第10話 魔術の授業

 翌日の実験室にて。

 相変わらずの白衣姿のルークが、黒板に実験の注意事項や組み上げる魔力回路の見本を書きながら、説明をしていく。

「一年かけて魔術とはなんたるかを学んできた君たちにこれを教えるのは、今更かもしれないけど―――テッド君」

「オッス!」

 テッドと呼ばれた平民の男子生徒がふざけた返事をして、生徒たちの笑いを誘う。

 それを咎めないあたり、ルークは理解のある講師なのだろう。

「うん。気合いは十分みたいですね。じゃあ質問です。魔術とはなんでしょうか?」

「え?魔術?魔術っつったら、魔術じゃないんすか?」

「その回答では、家を指差してあれは家だと言ってるようなものですよ。僕は家の名称ではなく、その構造について聞いています」

「あー、そういうことっすか。魔術っていうのは、あーーーー、魔力で魔方陣を作って発動させるもの、すか?」

「その言い方は間違いではないですけど、説明を省きすぎですよ。正解はまあ、論より証拠っていうわけで」

 そこで一息つくと、ルークは右手をかざした。

「《水の精霊よ・我が意を汲み取り・原初の恵みを与えよ》」

 詠唱を口にすると、彼の右手が仄かに光を帯びる。確かな輪郭を持たないそれは、次の瞬間には魔力の力によって魔方陣と成った。

 芸術的とも言える完成度の魔方陣。その美しさ、何より実力の高さに、生徒たちは思わずため息を漏らした。

 が、普段からフェリクスとふざけあっているルークである。彼を見る生徒の視線にリスペクトは含まれない。

「見て分かる通り、これは水属性第一階梯魔術、《ネロウ》です。ではティレアさん」

「なんですの?」

 黒髪ツインテールのお嬢様然とした少女が指名される。

「魔術が発動するまでの行程は、魔力回路を組み上げる、組み上げた魔力回路に魔力を通す、そして最後に魔術を発動させる、という三段階に別れています」

「それがどうかしたんですの?」

「この三つの行程のなかで、最も重要なのはどれか、ティレアさんは分かりますか?」

「確か、魔術回路の組み上げですわ」

「そう。魔力回路は魔術の発動において、最も重要とされます。ではここで、一つ実験をしましょう」

「センセー、これなんすか?」

 ルークの言葉を遮り、それぞれの班に一つずつ配られた魔導具を弄りながらテッドが問う。

 それを見たルークがそれまでの笑みを消し、真剣な表情をして声を張った。

「テッド君!先生の指示があるまでは、魔導具に触れないように!」

「あっ、すみません」

 叱られたテッドは肩を小さくして縮こまった。またクラスに笑いが巻き起こる。だが、今回はルークが口を挟んだ。

「皆さん、これは笑い事ではありませんよ。何度でも言いますが、魔術は人を傷つける危険な技術です。それを扱う場で、勝手なことはしないように」

「ほんとにすみません」

「次、同じことを繰り返したらもっと怒りますからね」

 テッドがしおらしく頷く。実験室が微妙な雰囲気に包まれた。さっきまでのほどよい緊張感が、気不味いものに変わっている。

 しかし―――

「先生、一通りの事に理解を示す寛容さで有名ですが、魔術に関することだけは許しませんから」

 その一言で、小さくない笑いが起こった。

「先生、全然寛容じゃないだろ!」

「そうですよ。この間なんか、教室で僕らの目の前でデザート食べてて、一口も分けてくれなかったじゃないですか!」

「そもそも昼休憩の時以外お菓子を食べるのは禁止なんですよ!」

「うるさいですね!講師権限です!!」

「「「理不尽だ!」」」

 あっという間に雰囲気に明るさが戻った。

 実験室の端に座って話を聞いていたエリナも、無言で笑っている。

 その間シャルロットはその会話を無駄と断じ、手元のノートに魔方陣を書いて勉強をしていた。表情にはどこか鬼気迫るものがある。

「ええと、どこまで話しましたっけ。ああそうでした。実験でしたね。では皆さん、各班に一つずつ配った二種類の魔導具を見てください」

 生徒たちは、似た形の二つの魔導具を見比べた。

 ルークの説明が続く。

「それは、どちらも《ネロウ》の魔力回路が埋め込まれた魔導具で、魔力を込めれば魔術が発動するようになっています。今から五分ほど時間をあげますから、その二つを使い比べて気付いたことをノートに書いてみてください。ちゃんと班の全員が触れるようにしてくださいね」

