第9話 ルークのお願い

 柔らかい日差しが降り注ぐ正午過ぎ。

 穏やかな気候、どこまでも澄み渡る青空。

 鳥は優雅に空に舞い、虫の音色が耳朶をくすぐる。

「ふぁぁあ」

 学院内、森林浴を目的に設けられた人工の自然溢れる場所で、フェリクスは大地に身を委ねて寝転んでいた。

 今から十数年前、現在の国王にあたる人物の要請で作られたこのエリアは、並の貴族家の中庭を凌駕する美しさに満ちている。

 人口的に作られたとは思えぬ自然の空間には、小川すら流れているというのだから驚きだ。

「やっぱり良いよなあ、ここは。自然を間近に感じられるし、何より川があるから涼しい。いや、国王には感謝しなきゃな。あぁ、かいぃ」

 尻を掻きながらの感謝など聞いたこともないが、恐らく世界にはそんな風習も存在するのだろう。一人でこの世の楽園を満喫するフェリクスは、だらしない顔でただひたすらゴロゴロする。

 そうして時間を浪費すること数分。学院の敷地全体に、授業終了を知らせるチャイムが鳴り響いた。

「もう終わりかよ。しゃあねぇな、よっと」

 これから一時間は昼休憩になるため、ここはすぐに生徒で一杯になる。この場所を使うのはもっぱら貴族の子弟だ。見つかれば確実に面倒な事になるだろう。そうなる前にノソノソと起き上がると、フェリクスは移動を開始した。

