第39話 二度あることは三度ある
「はぁ、はぁ、はぁっ」
今にも泣き出しそうな顔で廊下を走るシャルロット。焦りや恐怖に歪んだ表情。令嬢としての体面を無視した全力疾走。その姿は、少女の剥き出しの心の表れであった。
「ちょっと君―――」
「どきなさいよ!!」
鬼気迫った様子を不審に感じた護衛が呼び止めようとするが、シャルロットは男を怒鳴り散らしてその脇をすり抜けた。
シャルロットがフェリクスの容体を聞かされたのは、ルークの見舞いを終えた数十分後のことであった。裏口に程近い場所で倒れているところをエリュシエルが発見し、治療を行っている現在も意識不明の重体であるという。
「何よっ、もうなんだっていうのよ!」
息が上がっても、体力の限界を越えても、シャルロットは足を止めない。そうしてたどり着いた一室、乱暴に扉を押し開いて中に飛び込むと、ベッドの上にフェリクスがいた。
普段誰よりも煩い男が、意識を失ってベッドに横たわっていた。数多の回復魔術の魔方陣に囲まれたその身は至るところに怪我を負っており、治療をする魔術師達の必死の形相が、フェリクスが危険な状態であることを言葉より雄弁に語る。
「ちょっと―――」
シャルロットはフェリクスの名前を呼ぼうとして、しかし口をつぐんでしまった。これまで、お前だの無能用務員だのと言ってきたが、目の前の男を名前で呼んだことは一度としてなかったのだ。こういう場面で呼び掛けるに相応しい言葉が見つからない。
何もできずに立ち尽くすシャルロット。彼女は秀才である。学院の二学年では誰もが羨むほどの魔術師であるが―――結局はその程度でしかない。魔術に数十年を費やしたその道のプロですら儘ならぬ状況、たかが生徒に手出しできることはなかった。数分、十数分と、時間だけが無意味に経過していく。
そのまま数十分が経った頃、突然エリュシエルが治療室を訪れた。シャルロットに略式の礼をした後、平静を保った挙動でフェリクスのもとに歩み寄るエリュシエル。落ち着いた様子を見せるその女の登場に、治療を行う魔術師たちが僅かに平常心を取り戻す。
「男の様子はどうだ?」
「まだ安全とは言い切れませんが、恐らく山場は越えたかと」
「もう大丈夫ということか?」
「出血量があまりにも多いため、それを断言することはできません」
「輸血はできないのか?」
「魔術で血液型を調べてみたのですが、この男の血液はかなり特殊でして、普通の人間のものでは合いそうにないのです」
「―――やはりそうか」
落ち着いた表情、落ち着いた動作、しかしその声色は、意図した平坦さを感じさせるほどに固い。片時もフェリクスから視線を放さないエリュシエル。それを不審に思ったシャルロットは、気付けば疑問を口に出していた。
「この男とエリュシエル様はどのような関係なのですか?」
「どのような………関係、ですか」
エリュシエルが悲痛な表情で言葉に詰まる。無関係ならこうはならない。ある種の確信を得たシャルロットが、さらに言葉を詰めていく。
「この男は一体何なのですか?常人とは思えない魔術に対する深い知識もそうですし、私を守ってくれたときの戦闘も、普通じゃありませんでした」
実際に言葉に出して、シャルロットはそれを強く実感した。そう。フェリクスは普通じゃない。何もかもがおかしいのだ。
これだけエリュシエルに気に掛けられる男の事が気になるのだろう。回復魔術を唱える魔術師たちが、意識の一片を二人の会話に向けた。その注目のなか、エリュシエルが答える。
「黒騎士、そして魔女に所縁のある人物であるとしか、今は答えられません」
震える声で伝えられたその情報を聞いたシャルロットの反応は劇的だった。驚愕に目を見開き、そのまま言葉を失う。
黒騎士、魔女。どちらも七魔導にその名を連ねた最強の一角であり、四年前の戦争で命を落とした英雄だ。そして、片方、魔女の方は―――