「「「はーい」」」

 生徒たちが魔導具で実験を始めた。騒がしくなる室内。だがそれは私語ではなく、二つの魔導具を考察の対象とした会話である。彼らは次代を担う魔術師の卵。こういう場面では皆が本気だ。

 実験が始まって一分ほど。幾つかの班から、こんな声が上がり始めた。

「こっちの魔導具だと、魔術が発動しないぞ?」

「だよね。私もぜんぜん上手くいかない。なんか邪魔されてるっていうか、魔力の流れが重たい感じ」

「だよな。こっちの魔導具、なんか壊れてね?」

 ルークはそんな生徒たちの新鮮な会話で笑顔を浮かべながら、実験室内を回っていく。そして生徒になにかを質問される度に、的確な答えを返していく。

 シャルロットの班でも同じようで、魔術が発動しない魔導具についての議論が交わされていた。

 そんな生徒たちを見守りながら、ルークが端の班に足を運ぶと、そこではエリナが班員に見守られながら実験を行っていた。左右の手に魔導具を持ち、順番に魔力を込めていく。

 まず右手の方。こちらは普通に《ネロウ》が発動し、僅かな水が生成された。

 だが、左手の方は上手くいかなかった。どれだけ魔力を込めても、魔導具は小さな光を帯びるだけで魔術にならない。

「エリナちゃんでもできないって、やっぱりこれ壊れてるよ」

「いや、何か理由があるかもしれないだろ?」

「理由ってなによ?」

「さぁ?」

「…ぁ?……あ!」

 突然エリナが珍しく大きな声を上げる。班員のみならず、クラス中の生徒の注目がそちらに集まった。

「エリナさん、どうかしましたか―――なっ!?」

 ルークも心配そうに声をかけ、だがエリナを見ると驚愕の表情を浮かべた。

「まさか、発動できちゃいましたか」

 そう。クラスの誰もが、シャルロットですら発動できなかった魔導具が、エリナの手によって正常に動いていた。

 シャルロットがそれを恨めしそうに睨み付けるが、エリナに注目したクラスはその視線には気付かない。

「おっと、五分が経過しました。では皆さん、前に注目してくださいね。さあ、何か気づいたことはありますか?」

「はい!」

 ここでもテッドが一番乗りだ。

「ではテッド君」

「こっちの魔導具は普通っすけど、こっちは壊れてるっす」

「曖昧すぎますよ。却下」

「そんなぁ!」

 またもや笑いを誘うテッド。どうやらお調子者的な立ち位置にあるらしい。

 今度は別の生徒―――高貴さが振る舞いから滲み出るほどの少年が挙手した。

「ルギウス君、どうぞ」

「僕が思うに、発動しない方の魔導具は壊れているわけではない。恐らく何かしらの理由があって、エリナさんだけが発動できたんだ。僕たちと彼女の違いと言えば、保有魔力量や魔力回路の構築速度など―――まあ平たく言えば才能だろう。そして、僕がこの魔導具に感じた重いという感覚。これ、意図的に魔力の流れを阻害するように作られているよね?」

「正解だよ!!いやぁ、嬉しいですねぇ。昨年度は正解者が出ませんでしたから。ルギウス君、流石です」

 誉められた少年は誇らしげな顔で席に着いた。

「そうです。こちらの魔導具は、意図的に魔力の流れを阻害するよう設計されています。まあ、エリナさんは無理矢理発動させてしまったんですがね。はは、あんな事態は講師になって初めてでしたよ」

「すごいっすね!やっぱエリナちゃんは最強っす」

「ねー。いいなぁ。私もあんな風になれたらなあ」

 平民や低い貴族階級の生徒がエリナを讃える一方、位の高い者達はよくない顔をしていた。己の失態を悟り、ルークは慌てて話題を方向転換させる。

「はい皆さん!今はエリナさんの話ではありませんよ。この魔導具についてです!ルギウス君」

「はい」

「この魔導具ですが、どんな風にして魔力の流れを阻害していると思いますか?」

「いや、そこまでは分からなかった」

「そうですか。では、先生から正解を言いましょう。正解は、魔力回路をグチャグチャに組み上げた、です」

「「「魔力回路?」」」

 生徒たちの声が重なった。その疑問も無理はない。なにせ、彼らが一年時で学んだのは、魔力回路を組み上げ、組み上げたそれに魔力を流して魔方陣とし、その魔方陣で魔術を発動させるという流れだけだ。

