第19話 訓練

 早朝の学院。

 美しい装飾が施された正門から見えるのは、広い空間の真ん中を通る白い石畳の道と、その左右を飾る腰ほどの高さの植木だ。朝露に濡れる草葉は青々と輝いている。

 美しく見せることを計算されたその通りを抜けると、中庭が見えてくる。マーレア王国の威信をかけて作られたその場所は、世界中から厳選された植物に彩られていた。緑だけではない。鮮やかな赤や黄色の他、様々な色の花が、互いの特徴を殺し合うことなく一つの作品として融和していた。

 そこを抜け、再び長い石畳の通りを進むと、ようやく校舎が見えてくる。

 それまでは、貴族的美意識を基に設計されていた学院の敷地内。しかし、校舎の様相は一転して無骨な機能美に溢れていた。

 マーレア王国最高の魔術学院であるハーレブルクは、常に最新の技術を取り入れており、生徒の学びの場である校舎は最もその影響を受ける。

 故に、美意識よりも機能性を重視した建築用式になるのだが、極限まで突き詰めた機能性は、それはそれで一つの美としての趣があると評判だ。

 国が注力して作り上げたハーレブルクは、どこを見ても様々な美しさに満ちていた。

 午前六時を知らせる鐘の音がマーレガリアに響いてから僅か数分。まだ早朝というべきこの時間帯に学院にいるのは、研究狂いの教授や夜番の警備員と決まっているのだが、今日は珍しい顔があった。

「こんなに朝早く起きたのは久しぶりだわ」

 若干眠そうな顔をしたシャルロットが、あくびを噛み殺しながら敷地内を歩いていた。

 美しさを極めた石畳の通りが淡い朝霧に包まれる様は幻想的で、そこを行くシャルロットは妖精か天使のように映る。

 その内面は天使とも妖精とも全く異なる悪魔のような少女は、足取りを速めて校舎裏に向かっていった。

 表からは見えない学院の影。マーレア王国はそんなところまで気にしているのか、シャルロットが向かった校舎裏でも、美しさは全く損なわれていなかった。

 いや、正確には、損なわれていた。

「―――すぅ、すぅ、すぅ」

 不健康な見た目の青年が、壁に寄りかかって睡眠を取っていた。完璧を極めた光景の中で唯一の汚点。寝息が妙に綺麗なのも苛立ちを誘う。

「何で寝てるのよ!」

 堪らず、シャルロットはフェリクスに魔術を打ち込んだ。

 滅茶苦茶に撒き散らされた魔術の水が、睡眠中のフェリクスを襲う。シャルロットは用務員が濡れ鼠になる光景を想起した。

 だが魔術が直撃する寸前、緩やかに目を開いたフェリクスが無詠唱で魔術を発動する。目を覚ましてから魔術を発動するまでの時間は僅かコンマ一秒。結界がシャルロットの魔術を押し返した。

「あぁ、お前か」

 今さら気づいたように喋るフェリクス。シャルロットは、これをからかわれていると受け取った。

「何よ、起きてたんじゃない」

「はあ、ねみ」

 ショボショボする目を擦る様子からは、彼が一流の魔術師であることなど感じられない。それが何より恐ろしいということを、シャルロットはまだ知らない。

「昨日は遅くまで何してたのよ」

「聞きたいか?」

「別に興味はないわ。それより、早く魔術を教えなさいよ」

「へいへい」

 面倒臭そうに溜め息をつき、のそのそと教科書を広げるフェリクス。シャルロットもそれを見て溜め息をついた。

「はやくしなさいよ」

「これでも急いでんだよ……と、よし。んじゃ始めるか」

 切り株に腰掛け、公爵令嬢を立たせたままフェリクスはあくびをかます。シャルロットはこの扱いに文句を言うべきだろう。

「なあ、何で第四階梯魔術が上手くいかないか、考えたことあるか?」

「難しくなってるからでしょう?」

「まあそうなんだがな。もっと正確に言うと、第四階梯からは魔術に特色が出てくるんだよ」

「特色?」

 シャルロットは、彼の言葉をおうむ返しにした。

「そう。これを見てみろ」

 フェリクスが教科書の図を指差す。その図は魔術師であれば誰でも知る基礎中の基礎。

「《ネロウ》の魔方陣ね」

 いつぞやの授業でメインに扱った魔術の魔方陣であった。

「そうそう。バカでも知ってる魔方陣だ。んで、《ネロウ》の魔方陣の模様、特に真ん中らへんをよく覚えてから、その隣の魔方陣を見てみろ」

「真ん中?」

 言われた通り《ネロウ》の魔方陣の中心部分の形を覚え、それから隣のページの魔方陣に目を移すシャルロット。

「こっちは《ネロウ》と同じ第一階梯魔術の《エア》だな。属性は風だ。この二つを見比べて思うことはあるか?」

「似ている、わね。というより全く同じ構造のところがあるわ」

 シャルロットの指摘通り、《ネロウ》と《エア》は魔方陣の中心部分が全く同じ構造をしていた。ちょうどフェリクスが覚えておけといった場所である。

「そうだろ?同じだろ?じゃあなんで同じ形になると思う?」

 教師のように、というよりはワクワクを抑えきれない少年のような笑みで問うフェリクス。シャルロットは少し考えてから、しかし答えが出ずに首を横に振るった。

「分からないわ」

「正解は、魔方陣の構造にも意味があるから、だ」

「つまりどういうことよ」

 シャルロットの返答に唸るフェリクス。数秒後、フェリクスは《ネロウ》の魔方陣の中央部分を丸く羽ペンで囲ってみせた。そしてそこをトントンと叩いて説明を始める。

「そうだな……俺が覚えとけって言ったこの中央部分は、《魔術を発動させる》って意味を持ってるんだよ。当然なんだが、魔術は発動させなきゃ発動しないだろ?いわばトリガーの役割だな。だからこの真ん中の紋様は、この二つの魔方陣以外にも、ほぼ全部の魔方陣に共通して見られる形だ」