「お姉様と、関係が?」
シャルロット=フォン=グラディウスの実姉である。
エイレーネ=フォン=グラディウス。二十歳という若さでこの世の去った稀代の天才魔術師。その存在は黒騎士と同じく、多数の国を一度に相手取ったマーレアを支えた柱とすら言われている。彼らなくして、四年前に終わった戦争は乗り越えられなかっただろう、と。
「はい。この男は、彼らに繋がる確かな縁を持っています。その関係で、当時から七魔導の一角であった私も、多少の事情を知っているのです」
想像を越えたスケールに圧され、シャルロットは曖昧に頷くしかなかった。ちゃっかり話を聞いていた魔術師たちも驚き、手元が狂わないよう必死になっている。
「私から質問をしておいてなんですが、そのような大事を話してしまって、問題はないのですか?」
「今のは、少し調べれば分かる程度の情報です。意図して隠すほどのことでもありませんから」
「―――そうですか」
四年前に亡くなった姉の関係者であった男。シャルロットが複雑な表情でフェリクスを見つめた。
(私に構ってくれたのは、お姉様のことを知っていたから?)
本当は自分じゃなくて、姉に何らかの義理を立てていたのかもしれない。掴み所のない男のことだ。それくらいはあり得る。
「本当、なんなのよあんた」
シャルロットの問いは弱々しく響いた。
それから程なくして、エリュシエルは部屋を出ていった。彼女は部屋を出るその瞬間まで、フェリクスに視線をやっていた。
それからさらに数十分が経過すると治療も終わったようで、一人がフェリクスの付き添いに残り、他の魔術師たちは別の患者の治療のため、それぞれの場所へと向かっていった。シャルロットは、ぼーっとした様子で、フェリクスの隣の椅子に座っていた。
「目が覚めたら、根掘り葉掘り聞いてやるんだから。早く起きなさいよ」
そんなことを言ったら、なおさら起きないかもしれない。なんて考えながら、フェリクスを見つめるシャルロット。その痛ましい様子に堪らず魔術師が「命は助かりましたから。直に目を覚ましますよ」と励ましても、シャルロットの表情は浮かない。
そんな時だった。一人の護衛がやってきたのは。
「ん?どうした?怪我でも負ったか?」
その者の記章を見て格下だと判断した回復魔術師が軽い口調で問う。
「―――」
入ってきた護衛は笑みを浮かべるだけで、何も言わない。そのままフェリクス―――ではなく、何故かシャルロットの方へ近付いていく。
「な、何よっ、あんた!」
貴族令嬢に用もなく近付く者はいない。慣れない事態にシャルロットは狼狽えながら後ろに下がるが、それでも男の歩みは止まらなかった。追い掛けるように、追い詰めるように進む。見かねた回復魔術師が二人の間に割り込んだ。
「止まれ――――ん?なんだ、見ない顔だな。おいお前、階級と所属、名前、それから所属部隊の合言葉を言え」
「クラッド百人隊所属、百人隊長補佐役のユーグです。合言葉は、」
そこで一瞬詰まった。回復魔術師が慌てて距離を取り、攻撃用の魔力回路を組み上げる。
「馬鹿がっ、合言葉なんてものは用意されていない!お前何者だ!!」
「―――あら?ばれた?」
護衛の口調が変わる。その軽々しさはどこか聞き覚えがあって、
「あっ」
護衛の正体に気付いたシャルロットが短く悲鳴を上げる。それと同時、回復魔術師の頭に強烈な蹴りが炸裂した。今の今まで生きていた男が、血を吹き出して崩れ落ちる。
「いやぁ、巡回する護衛ぶっ殺して入れ替わるの、意外と楽しいのな」
モルド、フェリクス。二人の強者を倒した暗殺者が、獰猛な笑みをシャルロットに向けた。
「よう、殺しに来たぜ」
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