 肝心のそれらの関係性については未修学なのだ。

「はい。魔力回路の良し悪しは主に二つの要素で決まるのですが、その質が悪いと魔力の通りが悪くなったりするんですよ。これが、一方の魔導具が正常に作動しなかった理由ですね。では、良し悪しを決める二つの要素とはなにかという話ですが、一つが内側の構造。もう一つが、魔力回路が描く紋様です」

「ああ!!そういうことか!」

 ルギウスが大声をあげた。他の優秀な生徒たちの何人かも、ハッとした表情をしている。

「既に分かった人もいるようですが、説明を続けますね。 まず、魔力回路は水を通すホースのようなものだと考えてください。例えばですが、不器用な人間が作ったホースは、内側が凸凹になっていたり、ホースの横幅が急激に広くなったり狭くなっていたりします。そんなホースに水を通そうとしても、当然つっかえますよね。一方、内側が均等に整えられたホースは、スルスルと水を吐き出すでしょう。この二つを比較したときに水の出が悪いのは前者で、これと同じことが魔力回路にも言えるのです。魔力操作が下手な人間が組み上げた魔力回路は、その内側がグチャグチャで魔力の通りが悪くなります」

 種明かしをされた生徒たちが、「あぁ~」

と納得した声を漏らした。

「それだけじゃありませんよ?魔力回路の内側の良し悪しは一般的には『綺麗』『汚い』という表現をされるのですが、汚い魔力回路に無理矢理魔力を流そうとしたら、大量の魔力で無理矢理押し流してやる必要があります。つまり、綺麗な魔力回路と比較して、魔術の発動に必要な魔力量が増えるのです」

 テッドを含め、生徒の顔から笑みが消えていた。ルークが話す内容はそれほど重要な点を含んでいる。

「で、そんな面倒なことをしていたら、当然時間も掛かりますよね?だから魔力回路が重要なのです。綺麗な魔力回路を組み上げることができれば、少ない魔力量、少ない時間で優れた魔術が発動できます。これが、魔力回路を良し悪しを決める一つ目の要素です。そして二つ目は描く紋様についてなのですが、こちらは高度な技術なので、今の皆さんには必要ありません」

「えー、教えてくれないんすか?」

「はい。教えてあげませんね」

 先程叱られたのが効いているのか、テッドはしつこくせずに引き下がる。だが、落ち着かない様子でそわそわしていた。それは他の生徒達も同様だ。全員が、今学んだ事を活かしたいとうずうずしている。だが、ルークは、

