第31話 仮面の内側

 シャルロットの目の前で、暗殺者が血を撒き散らしながら膝を折った。死体の後ろに立つのは、返り血に濡れるフェリクス。


「え、うそっ」


 シャルロットはその光景を受け止めることができなかった。だって、あり得ないではないか。面倒臭がりで、仕事をサボることばかりに力を入れ、ルークと馬鹿騒ぎをする。そんな彼が、人を殺すなんて。


 いいや、相手は暗殺者だから、殺すことに関しては仕方がないのかもしれない。殺さなければ、殺される。


 だが―――


『自分の意志で拳も隠せねぇやつに、力は与えたくねえ』


 自分に魔術を教えてやると言ってくれた時、彼は真剣な表情でその言葉を伝えてくれた。魔術は容易く人を殺す。だからこそ忘れてはならないことがあるのだとも言っていた。


「なん、で」


 目の前のこの男は、誰だ?


 足元の死体には目もくれずに次の獲物を見定める瞳には、深く、暗く、どこまでも堕ちていくような深淵が揺らめいている。


 シャルロットの知らないフェリクスが、無機質な笑みを浮かべた。


⚪️


「―――」


 血濡れの男が笑う。口許を僅かに吊り上げただけの、清廉さすら感じさせる穏やかな笑みだ。戦場に似合わぬその貌が、暗殺者たちに最大の警戒心を抱かせる。


 視線で合図をする暗殺者たち。二人がフェリクスの前に立ち塞がり、一人が継続してシャルロットとエリナを殺さんとする。


「―――ハァ」


 一呼吸。フェリクスは全身の力を抜いた。


 一瞬後の爆発を予感させる静寂。綺麗な笑みの男は、虚無を孕んだ瞳で敵を見る。


「《禍炎ッ》」


 暗殺者が魔力回路を組み上げた。その内部は僅かな凹凸もなく、構築速度も一流の域。研鑽を積んでこの技量に至ったのなら秀才。感覚でできるのなら天才。そういう次元の魔術だ。


 灼熱の炎が圧倒的な熱量で対象を呑み込まんとし―――


「あぁ、そういう構造なのか」


 ―――その全てを、即興でフェリクスが上回った。相手の魔力回路を見ただけで構造を把握し、平然と全く同じ魔方陣を展開して見せたのだ。


 そして、フェリクスの魔方陣から放たれた炎が、暗殺者の魔術を一方的に打ち破る。


「なっ―――」


「案外簡単なものだな」


「貴様、これは俺のオリジナルだぞ!?」


 オリジナル魔術。それは、既存の魔術には無いより特殊な用途を満たすために、自分で作り出す新しい魔術のことを言う。


 魔力回路の構造すら一から生み出すため、基本的にオリジナル魔術は世界に二つと無いもので、故にそれをその場で模倣するのは不可能に近い。


 暗殺者の《禍炎》は、幾つか特殊な効果を加えられた魔術であった。複製の難度は極めて高いと言えるだろう。


 そんなものをその場で解析するなど、最早人の所業ではない。


「こ、このッ、化け物が!」


「化け物、か。そうやって思考を放棄するのは楽だが、魔術師としては失格だな。奇跡に見えたとて所詮は魔術、種も仕掛けもある技術に過ぎないさ」


 フェリクスが特殊な何かを使っていないなら、一体どんな手段を用いたというのか。


 簡単な話だ。これまでフェリクスは様々な魔術に触れ、その度に『思考』と『試行』を繰り返してきた。数打ちゃ当たる、とも言い換えられる。要は、敵のオリジナル魔術の構造に似た魔術をこれまで多数扱ってきたから、迷わずに《禍炎》を複製できただけ。フェリクスの絶技の根底にあるのは才能でも奇跡でもなく、確かな積み重ねである。


「疾(シ)っ!!」


 圧倒的な差を見せつけられ唖然とする暗殺者の横で、もう一人の暗殺者が地を嘗めるような体勢で駆けた。魔術で駄目なら武術で。闇の世界で多用される詐術的な体術は、並の魔術師に防げるものではない。


 フェリクスを間合いに捉えた暗殺者が神速でナイフを突き上げる。


 顔を狙ったその突きを首を傾けるだけで回避したフェリクス。しかし、暗殺者の体術はここからが本番。ナイフの持ち手をくるりと回転させた暗殺者が、縦に突き上げていたナイフの軌道を横にねじ曲げる。さらに、フェリクスの視線をナイフに注目させながら、同時に脚払いを仕掛けた。


「甘いな」


 その全てが通じない。フェリクスは脚払いを仕掛けてきた敵の足を踏み砕き、ナイフを持つ手を押さえ込み、至近距離から暗殺者の目を覗き込んで穏やかに微笑む。


 そして、容赦なくゼロ距離で拳を叩き込んだ。


「がぁ!?」


 一撃で肋骨を砕かれた暗殺者が、呻き声をあげながら地面でのたうち回る。 


 ―――その直後、武術を扱う味方を囮にしてフェリクスの死角に回っていた暗殺者が、至近距離から超高度の魔力回路を組み上げた。先程魔術で敗北したことが認められないのか、その表情は憤怒に染まっている。


「《晴天を焼き尽くす獄炎よ!!》」


 呪術的な紋様を描いた魔力回路に、途方もない量の魔力が込められていく。やがて限界を迎えた魔方陣からガラスを引っ掻くような音が漏れ―――圧倒的な破壊が撒き散らされた。


 石材である瓦礫が青白い炎に包まれて燃え盛り、既に死体と化した暗殺者が数秒で灰と化す。人智を越えた熱量は瞬く間にフェリクスを呑み込んだ。


 数千度の炎。いくらフェリクスとはいえ、流石に死ぬだろう。だが、暗殺者は相手が生きている前提で距離を取った。


 その判断が、彼の命を助けた。


「な!?」


 暗殺者が数歩下がった直後、彼が直前まで立っていた地面が、剣山のように盛り上がった。そこに留まっていたら、間違いなく串刺しになっていただろう。


「二対一でこの様。一人遊ばせておく余裕があるのか?」


 炎から出てきたフェリクスは無傷。


「化け物め!」


 今の十数秒でフェリクスの中では格付けが済んでしまった。魔術でも武術でも劣る要素はない。普通に戦えば、確実に勝てる相手だ。


「《黒爪!》」


 とうとう、シャルロットたちを殺そうとしていた暗殺者までもが、対フェリクスに加勢した。


 虚空に数十の針が生成され、その全てが残像を引く速度でフェリクスを標的にして打ち出される。


「それは、こんな感じか?」


 試しに《黒爪》を真似てみるフェリクス。だが、今度は脳内にそれらしい比較材料がなかったのか、不完全な模倣となった。対処しきれなかった針が彼を襲う。

 降り注いだ針を結界で防ぎながら、フェリクスは―――暗殺者にとって悪夢ともいうべき言葉を吐いた。


「この魔術、俺の記憶に似た構造が無いのは無駄が多すぎるからか。この程度は記憶する必要もないな」


「そんな馬鹿なっ!」


「馬鹿はお前だ」


 無詠唱で風属性魔術を纏ったフェリクスが、一歩目から限界を超えて加速する。人類が知覚できる速度域を大幅に越えた踏み込み。『黒爪』を発動させた暗殺者は、フェリクスの接近に気付くことすらなく、手刀で首を切り裂かれた。また一人絶命する。それから、手に付いた血を拭うこともなく、フェリクスは残った暗殺者を見た。





 蹂躙劇が始まった。

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