第37話 逃走

「ルーク先生、俺たち大丈夫なんすか?」 


「かの七魔導が皆さんを守ってくださっているのですから、なにも心配は要りません」


 このやり取りも、もう何度目か。ルークはテッドの問いに優しく答えながら、静かに周囲を見渡した。

 二百人ほどの生徒全員が集められた大部屋。数十分前から外の戦闘音が鳴り止まず、それを聞くたびに生徒たちは恐怖に身を震わせる。彼らの負の感情は波となり、護衛にまで影響を及ぼしていた。


「スケイルがやられた!治療班、こっちを頼む!!」


「怪我人三人追加だ!二人の状態は黄色、一人は赤だ!やばい、こいつを治してくれ!!」


 極限状態のなか、次々運ばれてくる重傷を負った護衛。こんな状況を間近で見せつけられては、『白氷』が守ってくれているという謳い文句も、全く意味を為していない。


 ルークは、生徒たちの限界が近いことを感じていた。


(僕はどうすればいいんだろうか)


 精神安定の魔術を広範囲に渡って発動させながら、ルークは次の行動を模索する。

 泣き疲れてぐったりしているシャルロット、それを支えながら恐怖に震えるエリナ、その他の生徒も皆一様に怯えている。


(護衛が押し負けてる状況。でも、僕が加勢に行ったら生徒を落ち着かせられる人がいない。僕はどうすれば―――)


 突如、地震を彷彿とさせる大きな揺れと共に、耳をつんざくような轟音が響く。何事かと騒ぎ始める生徒たち。思考を打ち切られたルークは、向けた視線の先の光景を見て、唖然としてしまった。