「では皆さん。ここでもう一度魔力回路について触れておきましょうか」

「えー、なんでっすか?早く次のステップに行きたいっすよ!」

「テッド君。折角魔力回路についての知識を得たのですから、その完成形を見ておきたいでしょう?」

「完成形?」

「はい。先生、今日の授業のために、とある魔力回路のスペシャリストから、完璧な魔力回路を用意してもらいました」

「ほんとっすか!?」

 テッドの、否、シャルロットすら含めた全員の瞳が輝いた。彼らはたった今、魔術に関する知識を一つ発展させた。今日の内容だけで、できることが十から百に増えたのだ。

 その元となった技術のスペシャリスト、一体どのような魔力回路なのかと胸を膨らませ―――

 そして、ルークが教卓の下から取り出した魔力回路を見て、言葉を失った。その完成度の高さに。

 魔力回路とは、魔力を通す前の魔方陣、その構造を指す。

 魔力の伝達を効率良くするために、ムラのない綺麗な回路を組み上げる。それは、実は魔術を発動させる過程で最も大切な部分である。

 例えば、普通の魔術師がある魔術を十の魔力で発動したとしよう。

 仮にその魔術師の保有魔力量を百と定義したら、彼は同じ魔術を十回しか発動できない。

 だが、魔力回路を巧く組み上げられる魔術師であれば、五の魔力でその魔術が発動できるのだ。

 更に巧い魔術師であれば、四、三、二、一と、より少ない魔力で事を行える。

 それがどれ程の利点となるかは、言わずとも分かるだろう。

 だからこそ、魔力回路は地味な作業であるが、何よりも重要視されるのだ。

 そして、生徒たちの目の前の用意された魔力回路は、その技術の最先端に位置していた。

「なんすかそれ!?」

 まだ魔術を習って二年目。しかし、若き才能は眼前の魔力回路に込められた叡知を敏感に察知する。その場の誰もが度肝を抜かれていた。

 一体の無駄なく、均等に整えられた道筋。それは、芸術的という言葉すら足りない圧倒的な到達点だ。

「すげぇ!!こんなのあるのかよ!」

「見てこれ!ただ平坦に組んでるだけじゃない。魔力伝達効率を上げるためか、あえて複雑な、古い紋様みたいな回路にしてある」

「この部分なんてもう一個の魔術だぞ!?なんだよこれ、やばすぎだろ!!」

 驚愕しながらも、生徒たちは観察を怠らない。そうして次々に露になる発見の一つ一つが

、それ単独でも表彰されるべき技術の完成形である。

(フェリクスさん、実は楽しんでやったでしょ。ここまでのものを作れとは言わなかったんだけどなぁ)

 ルークは困り顔で笑うばかりだ。これだけの興奮に包まれてしまった実験室は、もうまともな授業にならないだろう。

「これ、どう考えてもあの用務員じゃない」

 シャルロットは誰にも聞こえないように呟いた。ルークがこれを頼める人物の中から他に思い当たる節が無い。

 取り巻き達も同じ考えに至ったのか、目を白黒させて固まっていた。

 ひとしきり観察を終えた生徒達は、今度はルークに詰め寄った。

「先生!これはどなたの魔力伝達なのですか!?高名な魔術師なんですよね!」

「あっ、はは」

 高名。その言葉とはかけ離れた男の姿を想像して、ルークは乾いた笑みを浮かべる。今頃彼は森林浴でもしているのだろうか。

 ここで彼の事を教えてクラスを混乱に叩き落とすのも面白そうだ。だが、それは生徒を第一に思うルークの主義には反するし、無能用務員は無能のままでいたいだろう。

 ルークの言葉は決まっていた。

「内緒ですよ」

「えぇ、何でですか!?」

「教えてくれたっていいだろ!」

「そうっすよ!先生ばかりずるいっす!」

(だって、教えたって信じないじゃないか)

 全くもってその通りだが、これは十割フェリクス側に問題がある。

「こればかりは教えません。先生、これを作った人の事を口外しないことを条件に協力してもらったんですから。次の授業でも力を貸してくれるかも知れませんが―――もし正体がバレるようなことがあれば」

 そこで言葉を区切ったルークは、魔力回路を興味津々な様子で見つめるエリナとシャルロットに視線を向けた。

 他の生徒達は気付かなかったが、それを向けられた当人達は顔を上げてルークを見返す。

(内緒でお願いしますね)

 決闘騒ぎで彼の実力を知ってしまった彼女らに、ルークは割りと必死な表情で訴える。

 これにはエリナもシャルロットも素直に頷いた。シャルロットが言えば、取り巻き達も口を閉ざすことだろう。ルークはひと安心である。

 まあ、本当に素直に頷いたのはエリナだけで、シャルロットには『これで間接的とはいえ、あいつから魔術を教えてもらえる』

といった魂胆があるのだが。

「はい皆さん!この魔力回路は、しばらく教室に置いておきますから、今は授業に集中しましょうね」




「―――っていう感じだったよ。フェリクスさんの魔力回路はすごく好評で、好評すぎて怖かったくらいだ」

「へー。まあ、どうでもいいけどな」

 約束通り高級レストランで夕食を奢って貰っているフェリクスは、肉汁したたるステーキを妙に洗練された所作で切り分けながら、興味無さそうに返事をした。

「顔がにやけてるよ」

「うるせぇ」

 暴言を吐きながら、それでもやはり完璧な所作でステーキを口に運ぶフェリクス。着ている服がこの店の格に見合っていないため、最高に似合わない。

 こんなところでも二度見の男は健在であった。

「また頼んでもいいかい?」

「嫌だね!あれ作るの三十分も掛かったんだぞ?!」

「三十分で作れたのかい!?本当にフェリクスさんは何者なんだい?なんかステーキを食べる所作も綺麗だしさぁ。貴族の服装をしていても違和感が無―――いや、やっぱり違和感はあるね」

「俺は用務員だっての。それ以上でも以下でもねーよ」

「ふーん。それならまあいいけど」

 平坦な声色。だがそれは、意図的に平静を装ったかのような声だ。暗に踏み込んでくるなと言われたのを察して、ルークは追求をやめた。

「で、今度魔力回路を使った実験があるんだけど―――」

「飯一回。それで手を打とう」

「なんだかんだ言って、やっぱり君も楽しいんじゃないか」

「うるせぇ」

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