況はおかしいと言えばおかしいのだが、途方にくれていたフェリクスに選択肢などなく―――

「分かった分かったよ。行くから、そんな顔すんな」

 不安げな表情で見上げてくるエリナの頭にポンと手を置くと、先程指で示された方へ足を向けた。

「で?どっちなんだ?てかどこ行くんだ?流石に分かんねぇから、ちょくちょく場所指差してくれ」

 コクコク。エリナは頷くと、フェリクスの袖をチョイとつまんで後ろに回る。そうしなければ、か弱い少女など人の波に流されてしまうのだ。


 それからしばらくは、時々エリナが方角を示しながらグダグダと会話をするだけの時間が続いた。

「そーいや、最近あいつとは上手くやってんのか?」

「…ぁ……つ…?…」

「あれだよ。………暴れ馬」

「………ぁっ」

 暴れ馬で通じ合う意思。それは断じて二人の親和性が高いわけではなく、暴れ馬という呼び方に共通の認識があるからだ。

「ほら、前は色々あったろ?課外学習で謝ったっつっても、いきなり全部上手く行くって訳じゃねぇからな」

「…だ……ぃ……ぶ」

「大丈夫、であってるよな?」

 コクコク。

「へぇ。なら、まあいいけどよ。これから酷くなることはねぇと思うけど、万が一そうなったら―――いだだだだっ?!」

 僅かに頬を膨らませたエリナが、フェリクスの腕を袖越しにつねっていた。

「悪かったって!………一応不安なんだよ」

「そ……な…………す」

「いや、全く伝わらねぇ」

「……………むぅ」

 エリナは再び頬を膨らませると、難しい顔で何かを考え込む。そしてしばらく経ってハッと顔を上げると、何故か指先を空中に走らせ始めた。

「おい何して………て、おい、マジかよ」

 フェリクスが愕然とした表情で固まった。

 エリナの細く白い指先が描く軌跡に魔力が乗っかり、それがうねうねと動いて形を成していく。

『それなら、許す』

 魔力によって宙に綴られたその文字は、今にも崩れそうな脆弱さで、魔術的な力も大したものではない。しかしそれでも、これはどの魔術よりも恐ろしいものだ。

 かつて魔導王と呼ばれるに至った男が、その生涯を費やして魔術という神秘の現象を人が扱える方程式にまで落とし込んだ。そして、その方程式に基づいて、現代のあらゆる魔術は体系化されている。例外は無い。無い、はずだった。今この瞬間までは。

 たった今エリナがやってみせた技は、既存の技術の枠を外れているのだ。

 魔術とは、魔力回路の構築から始まり、次に魔力回路に魔力を通す行程を挟み、その後にようやく発動させる―――という基本三原則を必要とする技術である。

 熟練の魔術師が瞬時に魔術を発動させるのは常識だが、それだって魔術の基本三原則にかかる時間を短縮しているだけで、ゼロにはならない。

 だが、エリナはそれをゼロにしてみせたのだ。魔力回路という、魔術に絶対に付き纏う行程を飛ばし、魔力そのものに魔術的な効果を持たせた。それは、未知の技術。天性の才能が為せる技に他ならない。例え本気になったフェリクスであっても、その領域には立ち入れない。

「は、はっ。マジかよ」

 フェリクスはあまりの驚愕に言葉を失う。そして、そうこうしているうちに目的地に辿り着いたのか、新技術のコツを掴んできたらしいエリナが、魔力の矢印でとある飲食店を指し示した。

「おいッ。ここか?お前が、来たかったのって?」

 余程新技術に驚いているのか、フェリクスは限界まで目を見開いていた。絞り出すような声は震えており、本当に新技術に驚いているだけなのかを疑ってしまうほどだ。

 コクリ。エリナは頷くと、ためらいなく扉を開き、言った。

「た……だ……ぃ…ま」











「とまぁ、こんなことがあって、俺はこいつの両親がやってる店で働くことになってな?いやぁ、こいつの親御さんが変な男連れてきたっつって追い出されそうになったんだが、ほら?俺って一応こいつの命の恩人じゃん?そこんとこ言い含めたら、なんだかんだOKもらったって訳よ。昼御飯まで用意してもらえるとか、マジでいいよなぁ」

 エリナの新技術の部分は省いて事のあらましを説明したフェリクスは、満面の笑みで何度も頷いていた。

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