 そう言ってフェリクスは教科書をペラペラと捲り、第四階梯魔術に関する項を開いた。

「あっ!」

 思わず声をあげるシャルロット。フェリクスが開いたページに載っている第四階梯の魔方陣には、確かに《ネロウ》や《エア》の中央部分と同じ紋様が含まれていたのだ。

「な?言った通りだろ?」

「でもこっちのは小さいわ」

 シャルロットの指摘通り、《エア》や《ネロウ》の魔方陣に含まれる共通の紋様が全体の面積の六割程を占めているのに対し、第四階梯魔術に見られるそれの面積は一割にも満たない。

「今からその理由を分かりやすく実演してやるから、目ぇかっぽじってよく見とけ」

「目をかっぽじったら何も見えないわよ」

「……いや、マジで返してくるのやめてくれない?」

 情けない声を上げつつフェリクスは左右の手に魔方陣を構築した。その二つはパッと見全く同じように見えるが、注視すると右手の魔方陣がより複雑になっていることが分かる。

 少し離れた木に向けて、その二つの魔術を同時に発動させたフェリクス。右手の魔術より射出された水流は細く、そして恐ろしい圧力で木の幹を貫く。一方で左手の魔術から放たれた水流は弱く、幹をいくらか傷つけるに留まった。

「第三階梯までの魔術に明確な目的を持たせたのが第四階梯なんだよ。たった一つの行程を加えるだけなんだが、それがまあ難しくてな。第四階梯は皆が躓く。ちなみに、今発動させた魔術は、右が第四、左が第三階梯だ。右のやつは、『水流を打ち出す』に加えて『殺傷能力を込める』って意味が含まれた魔術だな」

 水に濡れた手をバタバタさせながら振り返ったフェリクスが、シャルロットに語り聞かせる。

「そうなのね」

 そのように考えたことがなかったシャルロットは、感心して頷いた。それから、まだ手をバタバタさせているフェリクスにハンカチを渡した。

「ああ、サンキュ。で、第四階梯で大事になるのが魔力回路だ。なあ、魔力回路の良し悪しって何で決まるか分かるか?」

「魔力回路の組み方と、内側よね」

 その言葉を聞いて、再び無詠唱で魔方陣を構築してみせるフェリクス。一秒もかからずにそんなことができる魔術師は、世界一の魔術都市であるマーレガリアにすらほとんどいない。シャルロットは呆れ混じりの視線を向けるが、当の本人はそれを無視して説明を続けた。

「内側っていうと分かりにくいな。まあ、魔力回路は血管みたいなものだと思え」

「血管?あの講師は水を通すホースに例えてたわよ?」

「俺は血管だと思ってんだが、まあどっちでも変わらねぇよ。魔力操作が下手な奴が魔力回路を組むと、魔力を通す道がグチャグチャになるってことが分かればそれでいい。管の横幅が不規則だったりすると血が通りづらくなるだろ?」

「最悪詰まるわね」

「そうだろ?魔力回路も同じなんだよ。でも下手くそな魔術師は、その状態で魔術を発動しなくちゃならない。そうしたら、大きな魔力で無理矢理押し流すしかないだろ?それが力の無駄遣いってやつだ。上手い魔術師は、魔力回路の内側をなるべく均等に、ムラなく作るんだよ」

「―――だから下手な魔術師は多くの魔力を消費して、逆に上手い魔術師は少ない魔力で魔術を発動させるのね」

 シャルロットにとって、それは元々知っていた知識に他ならない。だが、実際にその道のプロフェッショナルから受けとる言葉には重みがあるのか、彼女は真剣な表情で聞いていた。

「そういうこった。で、魔力回路の良し悪しを決めるもうひとつの要素が、組み方だ。ほら、何時だか授業で見本になった俺の魔力回路があっただろ?あれは呪術的な模様を描くように組んで、通した魔力が増幅するようになってたんだが、気付いたか?」

「気付いたわよ。つまり、内側で消費魔力を減らして、同時に組み方を工夫することで魔力を増幅させるのが、一番優れた魔力回路なのね」

「まー、組み方の方はお前にはまだ早いけどな。三年後くらいに手が出せるようになってれば、十分なんじゃねぇの?」

「そんなにかかるものなの!?」

「あほ。魔術舐めんな。俺だってまだ途上だっつの」

 その言葉に面食らうシャルロット。彼女からしたら、フェリクスの魔術は完成形にも等しい。さすがに信じられなかった。

「まあそういうこった。ほら、人間の一生は短いんだから、さっさと始めるぞ」

 そう言ってシャルロットを急かすフェリクス。

 こうして、二人の魔術特訓が始まった。

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