第8話 決死の鬼ごっこpart2
「待ちなさい!!」
「断る!絶対ろくなことにならないだろ!?」
例によって、気持ち悪さを催すほど完璧なフォームで走るフェリクス。直線の廊下では彼に軍配が上がるようで、シャルロットは次第に距離を離されていく。
「《風の精霊よ・我が背に翼を!!》」
シャルロットは、風属性第三階梯魔術、《シェルダンス》を重ね掛けした。風の後押しを得たシャルロットの速度域が、人間の限界を大きく上回る。離れていた距離が、一瞬にして無に帰した。
しかし、それを黙ってみているフェリクスではない。
「《ほいっ!》」
無能用務員は一瞬振り返って何かの魔術を発動させた。適当な詠唱は、相手に魔術の種類を悟らせない効果を持つ。
熟練の魔術師ともなれば、フェリクスの手に光る魔方陣を見ただけで、何の魔術かを言い当てるだろう。だが、シャルロットにその力はない。
「なにを、きゃぁあ!?」
後手に回らざるを得ない彼女の足元で、床の一部が盛り上がる。全力疾走していた彼女は、当然のように足を取られて転んだ。
そして、シャルロットが転んだ先には、ご丁寧に空気のクッションが用意されていた。故に彼女に怪我はない。
「この、待ちなさいよ―――ってなによこれ!」
フェリクスがただ助けるためにそんなことをするかといえば、勿論そんなことはなく。
クッション代りになった空気の塊が、立ち上がろうとするシャルロットを抑え込む。
完全に手玉に取られている。
⚪️
「はぁー、はぁー、はぁーっ」
廊下の壁に寄り掛かり、呼吸を整えるシャルロット。疲労が浮かぶ顔は屈辱に歪んでいた。
「はぁ、はぁっ。何よあいつ、ちょこまかちょこまかと!」
何かと小器用なフェリクスが本気で逃げに徹したため、シャルロットは彼に終始手玉に取られていたのだ。
「見つからないわね。もう、明日でいいわ―――」
これ以上は追い掛けることもできないだろう。彼女はそう自分に言い聞かせ、教室に戻ろうと廊下を逆方向に戻っていく。
その時だった。
「くっそ、何なんだよマジで。この学院の扉壊れすぎだろ!?」
人目も憚らずに叫び散らす青年が一人。そんな人物は、この学院には一人しかいない。その青年は、教室の扉を修理していた。
「見つけたわ!!」
「げっ、ちょっと待て!今はやめろって!!」
組み直していた魔力回路を守るように扉を庇うフェリクスだが、シャルロットがそんな言葉に従うはずはない。
今度こそ逃がさないと詰め寄った彼女は、そのままフェリクスの胸ぐらを掴み上げた。修復途中だった魔力回路が乱れ、崩れていく。
「あああああお前何してくれてんだよ!!」
「あなたが私を待たないからでしょう」
「お前中心に世界が回ってると思うな!くそ、ああ面倒臭ぇ!!またやり直しかよ」
今回の扉は、物理的にも魔術的にも壊れているらしい。工具片手に魔力回路を編んでいたフェリクスが、がっくりと肩を落とした。
「私に魔術を教えることの、何がそんなに嫌なのよっ。これほど誉れな事もないでしょう」
「お前それ本気で言ってんのかよ……。いいか?俺はお前に魔術を教えるつもりはないからな!」
それならエリナに教えた方がマシだ、とはフェリクスの内心だ。
だが、せっかく訪れたこの機会。シャルロットもみすみす逃すつもりはない。
「報酬だって弾むわよ?あなた金欠なのよね?一生生活に困らない額を用意することもできるわ」
「―――ごくり」
「何だったら別荘を与えてもいいわ。それくらいなら、私の懐からも出せるもの」
「べ、別荘」
「ああ、そうそう。それから―――」
誘蛾灯に誘われる虫のように、その甘い落とし文句に頷きかけたフェリクス。だが次の瞬間、彼の表情は一変していた。まるで人が変わったような真剣な顔で、平然とシャルロットの提案を拒否する。
これまで一度として真面目な側面を見せたことの無い男の本気の眼差しは、シャルロットを数歩後ろに退かせた。
「悪いけど、それでも受けたくねぇよ」
「何が不満なのよっ」
「だってお前、ろくでもねえし。別にエリナとかいう生徒に興味は無えよ?でも、四人で寄って集って虐めをするような奴に、力を与えようとは思えないだろ、普通」
金で落とせる。そう思っていたシャルロットの表情から余裕が無くなる。
「そんなの関係無いじゃない!」
「そうそう、そういうところだな」
「―――っ。お父様に言い付けるわよ!!」
今日までフェリクスを脅かしてきた言葉。それさえあれば、フェリクスはシャルロットに従わざるを得ない。彼女はそう思っていた。しかし、その予想も覆される。
「あぁー、まあ、別に言いたいなら言えって。それでも受けるつもりは無えから。つーか、エドモンド公爵は、俺に関わるなって言うだろうからなぁ」
「何でお父様の名前が出てくるのよ!」
「あー、悪いな。こっちの話だ。まあとにかく、俺は受けないから。そのつもりでいてくれよ」
金も駄目。権力にも屈しない。そうなった時、シャルロットに切れる手札は一枚も無かった。
(何よそれ、惨めなのは私じゃない)
これまで、およそ全ての事を上手くやってきたシャルロットは、それに気付けなかった。だからフェリクスにその事実を突き付けられ、言葉を失ってしまう。
「なぁ、気が散るからもう離れてくれないか?」
意識はシャルロットに向けたまま、片手で緻密な魔力回路を組み上げるフェリクス。
この片手間の作業ですら、シャルロットの実力では足元にも及ばないだろう。一体どれだけの修練を積めばここまでになるのか、彼女には想像もつかない。
どうしても欲しい人材だ。だが、彼を頷かせる言葉はついぞ出てこなかった。
「また明日来るわ」
「来んなよ」
「拒否権はあなたには無いわ!」
そう言い残すと、シャルロットはさっさとその場を離れていった。
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