第32話 垣間見えた本性

 四つの死体が転がる中心で微笑みを浮かべるフェリクス。たった今人間を殺したばかりだというのに、心は揺れず、ただ仮面のような笑顔が張り付いている。


「あん、た。なによそれ」


「シャルロット様、お怪我はありませんか?」


「えっ」


 フェリクスの敬語を受け、シャルロットは戦慄き、涙を浮かべて崩れ落ちる。


 なぜ、どうして。

 家族に見放され、ろくな友人もいないシャルロットは、口では何だかんだと言いながらも、同じ目線で話してくれるフェリクスをかけがえの無い存在だと思っていた。

 フェリクスが唯一なのだ。自分に歯向かってきてくれるのは。


(やめて、お願いだからそんな口調にならないで)


 フェリクスにまで突き放されたら、もう誰にも寄りかかれなくなってしまう。


 だが、フェリクスはその瞳にシャルロットを映すことなく、エリュシエルと戦う暗殺者を狙いに定めていた。


 シャルロットの視界に、美しい魔方陣が幾つも現れる。彼女が目標にしたその技術が、確かな殺意を宿して昏く光った。


⚪️


「今の何なんすか!!」


 戦闘が終わった瞬間、物陰に隠れて全てを見ていたテッドがフェリクスに詰め寄った。


「離れていろ。目に見える敵を片付けただけだ。まだ安全とは言い切れない」


「その話し方もっすよ!滅茶苦茶強いし、意味が分からないっす!」


 フェリクスは、尚も問い詰めようとするテッドを無視して押し退けると、エリュシエルの前に立つ。


 マーレア最強の魔術師は、万の殺意を込めてフェリクスを見上げた。


「なんだ?」


「多少の怪我はあるかもしれんが、今は無理をしてでも、完全に日が落ちる前に宿に戻るべきだ。早く立て。それとも手を貸すべきか?」


「怪我などあるものか!私一人でも、あの程度の敵は―――」


「よし、無駄口を叩けるなら平気そうだな。警戒は俺がやろう。お前は生徒を守れ」


「貴様っ―――」


 フェリクスは伝えることだけを伝えると、エリュシエルの相手をやめてしまう。お前など眼中にないと言われているようで、エリュシエルは声を詰まらせた。


 それでも、いつまでも固まっている訳にはいかない。直ぐに護衛としての責務を思い出して威厳を取り戻す。


「全員、直ちに私の前に集まれ!怪我の確認をしたい」


「―――大丈夫っす」


「僕もないね。狙われていたのは僕たちじゃなかった」


 真っ先に移動してきたテッドとリオネルは無傷だった。


 だがそれとは対照的に、モルドは傷だらけの体を引き摺るように歩いてくる。激しい戦闘の跡が見られる体は、至るところに怪我を負っている。


「お前がここまでやられたか。敵は?」


 上官の言葉を受けても、モルドは反応しない。愕然とした表情でフェリクスを凝視していた。


 穴が空くほどフェリクスを見つめ、やがて体を震わせて座り込んでしまう。感極まって涙すら浮かべて、


「あぁ、貴方は―――」





 その縋るような声をフェリクスは両断する。


「悪いが、俺はお前が思い描く者ではない。お前は黒騎士が死ぬところを目の前で見ていたんだろう?それなりに有名な話だ」


「そ、そんなっ。でしたら先程の戦いは一体なんだと仰るのですか?!あれは黒騎士そのものでした!!」


「俺が黒騎士に見えるか?腹心であったお前が、誰よりも黒騎士の素顔に詳しいはずだ」


「そ、それは」


 その言葉通り、モルドの記憶にある黒騎士の素顔は、フェリクスのそれとは全く異なっていた。

 要らぬ期待を胸にしてそこから落とされたモルドが、全身から力を抜いて項垂れた。


 それから、エリナとシャルロットが遅れてエリュシエルのもとへ移動してきた。幼子のように泣き崩れるシャルロットをエリナが支えている。


 なにかを知っているのか、エリュシエルはシャルロットの痛ましい様を見て、下唇を噛んだ。


⚪️


 宿泊施設に戻ってきた一行を迎えたのは、落ち着く気配の無い喧騒であった。混乱、叫び声、それに混じる微かな血の臭い。至るところに人が見られる。全く統制がとれていない。


「エリュシエル様!!」


 軍人の一人がエリュシエルに駆け寄ってくる。そして、ぼろ雑巾のようなモルドの姿を見て驚愕した。襲撃があったことに。そしてなにより、モルドという武人がここまで追い詰められたことに。


「そちらでも襲撃があったのですね」


「そちらでも、か。誰が襲われた?死者は?」


「ルギウス=フォン=シュナウザー様が襲撃され、一命は取り止めましたが重体です。今のところ死者は出ていません」


 エリナにもたれ掛かっていたシャルロットがガバッと顔をあげた。


「カトリーナは無事なの!?」


「はい。詳細は現在確認している途中ですが、明らかになった範囲では、ルギウス様が暗殺者と対峙して班員を守り抜いたそうです。そして殺されそうになったところで、ギリギリで駆け付けたルークという教員が暗殺者を追い返したとか」


「そう、良かった―――」


 フェリクスと共にふざけている印象しかないルークだが、彼は生徒に攻撃魔術を教えるほどには荒事に慣れている。


 まあ、今となってはそのフェリクスの印象もがらりと変わっているのだが。


「そうか。状況は理解した」


 話を聞いていたエリュシエルが頷き、そして言葉を続ける。


「モルドと戦った暗殺者は生き延びている。恐らく、あれを中心にもう一度襲撃を仕掛けてくるだろう。生徒を一ヶ所に集めろ。防衛戦だ。それから、そのルークとかいう講師を呼べ。戦力はいくらあってもいい」


「敵が引いた今のうちに此処を出るべきでは?」


「敵は魔術と武術の双方に心得がある一流の暗殺者だ。奴等に分がある闇の中の行動は、いたずらに兵を失う結果に繋がりかねん。それよりかは、ここで防衛線を張った方が安全だろう。時間が惜しい。早く動け」


「は っ!!」


 指示を受けた軍人が走り去っていく。


 一転して体の向きを変えたエリュシエルは、不甲斐ない己を呪いながらフェリクスを見た。


 勝算の見えない戦いになる防衛戦。仮に暗殺者の中に強い者がいたとき、既存の戦力と己の指揮力だけで生徒を守りきれるだろうか?


 プライドと責務。優先しそうになる前者を圧し殺して、エリュシエルは絶対に頼んではならない相手に頭を下げた。


「今回だけでいい。貴方の力を貸してほしい」


「―――端からそのつもりだ。あいつのためならば、俺も戦おう」


 そう答えたフェリクス。その無機質な笑みから、よりいっそう人間味が消えた。

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