第40話 あの頃に戻って

「近付くんじゃないわよ!」


「無理だろそれ」


 無造作に前に出る暗殺者。その動作には一切の警戒が含まれていない。狭い治療室の中には逃げ場など無く、ずるずると後退するシャルロットはあっという間に壁際に追い込まれた。


「《光の―――》」


「悪ぃな」


 全く悪びれた様子もなく、暗殺者が手刀を振り下ろす。咄嗟に唱えた詠唱は当然間に合わず、そうなればシャルロットにその攻撃を防ぐ手立てはない。


(死ぬ―――)


 明確に突き付けられた“死“。やけにゆっくりに見える視界に手刀を捉えながら、シャルロットはようやく自らの死を悟った。


 脳裏を過っては消えていく光景は、俗に言う走馬灯というものだろうか。


(ああ、何よこれ)


 自分の人生を振り返り、死の間際にすがりたいと思えるのは四年以上前の光景のみ。


 この四年間はどの記憶を掬い上げても冷たい痛みを伴うばかりで、シャルロットはその空虚さに笑ってしまった。


(お父様が優しくて、お姉様がいて、時々お姉様の友人や仕事仲間の人達が遊びに来て)


 何も知らず、難しいことにも悩まされず、ただ幸せを享受できた頃が恋しい。しかし、思い出に浸ろうとすると、今度はその温度差に現実が痛みを上げる。


『シャルロット、我が儘言ったらダメだよ』


『お姉ちゃんの方が偉いんですー!だからこの肉は私のものだもんね!』


『シャルロット!おみあげ買ってきたよー!』


 あの頃は騒がしい姉がいて、自分がいて、本当に幸せだった。満ち足りていた。そんな幸せが、また欲しい。


(やっぱり、死にたくない)


 今更のようにシャルロットは生に執着した。しかし、もう全てが手遅れであった。少女の死を確信している暗殺者は、つまらなさそうな顔で手刀を振り下ろしていて―――


 突如としてその表情が驚愕に歪んだ。そして、シャルロットの首筋まで迫っていた手刀が、二人の間に割って入ってきた剣に大きく弾かれる。


 突然の事態に付いていけないシャルロットを置き去り、状況は移り変わる。


「テメェッ!!」


 どこか焦った顔で再び拳を放つ暗殺者。その速度は、シャルロットが自身に迫る二度目の死に気付けないほどに速い。


 しかしそれも弾かれた。それからは同じ繰り返し。三度、四度、暗殺者が拳を繰り出す度に、それを剣が防ぐ。


「え?」


 数回の激しい攻防を目の前で見せ付けられたシャルロットは、ようやく自分が守られていることに気付いた。


ク横を振り向くと、そこには剣を扱うフェリクスがいた。何とか死から持ち直したばかり、絶対安静が必要な満身創痍の体で、正確無比に剣を振るっている。


 一歩動く度に血が吹き出し、シャルロットを救う度に遠ざけた死が戻ってくる。それでも、虚な瞳に熱を宿して、フェリクスは暗殺者の攻撃を妨げ続ける。


「弾けろやァ!!」


 普通の攻撃が通じないと知ると、暗殺者は大振りの一撃を繰り出した。フェリクスの防御を破ってシャルロットを殺すことのみを考えたそれは、攻撃後に晒すであろう隙を度外視している。多少の怪我を受け入れる代わりに対象を確実に殺す。その諸刃の剣とも言える必殺を、フェリクスは無言にて受け流した。限界を越える負荷に耐えられず体から血潮が吹き出る。されど、この一線より先は譲らないとばかりに、フェリクスはシャルロットを守りきる。


