第30話 常闇より深く暗く
シャルロットは必死に体を動かした。否、動かそうとして、しかし決定的に時間が足りなかった。
謝っても許されないような本当に酷いことをした。それでもエリナは過去を水に流してくれた。なら、これからはこの優しい少女に罪滅しをしようと、ようやくそのスタートラインに立てたのに、なのに奪われてしまうのか。
瞬き一つする間にエリナは目の前で崩れ落ちるだろう。シャルロットは自分の無力さを痛感し、手後れな現状を呪う。
―――もっと、力を。
まだ何が起きたのかを把握していないエリナに、必殺の魔術が飛来する。細い首筋を抉るような一撃が―――
エリナの命を奪わんと放たれた魔術が、突如として凍り付いた。魔術がである。それも、温度の影響を受けやすい水や土ではない。針の形をした闇が氷付けになった。
「私の前で殺しか。舐められたものだ」
全身から揺らめく冷気を発するエリュシエル。『黒騎士』と『魔女』亡き今、彼女こそがマーレア最強の魔術師である。
迸るオーラが辺り一体を支配し、エリュシエルという絶対の存在を焼き付ける。並の女性と変わらぬ体躯でありながら、その姿は誰よりも巨大に見えた。
「モルド、テッドとリオネルを守れ」
敵の魔術を無効化したエリュシエルは、モルドに命令を下しながらで無詠唱魔術を発動し、シャルロットとエリナを結界で囲った。
そして、全身から膨大な魔力を溢れさせ―――
それとほぼ同時、五人の暗殺者が暗闇から姿を現した。彼らは瓦礫を蹴り、着地点を操作しながら高速機動でエリュシエルへ迫る。
「《絶光》」
「《黒槍》」
「《禍炎》」
視界を奪うほどの光が暗闇を明るく塗り潰し、十数本の漆黒の槍が射出され、渦を巻く火炎がエリュシエルを焼き尽くさんとうねりを上げる。
どの魔術も一流の域。闇に紛れる暗殺者としては圧倒的な実力と言える。しかし一流程度の力では、エリュシエルの前では何の足しにもならなかった。
エリュシエルは発動途中だった魔術を別のものに切り替えると、自然に一歩を踏み出した。それだけで周囲の温度が急激に下がり、暗殺者の炎が勢いを削がれる。彼女が腕を振るえば、それだけで世界は白に染まっていく。
消去法の一番手と揶揄されているとはいえ、エリュシエルは間違いなくマーレアの『最強』。彼女が本気になれば、正面戦闘を不得意とする暗殺者数人など、相手にもならないのだ。
エリュシエルが膨大な魔力を魔力回路に流し込み―――
溜めに入った瞬間を狙い定めて、暗殺者の一人がエリュシエルに突貫した。即効性の毒が塗られたナイフに磨き上げられた体術。懐に入られたら厄介極まりない。またもや強力な魔術の発動を邪魔されたエリュシエルは、殺す対象を一人に絞って魔力回路を瞬時に組み直す。
「《凍れ》」
その一言で改編後の魔力回路に魔力が満ち、冷気に包まれた暗殺者が凍り付いた。一秒もせずに一人脱落。完全な氷像と化して倒れ、砕け散る。
だが、その僅かな時間の隙間を縫うように、別の暗殺者が死角からエリュシエルへ接近していた。
氷付けにされた暗殺者は囮。文字通り命懸けの時間稼ぎが、エリュシエルの隙を無理矢理作り出す。
「ハァッ!!」
接近して懐に潜り込んだ暗殺者が、エリュシエル目掛けてナイフを閃かせると同時に、魔力回路を組み上げる。ナイフの対処をすれば魔術で、魔術の対処をすればナイフで。絶対の二択を突き付けた。
「私を舐めるなよッ」
ナイフも魔術も暗殺者ごと凍りつかせようと、あり得ない量の魔力を魔力回路に込めるエリュシエル。発生した冷気が、悲鳴すらあげさせずに暗殺者を凍らせて―――
「――――がぁぁぁぁあ!!!?」
