第11話 一人ぼっちの少女

 魔力回路を知るための実験を終えたその日の放課後。シャルロットは何処にも寄らずに屋敷へ戻った。

 マーレアの王都で、唯一平民の立ち入りを禁じた地区―――貴族街。

 豪華絢爛な貴族の世界を、シャルロットは馬車に揺られながら進んでいた。

 フェリクスあたりが歩こうものなら、金によって作られた別世界に度肝を抜かれそうだが、少女にとっては最早見慣れた光景であるようだ。何に気をとられるでもなく、無関心な様子で外を眺めている。

 馬車が進んで貴族街の奥―――王城へと向かうにつれて、屋敷の数が減っていく

 王城近くに屋敷を構える許可を得ているのはいずれも高位の貴族のみ。その屋敷は敷地面積も含めて規模が大きくなる。

 位の低い貴族家の屋敷が乱立するのは、貴族街の入り口付近に限定された話。奥に進むにつれて、量より質が重視されるのだ。

 現在シャルロットがいるのは侯爵家の屋敷が建ち並ぶ地区だ。男爵、子爵家の屋敷など比較にならないほどの贅を尽くしたきらびやかな世界。それでも彼女を乗せた馬車は止まらない。

 何故なら公爵令嬢だから。それも、マーレア王国に長く続く四大公爵とは訳が違う。

 シャルロットの父親の名は、エドモンド=フォン=グラディウスといい、その旧名はエドモンド=レイ=エル=マーレガリアである。

 マーレア王国においてマーレガリアという姓は、王位継承権を持つ者にのみ与えられる。つまり王子だ。

 結果的に王位継承権争いに破れて公爵家に落とされたとはいえ、エドモンドの身体には純粋なる王族の血が循環している。当然その娘であるシャルロットにもだ。

 そんな彼らが、侯爵家程度と釣り合うわけがない。

 貴族が重要視するのは位の高さと歴史の長さであり、王族はその双方共にあらゆる貴族に勝っているのだから。

 それから更に進むこと数十分。監視の意味を込めて最も王城に近い場所に建てられた屋敷の前で、ようやく馬車が止まった。

 王族から降った公爵家の格式に見合うよう設計された屋敷は、見る者全てに息を飲むような偉容を感じさせる。

 その美しさは、屋敷が乱立する貴族街の中心地にあって、他の存在感を掠めさせるほどだ。王城以外の全てが有象無象に成り下がる。

「お帰りなさいませ、お嬢様」

 シャルロットが馬車から降りると、敷地の門から玄関までの長い道の左右に、騎士達が綺麗に整列して待っていた。武に通ずる者が見れば、彼ら一人一人が熟練の騎士であると分かるだろう。

 一人の少女を迎えるにはあまりにも過ぎた演出。だが、それだけの光景を前にシャルロットの表情は浮かない。

「これを明日の朝までに洗っておきなさい」

 シャルロットは羽織っていた上着を執事に投げ渡すと、そう冷たく命令する。そして無表情で玄関の中に入っていった。

 高い天井に吊り下げられたシャンデリアがエントランスを目映い光で照らす。壁には高名な画家が手掛けた絵画が幾つも飾られ、また、左右に伸びる廊下も無数の調度品で満たされていた。

 エントランスから視界に入る限りの物を揃えるだけでも、並の人間の生涯年収を遥かに上回る金額が費やされている。

 それすら公爵家にとっては多少高い程度の買い物だというのだから恐ろしい。

「ただいま」

 シャルロットの挨拶は、誰かに言葉を返してもらうこともなく、広い空間に吸い込まれて消えた。

 ホコリ一つ落ちていない床、慌ただしく動き回る使用人達。屋敷は、形容し難い緊張感に包まれている。

 無表情で廊下を進むシャルロット。数分掛けて廊下の突き当たりまで移動すると、階段を上がろうと角を曲り―――そこで父親と出くわした。

「帰っていたのか」

「はい、お父様」

 階段の半ばほどで立ち止まった壮年の男は、娘に向けるものとは思えない冷たい視線でシャルロットを見下ろす。

「第五階梯の魔術は発動できるようになったのか?」

 突然話が飛んだ。だが、シャルロットにとってそれはいつものことなのか、彼女は気にした様子もなく言葉を返す。

「まだ発動できていません。今は第四階梯魔術の魔力回路を組む練習をしています」

「遅い。お前もグラディウスの娘であるなら、第五階梯くらい使いこなしてみせろ」

「はい。申し訳ありません」

「謝罪する暇があるのなら、その時間を魔術に費やすんだな。全く、あれはもっと優秀だったというのに」

 それまで機械的に応答をしていたシャルロットが、『あれ』という単語を聞いた途端に悲しげな表情を浮かべた。

 だが、父親であるエドモンドは彼女に興味を示すこと無く視線を外すと、そのままどこかへ向かってしまう。

 これが、四年前から続くこの家の『当たり前』であった。

 シャルロットは今でも鮮明に覚えている。

 四年前、強烈な雨が王都に降り注いでいたあの日、優しかった父親は突如として豹変した。

 向けられていた愛情は失望に変わり、ただひたすらに力を求められる日々が始まりを告げた。

 現在シャルロットが求められているのは、娘としていてくれることではなく、ただ第五階梯魔術を発動させることだけだ。

 近いうちにそれを実現するのは不可能に近い。二年生で第三階梯魔術を完璧に制御できるシャルロットは、間違いなく秀才といえるだろう。だが、それで第五階梯を修得できるほど魔術の底は浅くないのだ。

 そもそも、一から十まで設定されている階梯の六より上が軍用魔術であり、その一歩手前の第五階梯魔術は、学院の卒業課題に採用される難度である。

 それをシャルロットにやれというのは、あまりにも酷な話だろう。

 それを承知の上でシャルロットは魔術を学ぶ事をやめない。

 少女は足早に自室に戻ると、狂ったような集中力で机にかじりついた。


 その日の夕方、シャルロットは一人で大きなテーブルの席に着いていた。

 横に長いテーブルは、十人以上が一度に食事を取る事を目的に作られたものだ。

 そこに並べられた豪華な料理を一人で食べる。

 誰も一緒に食べてくれない。贅の限りを尽くした料理だというのに、全く味がしない。

 魔術の教本のページを捲りながら考えるのは、昼間の授業で見た魔力回路だ。

 あれを修得できれば、第五階梯魔術を発動できるかもしれない。

「はぁ」

 だが、その魔力回路の術者に直接教えてもらうのを断られているのだ。

 どうすればいいのだろうか?

 思えば、あの無能用務員―――いや、無能ではない用務員は不思議な存在だ。

 常にふざけていながら重大なミスは犯さず、なんだかんだ上手くやり過ごしている。

 あれは計算してやっているのだろうか?案外考えていそうだ。

 そもそも、以前公爵家の縁者に一言伝えてクビにするよう手を回してもらったはずなのに、どうしてまだ学院に残っているのだろうか?

 あの男が権力者の言葉を無視できる立場にいるとは思えない。

 まあ、今は学院に残ってくれているのが幸いだけれど。

「教えてもらうにはどうしたらいいかしら」

 エリナに謝る。そんな答えは既に出ているが、シャルロットの矜持がそれを許さない。

 他の答えを探し求め、しかしなにも浮かばず―――そうして孤独の時間が過ぎていった。

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