「嫌な、感じはしてたんだよなァ。こーいう時は無視に限るんだが、お前は殺した方が正解だったか」


 苦笑いを浮かべてフェリクスと向かい合う暗殺者。


「せっかく人が無視してやってたんだから、最後まで寝てやがれよ」


「―――」


 フェリクスは何も答えず、シャルロットを背中に隠しただ剣を構えている。


「あ、あんた何して―――」


 この場で唯一の弱者の言葉は、当然のように無視された。戦場では、強者は弱者を顧みない。


「張りぼて野郎が、どうせ死に体だろォ!!」


 暗殺者は迷いなく正面から突っ込んだ。彼は間違いなく満身創痍の怪我を負って此処にいるが、フェリクスの怪我はさらに深刻なもので、これ以上の継戦は望めない。ならば恐れることは何一つないのだ。先程の一撃を防いだ奇跡は、残りカスをかき集めた最後の輝きに等しい。つまり、詰み。


 暗殺者は勝利を確信し―――

「は?」


 繰り出した拳を受け止める剣の鋭さ、そして何より衝突時の重さを感じて、余裕を失った。


 今回は、以前のように最高潮のタイミングもずれていない。だというのに、何故互いの攻撃は中央で拮抗しているのか。まさか、この土壇場で強くなっているとでもいうのか。


「マジか、よォ!!」


 拳を引き、さらにもう一撃。踏み込みで地面が砕けるほどの溜め。圧倒的な暴力がフェリクスに襲い掛かり―――


「―――」


 斬り飛ばされた己の左腕を見て、暗殺者は言葉を失った。呆然と目の前の敵に視線を移せば、男は剣を振りかぶった体勢を取っていた。


(コイツ、いつの間に―――)


 それと同時、フェリクスの周辺に無数の魔力回路が組み上げられる。一つ一つのサイズは小さいが、その構造は余す所なくその一片までが呪術的な紋様で出来ている。故に、極小の魔力を通すだけで、それは人を屠る奇跡と成る。


 炎、風、氷、ありとあらゆる魔術が牙を剥く。左腕を失った暗殺者にその全てを防ぐことは出来ず、空中に描かれた魔方陣が効果を発揮し終えた時、彼はフェリクス以上の怪我を負って膝を付いていた。


 あれほど猛威を振るった男が、僅か数秒でここまで追い詰められた。それを為した男は、何も映さぬ無表情でただシャルロットを守り続ける。


「て、テメェ、隠してやがったの、かよっ」


「いいや、忘れていたんだ」


 体の芯から凍るような冷たい声。ただ、その最奥には、一種の熱が宿っていた。


「忘れてた、だァ?」


「俺が誰であったか、分かったようでいて、その実何も理解していなかった。文字通り死線を潜って、ようやく戻ることができた。俺は俺を取り戻した」


 一つ言葉を紡ぐ毎に、男から熱が失われていく。人として大切な、失ってはいけない何か。その場を支配する雰囲気は、エリュシエルの物理的な零度では及ばない冷たさを有していた。


「黒騎士どうのって、テメェそれ以上の化物だったか。ハハッ、いやぁ、これはどうしようもねぇ」


 暗殺者が逃げの体勢を取った。が、例え彼が万全の状態であったとしても、今のフェリクスから逃れられることはできない。死に瀕した状態なら、なおさら。


 暗殺者が一歩を踏み出した時、既にフェリクスの剣は敵の首を斬り飛ばす軌道に沿って振り抜かれていた。急速に『戻っていく』フェリクスの実力は、既に暗殺者のそれを凌駕している。


「ハッ」


 暗殺者は、もう笑うしかない。世界最強だと言うのはおこがましくとも、自分の実力にはそれなりに自信を持っていたのだ。


 それが、こうも容易く覆されるとは。黒騎士とやったときだって、ここまで一方的にはならなかったはずだ。


 勝てない。それは認めよう。だが、死ぬわけにはいかない。暗殺者は死物狂いで足を動かした。一歩、その距離が命を助けるのだ。今限界を越えずに、何時越えるというのか。


「終わりだ」


 音を置き去り、視認すら叶わない速度で剣閃が迸る――――


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