『白氷』の冷気を突き抜け、暗殺者の絶叫が戦場に響き渡った。それは自らが凍りつくことへの悲鳴ではない。声すら出せぬ程に凍りついていた暗殺者は、仲間の暗殺者が放った火属性魔術による激痛に叫ぶ。
明らかな致命傷。燃え盛る炎によって体の一部が炭化し始めるほど。それでも、無理矢理氷付け状態を溶かされた暗殺者が、壮絶な顔でナイフを振るう。
「チッ」
これには堪らずエリュシエルも後退し―――
その後退すら邪魔される。更に別の暗殺者が、エリュシエルの退路を遮って魔術を発動させていた。
「面倒な奴等だ!!」
一対一では敵わない。二対一、三対一でもまだ足りない。ならば、一人を犠牲に隙を生み出し、崩したところをそれ以上の人数で畳み掛けるだけ。エリュシエルの右腕を一人が、左腕を一人が、左右の脚を一人ずつが―――徹底したマークが、エリュシエルの全力を出させずに追い詰めていく。
それでもエリュシエルは倒せないだろう。一分もすれば、暗殺者は全滅する。ただ、一分も稼げれば彼らは目的を達成出来ると思っていた。
何故なら、他にも暗殺者はいるのだから。
エリュシエルに掛り切りになる五人の他、新たに四人の暗殺者たちが、結界の内側にいるシャルロットとエリナへと向かっていく。
「させんぞ!!」
「『黒の右腕』、お前の相手は俺だ」
駆け付けようとしたモルドの前に立ち塞がる男が一人。暗殺者の風貌をしているが、その身から揺らめく雰囲気は武人のそれであった。
「貴様っ!」
誰よりも黒騎士を知る男が間合いを詰め、鞘から抜き放った剣を一閃させる。同時に、魔術で相手の足元をぬかるみに変え、足を奪う。絶妙なタイミング。エリュシエルに比べれば華やかさも派手さも無いが、紛れもない強者である。
それは暗殺者の男も同じであった。男は地面を強烈に踏み込むことでぬかるみを無効化し、迫る剣身の腹を手の甲で弾くと、 踏み込む力を利用してモルドの胴体に左足を叩き込んだ。
「ぐっ!?」
予想外に重い一撃を受け流しつつ、モルドは無意識の内に距離を取った。そして、目の前の男を出し抜くことは出来ないと確信する。
それでも彼は暗殺者へ攻め込んだ。一度に複数の相手をしているからか、エリュシエルの張った結界が揺らいでいるのだ。万が一破られるようなことがあれば―――
「そこをどけぇ!!」
⚪️
テッドとリオネルのことは完全無視して、四人の暗殺者は結界に様々な魔術をぶつけていく。それを内側から見ているしかないシャルロットとエリナは、互いにすり寄ってただ震えていた。
先程から結界に揺らぎが出てきた。このままいくと―――
ガラスが割れるような音と共に、結界に大きな罅が走った。
「……ぅ…ぅ……あ…っ」
過剰に反応して泣きじゃくるエリナ。シャルロットもそうしたい気分であったが、彼女はなんとか己を奮い立たせていた。
「大丈夫よ。私がなんとかしてみせるわ」
(ずっと酷いことをしてきたのよ。エリナは私が守らないと)
何故暗殺者が送られてきたのかと疑問を持つのは愚。血筋、家の派閥、思い当たる節は腐るほどある。エリナは貴族社会の争いに巻き込まれただけ。
だからこそ、今ここで自分が守ってあげないと。
結界の崩壊は近い。まだエリュシエルもモルドも、敵と戦っている最中だ。頼れるのは自分しかいない。
シャルロットは、正面の四人を睨み、結界が破られるタイミングに合わせて魔力回路を組み上げていく。
しかし、次の瞬間。
シャルロットの視界の中で、突然暗殺者の一人が地面に崩れ落ちた。その後ろから姿を現したのは、返り血に濡れたフェリクスであった。
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