第29話 襲撃

 もう日も傾き始めた頃になって、ようやく一行は最後の場所にたどり着いた。

 シャルロット達を先導していたモルドが立ち止まり、正面に見える『それ』を指差す。

「ここで最後だな」

「ここは作戦本部だった場所、よね?」

 シャルロットの言葉が疑問系になるのも無理はない。目の前にあるのは確かにアルレガリアの作戦本部だったもので間違いないのだが、だからこそ徹底的に破壊されたため、ほとんど原形を留めていないのだ。唯一残った司令塔も半壊しており、瓦礫と化した様は無惨の一言に尽きる。

「ああ、そうだ。間違いない」

「じゃあ、ここで黒騎士様は亡くなられたんすね」

「………あぁ、そうだ」

 ロンダルシアとの戦争の最終局面。黒騎士はアルレガリアの全てを利用して敵軍の侵攻を塞き止め、最後には司令塔前で敵将と刺し違えた。

 モルドは、主が血にまみれて倒れ伏す姿を思い出し、腸が煮えくり返るような情動を抑えることができなかった。英雄の腹心とまで呼ばれた男から、僅かに殺気が漏れる。

 空気が塗り替えられた。男を中心に流れ出る殺気が瞬く間に広がり、終戦から四年の時を経た廃虚に血生臭さが戻ってくる。

 エリュシエルはそれを軽く受け流す。しかしシャルロットをはじめとする生徒達は皆一様に腰を抜かし、その場に座り込んでしまった。

「おい、抑えろって」

「―――ぁっ。申し訳ない」

 エリュシエルと同様に平然としていたフェリクスは、モルドを咎めながら近くのエリナに手を差し伸べた。その横でシャルロットが不満そうな顔になるのは内緒だ。

「びっくりしたっすよ」

「本当、殺されるかと思ったね」

 ただ堪えきれなかった殺気が漏れただけで、仮にも魔術を学ぶ者達を怯えさせる。それだけ恐ろしいのだ。英雄の腹心という存在は。震えながらもなんとか立ち上がったテッドとリオネルは、何となくそのことを理解した。

「俺が未熟なばかりに、本当に申し訳ない」

「…い……ぶ…」

「?」

 モルドの謝罪に言葉を返したエリナだが、エリナ語を知らない彼はなにも理解できなかった。

「……だ……じょ…」

「む、それは一体………?」

 疑問符を浮かべる英雄の腹心にリオネルが呆れ顔で横から口を挟む。

「エリナはいつもそんなだから、別に気にしなくてもいいんじゃない?あとシャルロットさん、さっさと立ち上がりなよ。一人で立てないの?」

「立てるわよ!!この馬鹿!!」

 何故かフェリクスを殴りながら立ち上がるシャルロット。

「何で俺?!」

「私だって知らないわよ!」

「理不尽っ!!」

「あなたの消費する全てが世界にとって理不尽だわ!!」

「うわこいつ!言っちゃいけないこと言いやがったな!?」

「何処が言っちゃいけないのよ!一語一句すべてが完璧だわ!道徳の教科書の一頁目に載せるべきよ!!」

「んなクソみてぇな教科書あって堪るか!!」

「…………くすっ」

「「笑った!?」」

 二人の言い争いで、エリナの表情が僅かに綻ぶ。フェリクスもシャルロットも、エリナの笑い声を聞くのはこれが初めてだ。思わずいがみ合うのも止めて振り返る。

「そんなに気になるなら、初めからいじめなければ―――」

「リオネルはちょっと黙ってるっす」

 テッドに後ろから口を塞がれたリオネルは割愛。

 エリナの笑顔を見て喜んだシャルロットは、 しかし自分がこれまでしてきたことをリオネルの言葉から思い出して俯いた。

 場がなんとも言えない空気感に包まれる。

 だが、その気不味い静寂を破ったのは、他ならぬシャルロットだった。

「―――エリナ、少しだけいいかしら?」

 コクコク。

 決意を固めた表情をしたシャルロットがエリナの手を取り、それからエリュシエルの方を見る。

「あの、少しだけ二人になってもいいですか?」

「視界からいなくならないのであれば構わない」

「ありがとうございます」

 エリュシエルの許可を得たシャルロットが、エリナを連れて皆から距離をとっていく。

 その危険性を考慮し、モルドが生真面目に護衛として二人について行こうとした。その前にフェリクスが立ち塞がる。

「まあ待てって。あいつにとっちゃ重要な話なんだよ。二人だけでやらせてやってくれ」

「そう、なのか?」

「まあな」

「なら仕方が無い」

 そう言って引き下がったモルドは、周囲に数個の魔力回路を組み上げた。瞬時に発動待機状態にまで持っていったそれらは、莫大な魔力によって目映い光を放ちながら浮遊する。

 プロの技を見たテッドとリオネルの目が点になる。

「だが、何かが起これば俺は直ぐに割り込む」

「俺もそのつもりだ。別に構わねぇよ」

 シャルロットを優先に立ち回るフェリクス。そんな彼を盗み見るエリュシエルは、やはり表情を憎しみに歪めていた。

 だが、シャルロットの背を見る皆は、それに気づかない。フェリクス自身は気付いたが、彼はそれを無視してシャルロットに視線を送っている。

 ここでわだかまりが無くなれば良いと、願いながら 

??

 フェリクス達に声が届かないよう、十メートル程離れた風下に移動したシャルロットは、正面に立つ少女をじっと見つめた。

 鳶色の綺麗な髪の毛、平民の出ゆえの白過ぎない健康的な肌、愛らしい顔立ち。貴族的な華やかさとはほど遠い容姿だが、親しみやすい可愛さは羨ましいとすら思う。

 これだけ可愛くて魔術の才能にも恵まれ、そして何より家庭にも恵まれている。少し前までの自分は、それが許せなかったのだ。

 貴族に生まれたいわけではなかった。父を振り向かせられるだけの力が欲しかった。以前のような愛をまた受けたかった。

 エリナはその全てを持っていた。

 しかしそれは、誰かを虐めていい理由にはならない。

 一体、何と言えば許してもらえるのだろうか。

 シャルロットはそれを考えた。考えて、考えて、考え抜いて。そうして捻り出した言葉はただひとつ。

 本当に申し訳ないと思ったときは、余分な言葉で飾ろうとすることすら思わなくなるらしい。

「エリナ。謝って許されることではないけれど、それでも私にはこれしかできないわ」

 金で解決できることではない。そうなったとき、シャルロットはなんの責任も取れない。

 だから、シャルロットは頭を下げた。自分でどうこうできることではない。エリナに許しを乞うしかないのだ。

 これ以上に情けない話はない。当然、許してもらえな――――

「…も……ぅ、……だい……じ…ょ…ぶ…」

「え?」

 エリナが絞り出した言葉には、どれだけの感情が、苦しみが込められているのだろうか。何度も止めてと言われ、その度にシャルロットは虐めることをやめなかった。エリナのなかにも心を引き裂くような苦しみが沈殿しているはずなのに、それでも彼女はその全てを許すのだという。

 優しい。あまりにも優しすぎる。

 シャルロットはゆっくりと顔を上げた。そうして見えたエリナに―――

「エリナ!!」

 細い針のような魔術が、エリナの首もとに迫っていた。

 夕闇に紛れて黒い影が翻る。夜の世界が光を呑み込んだ。

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