「次のサボり場、次のサボり場っと」

 校舎がある地区に戻って来ると、そこは昼休みを満喫する生徒達で溢れていた。たった今フェリクスが戻ってきた方へ向かう少数の生徒は、やはりかなり身なりの良い者達だ。

 そうでない平民や位の低い貴族の子弟達は食堂に向かうなり、弁当を持参して何処かへ向かうなりしている。

 その間をなに食わぬ顔で歩いていくフェリクスはというと、ここでも周囲の視線を集めていた。すれ違う誰もが無能用務員を二度見していく。

「ったく、なんだってんだよ。少しくらい落ち着かせろっての」

 流石に今回は心当たりが無いフェリクスは、不機嫌な表情で歩調を速める。人気を避けて脇に移動し、それでも視線は彼に集まったままである。

「ああもうなんだってんだよ。面倒臭ぇな」

 苛々し始めたフェリクスが道の脇を駆け出し、その瞬間に丁度角から出てきた人影と衝突してしまった。

「…ぁう…っ」

 鳶色の髪の毛が風に揺れる。衝突でよろめき、それから自信無さげな仕種でフェリクスを見上げたのは、虐められっ娘のエリナであった。

「ああエリナか。悪ぃ、大丈夫だったか?」

「…だ…ぃ………ぶ……」

「大丈夫、でいいんだよな?それ」

 コクコク。

 相変わらずの意志疎通手段。虐める方も悪いが、それでも虐めてくれと言わんばかりの口調に、フェリクスは苦笑いを浮かべた。

 せっせと体勢を戻した少女は、手に抱えた弁当箱を落とさないようしっかり抱えると、意を決して口を開く。

「……こ、……こ…ん…」

「こんにちはも言えないのかよ」

「…ぁ…ぅ……」

 フェリクスの一言で、エリナは迷子の子猫のような顔で俯いてしまった。

「お前と喋るとなんか調子狂うんだよなぁ。まあいいけどよ。じゃあな。次は気を付けろよ」

 先日シャルロットに言ったように、フェリクスはエリナに興味がある訳ではない。

 だから、機嫌が悪い彼はすぐに移動を再開しようとした。だが、袖を引っ張られてやむなく立ち止まる。

「何だよ?先に言っとくけど、俺は暇じゃないからな?」

 シャルロット関連の面倒事を予測しての言葉。とてもではないが、さっきまでサボり場を探していた男の台詞とは思えない。 

 それを受けてエリナが取った行動は―――。

 ペシッ。

「は?」

 突然、よりにもよってエリナに背中を叩かれ、フェリクスは固まった。

 ペシッ。

 また叩かれる。痛みを感じるほどの力も込められていないが、エリナがそれをしているという事実の驚きが大きい。

「おい、いきなりなんだよっ。俺は今機嫌が悪いんだよ」

「……く……さ」

「くさ、臭?なに、お前。俺のこと馬鹿にしてんの?お前にまで馬鹿にされたらもう俺居場所無いんだけど」

「……ち…が………」

 怒り混じりに情けない台詞を捲し立てるフェリクス。エリナはビクリと肩を震わせ一歩後退りながらも言葉を振り絞った。

「…ぅ……せ、な……か」

「背中だぁ?」

 言われた通り、フェリクスは首を限界まで後ろに回し、自分の背中を見た。

「うおっ。マジで草だ」

 しわしわになったシャツには、草が大量についていた。原因は森林浴しか考えられない。恐らく、直に地面に寝転がっていた時にこうなったのだろう。

「だからまた見られてたのかよ。あーー、本っ当に悪い!今のはキレるところじゃなかった!」

「だ……じ…ょ…」

 相変わらず声が小さい上に言葉がぶつ切りのエリナが、フェリクスの背中に回りながら答えた。

「おい、なんだよっ」

「わ………が……」

「いや、流石に分からねぇぞそれは」

「…うぅ……」

 ペシッ。

 三度背中を叩かれるフェリクス。エリナは彼の背中についた草を落とすつもりのようだ。もしかしたら、私がやると言いたかったのかもしれない。

 それから、エリナがフェリクスの背を叩くこと数回。

「………た…」

「それはなんの『た』だ?」

「…で………」

「で、た。ああ。できた、か」

 コクコク。

「ありがとよ。一応助かったわ―――ってやべ!?ルークのやつに呼び出されてたんだった!」

 用事を思いだし、慌てて駆け出すフェリクス。「サンキューなー!」そんな言葉を残して去る背をしばらく見つめていたが、やがてエリナも何処かへ向かっていった。


 エリナの元を離れたフェリクスが何とかルークの待つ実験室に辿り着くと、悪友は悪だくみを含む笑みを浮かべて待っていた。

「で、話ってなんだよ」

「今度の実験の授業で、ちょっとフェリクスさんに協力してほしいことがあってね」

「お前はほんっと面倒事しか持ってこねぇな!?」

 呆れ顔で叫びつつ、脱兎のごとく逃げ出そうとするフェリクス。しかしそれを見越して準備をしていたルークによって、この実験室は既に牢獄と化していた。至るところから魔術が発動し、即座にフェリクスを拘束する。

「お願いだよ!今回はフェリクスさんの実力が授業に必要なんだ」

 いつになく真面目な声色。雁字搦めのフェリクスは戸惑いながらも一応会話をすることにした。

「んなもん無くったってできるだろ。なんで俺を巻き込もうとするんだよっ」

「どうせなら生徒にいい授業を受けさせたいだろう?」

「お前、そんなことも考えてんのかよ」

 フェリクスの悪友であるとはいえ、ルークはこの学院の歴とした講師だ。授業の質を上げるためというのは、紛れもない本心である。

「本当に頼むよ。魔力回路に関する事で君の右に出る人はいないんだ」

「まあそうだけど、でもなぁ。ガキども俺のことなんて蟻かダンゴムシくらいにしか思ってないだろ?そんなやつらのために魔術を使おうとは思えねぇよ」

「ダンゴムシっていうより、わらじ虫だろうね」

「誰が便所に湧いてるって!?えぇ!?」

「じ、冗談じゃないか。落ち着いてくれよ」

「んっんー!まあ兎に角だ。俺はそんなことしないからな。そもそも、お前だって魔力回路の扱いに関しちゃ一流だろ?」

 何がなんでも授業の助っ人になりたくないフェリクス。この展開を予想していたルークは、満を持して伝家の宝刀を抜き放った。

「仕方無いなぁ。先月末にオープンした高級レストランの予約、取ってあげても良かったんだけど」

「なんっ、だと?」

 言葉の刃が閃き、フェリクスを貫く。

「凄腕のシェフを抱える貴族ですら満足して帰っていくらしいんだけどなぁ。あーあ、僕は一人で行くのか」

「―――な、にをっ」

 仰々しい仕草で空を仰ぐルーク。ここが実験室で見上げても天井しか見えないのはさておき、チラチラとフェリクスを見てみると、案の定彼は決意が揺らいでいるようだった。数万円で買われる男、あまりにも安すぎる。

「まあいいや。僕はフェリクスさんとは違って他にも友人がいるから、その人たちを誘えば―――」

「わーわーわーわー!!!」

 フェリクス陥落にかかった時間は、僅か十数秒である。

「約束だからね?」

「分かった。だが、こっちにも考えがあるからな」

「どうせまたろくでもないこと考えてるんだろう?」

「ちげーよ。俺が授業に参加したら荒れるだろ。だから、魔力回路は用意してやる。でも俺はその場にはいない。それでいいだろ?」

「うーーん、まぁ、確かにそうだよね。仕方無いか。でも君、みんなの前に出るのが面倒なだけだよね?」

「うぐっ」

 フェリクスは息を詰まらせてそっぽを向いた。図星である。

 珍しく真剣な意見を述べたと思ったらこれだ。だから信頼がないのだろう。

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