「生徒が集まってる部屋って、ここであってるよなァ?って、これだけいりゃあ、あってんのか」


 外側から大部屋の壁が破られていた。そこから入ってきたのは、全身ボロボロで満身創痍といった様子の暗殺者であった。


「面倒事はなしだ。シャルロットなんちゃらってやつ、ルギウスなんちゃらってやつ、あとエリナってやつ、出てこいよ。俺に殺されろ」


 死を告げる声が響く。


「ほら、俺に殺されるヤツはさっさと出てこいよ。顔覚えてねぇんだ、じゃないとここにいるヤツら無差別にぶち殺すぞ」


 暗殺者一人の存在感が空間を支配する。歴戦の猛者である護衛すら、その空気にあてられて動けなくなっていた。

 周囲の生徒、特に、以前シャルロットに虐げられていた平民階級の者が、にわかに騒ぎ出す。


「うるせぇぞ。三人はさっさと出てきやがれ」


 無防備に生徒たちへと近付いていく暗殺者。ようやく我を取り戻した護衛の一人が、その後ろから無音にて切りかかり―――


「あ?」


 迎え撃つ裏拳。条理を逸した超速度の拳が、背後より迫っていた護衛の頭部を砕いた。血と脳漿を撒き散らしながら躯が崩れ落ちる。

 血、脳漿、死体、そしてその惨状を作り上げた者。これ以上に分かりやすい恐怖は無く、限界を迎えていた生徒たちの心は、あっさりと折れてしまった。


「は、早く行けよ!!」「こいつです、シャルロットって生徒はこいつです!!」「ルギウスとエリナもだろ!!」「さっさと行きなさいよ!!」


 自分達は助かろうと、三人を暗殺者の前へ押し出していく生徒たち。その醜さ、我が身可愛さには、流石の暗殺者も苦笑を隠せなかった。


「…ぁ、………ぁあっ…」


「お前たち、僕に触れるな!僕を誰だと思って―――」


「皆、なに考えてるんすか!!俺たちは同じクラスの仲間なんすよ!!」


「そんなの知るか!!いっつも好き勝手にやられてて、こんな時だけ助けられるかよ!!」


「そうだそうだ!さっさと行きやがれ!!」


「ちょっと!皆さん!落ち着いてください!!」


 こうなってしまっては、ルークの言葉も意味を為さない。

 前へ前へと押し出されていく三人。シャルロット達も抵抗はしているが、多勢に無勢であった。最早集団暴行にも見える光景、魔術が飛び交っていないのが唯一の救いだろう。


「あー、なんか悪ぃな。ま、三人が誰かは分かったし、サクッと終わらせるか」


 呆れた表情の暗殺者が一歩を踏み出し、


「ここから先へは進ませんぞ!」


「お前たち、生徒たちを落ち着かせて部屋の端へ!!」


「ここは俺たちが受け持つ!!」


 それを遮るように三人の護衛が立つ。いずれも一流の雰囲気を漂わせているが、暗殺者の前では片落ちもいいところであった。戦う前から勝敗が見えている。


「勝てねェって」


 暗殺者が踏み込み、それと同時に真ん中に立っていた護衛の腹部を拳が貫く。


「がっ」


 その状態から翻って半回転。勢いを乗せた回し蹴りが左側にいた護衛の頭部を吹き飛ばし、そこに至ってようやく最後に残った男が反応を示したが、時既に遅し。


「あばよ」


 胸部を貫かれ、そして三つの死体が同時に倒れた。

 先ほど以上の殺戮の光景。さらに恐怖心を煽られた生徒たちのシャルロット達を差し出そうとする動きが強くなり―――


「落ち着いて下さいとッ!!先生は言いましたよね!?」


 次の瞬間、その全員がルークの《ディバインド》によって拘束された。一度に数十人の生徒を捕らえたルークは、全く疲労の色を見せずに暗殺者に向き合う。


「シャルロットさん、ルギウス君、エリナさん。先生が時間を稼ぎますから、大部屋正面の扉から逃げなさい」


「で、でも先せ―――」


 咄嗟に声を掛けたシャルロットは、抜き身の刃のような鋭い表情をしたルークの横顔に、言葉を失ってしまった。フェリクス程ではないにしろ、この男もまた平時とはかけ離れた側面を有していたのだ。


「早く行きなさい。行って、扉の先にいる『白氷』に助けを求めるんです」


「シャルロットさん。先生の言う通りにするべきだ。僕たちがここにいても邪魔なだけだろう」


 ルギウスの言葉が決め手となり、シャルロットたち三人は唯一の出入り口へと向かって行った。当然、暗殺者は追わんとするが、今度はルークがその道の先を塞ぐ。


「チッ、子バエごときが俺を止められるとでも思ってんのか!!アホ臭ェ!!」


 ルークなど眼中に無いのだろう。暗殺者は、策も無しにただ床を踏み込んだ。先程死闘を繰り広げた男が例外なだけで、ほとんどの敵はこの速度にすらついてこれない。だからこその慢心、それを、


「こ、んのぉ!」


 ルークはギリギリで受け流した。魔術で身体を支え、自らも後退しながら拳を斜め後方へ受け流すことで。

 ただ、その一撃をしのいだだけで、拳を受けた右腕はあらぬ方向へと曲がってしまった。


「はぁ、はぁ、子バエごときに止められた気分はどうだい?」


「ヘぇ」


「足も含めたらあと三回。それだけあれば、彼らは白氷の所に辿り着くよね」


「シャラくせぇ。俺がその時間をくれてやるとでもッ、思ったかよ!」


 沸点が低いのだろう。挑発を受けた暗殺者は、今度は一度目以上の速度と力で以てルークに迫った。最初の攻撃では、暗殺者の瞳にルークは映っていなかったが、此度は真ん中に捉えて離さない。


 だからこそ―――


「俺もいるぞッ!!」


 視界の端から迫ってきた別の男への対処が遅れた。


「次から次へと!!」


 黒の右腕、モルドが裂帛の気合いと共に剣を振り被る。それを左手でいなそうとした暗殺者は、一瞬躊躇って右手で剣の腹を殴り付けた。

 もし男が本調子であったならば、左手で剣を防ぎつつ右手で反撃できただろう。しかし、ここにきてフェリクスに付けられた怪我が響いていた。

 それでも、左腕を使えない暗殺者とモルドでは、まだ暗殺者が優勢。しかしそこへルークの軍用魔術が割り込んでくるとなると、流石に話は変わってくる。

 もし、この状況で『白氷』までも相手にしてしまったら。それを想像して、暗殺者は顔をしかめた。


「チッ、これは分が悪ぃな」


 闇の世界で生き延びる上で最も重要とも言えるのが、状況判断能力である。暗殺者はこのまま戦ったらどうなるのかを想定して、即座に判断を下した。


「やめだやめだ。これは勝てねェ」


 攻勢に出るフェイントを仕掛けてルークとモルドに防御姿勢を取らせ、その隙に反転。暗殺者は持ち前の脚力で、自らが壁に開けた穴から戦線離脱した。


「逃げた、んですかね?」


「ああ、そうだろうな」


 緊張から未だに戦闘体勢を解けない二人が、ポツンとその場に残された。


⚪️


 呆気なく逃走した暗殺者は、そのまま宿泊施設を離れようとしていた。白氷が動くかもしれないのだ。いくら対人戦に優れた己とて、この怪我では殺されかねない。逃げるが勝ちである。


 時々すれ違う護衛を殺しながらの逃走。暗殺者は足を止めずに裏口まで辿り着き、


「オイオイ、嘘だろ」


 そこで固まってしまった。

 ない。どこにも見当たらないのだ。


 確かに殺したはずの、男の死体が。

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