第4話

「それはそっちに置いてもらえるかい?」

「あ?ここか?」

「そうそう。で、その機材はこっちに」

「はいはいっと」

 学院の昼休み。天変地異の前触れだろうか。なんとも恐ろしいことに、不真面目の代名詞とも言えるあのフェリクスが、次の授業の準備のためルークと共に実験室で働いていた。

「ふう、助かったよ。三十人分の実験道具を一人で準備するのは骨が折れるからね」

「いいってことよ。俺とお前の仲だろ?」

「あ、はは」

 キランと歯を見せ格好付けて答えるフェリクスだが、実際にはルークに食事一回の奢りを約束させてようやく重い腰を上げた駄目人間である。

 友情よりも怠慢を。そんなヒキニートまっしぐらなフェリクスは、用意された実験道具を手にとってマジマジと眺めた。

「魔銅に結晶水、カスい霊薬ね。お前って錬金術の授業なんか持ってたっけ?」

「あれ、言ってなかったかい?いつもは攻撃魔術ばっかり教えてるけど、これでも専門は錬金術なんだよ」

「へえー。攻撃魔術に錬金術ねぇ。嫌な組み合わせだなそれ」

「実戦じゃ上手くいけばほとんど敵無しだろうね。まあ戦争に出たことはないけど」

「皆そんなもんだろ。じゃ、このあたりで俺は戻るわ」

「約束通り、お礼に今度なんか奢ってあげるよ」

「話が分かるルークさんマジ半端ないっす!」

「フェリクスさんは相変わらずだね」

「まあな。じゃあ、俺は張り切ってサボってくるから。お前は授業を頑張れよ」

 張り切ってサボるとは一体どういうことか。言葉自体が矛盾しているし、何となく読み取れる意図は用務員にあるまじきものだ。

 ルークは堪らず小言を言いそうになり、しかし諦めたように口を閉ざして苦笑した。

 そんな親友のもとを離れたフェリクスは、昨日自分が直した実験室の扉を満足そうに撫でてから廊下に出る。

「フンフンフ~ン」

 年中金欠の用務員マンにとっては、一食分の金が浮くのは理性が損なわれるほどの喜びである。

 ちょうど競馬の負けが重なって食費が圧迫されていたところ、一食浮くのはありがたい。

 栄養不足がゆえ若干痩せて見える顔をニヤつかせ、ステップを踏みながら廊下を進むフェリクス。普段の二割増しでキモい。

 極め付けは、時々ステップがアップテンポになることだ。靴底で軽やかなリズムを刻みつつ歩くフェリクスの動きは妙に洗練されていて、最高にキモイ。

 他の者がやれば特技として誇れる完成度なのだが、何故かフェリクスがやるとまずキモさを覚える。

 もし誰かがこの状況を見てしまえば、キモさのあまり悶絶すること間違いなしである。

「あ」

 そして、フェリクスが曲がり角を曲がったところに、今現在最も顔を合わせるべきではない生徒が立っていた。

「人間の服を着て軽快にダンス。最近の猿は随分と芸達者なのね。そういえば、サーカスの求人が出ていたわ。あんたなら雇って貰えるんじゃないかしら」

 出会い頭、息を吐くようにまず罵倒。

 寄行に及んでいたところをよりによってシャルロット(と取り巻き三人衆)に見られてしまったフェリクスは、言い訳をするために口を開き―――

「ああ、なにも言わなくていいわ。所詮は猿の言葉、まともに理解しようとも思えないもの」

 シャルロット節炸裂。

 そして渾身の罵倒で心に傷を負ったところで、取り巻き三人が追い討ちを掛けるように騒ぎ散らす。

 並の人間であればこれで精神的に致命傷だろう。しかし、今日のフェリクスは少し違う。

「なるほど。俺と同じ言葉喋ってるお前らも猿、と」

 昨日の失態を自覚した時点で自らの人生を諦めたフェリクスである。

 さらに言えば、一食奢ってもらえる事が確定しているフェリクスである。 自棄になり、ハイにもなっている彼は無敵だ。

「はぁ!?シャルロット様を馬鹿にしてるの!?」

「猿はあんた一人だけでしてよ!」

「そうだわっ!」

「いや、繰り返しになるけどさ、猿程度だって言った俺と同じ言葉使ってるわけで。つか、猿サル言ってるお前らの方がキーキーうるさくて猿だわ」

 きゃんきゃん吠え散らかしていた取り巻き達が黙り込むと、フェリクスは声を大きくしてここぞとばかりに反論する。

「へっ!オラオラどうした?論理武装した相手には勝てませんってか?やーいやーい。猿以下バーカ!」

 言ってることは間違いないが、なんとも語彙力の低下が著しい罵倒だ。猿でももう少し行儀よく相手を貶すだろう。

「ぐぬぬっ」

 それでも、シャルロットや取り巻き三人は完全に言い負かされている。

 それに気を良くしたフェリクスは、更に厭らしい笑みを深めて―――

「害獣なら駆除すればいいのよ!」

 シャルロットがフェリクス目掛けて魔術の火を射出した。

「あっぢゃぁ!?」

「いい気味だわ。猿は猿らしく吠えてればいいのよ。行きましょう、授業に遅れるわ」

 ケツに火が移って気の毒なことになっている用務員を無視して、シャルロットたちは実験室に向かっていった。

「この野郎!!人に向かって魔術使うなって生徒手帳の見開き二頁目に書いてあるだろうがっ!!文字読めないのかよ!?」

 去っていく背に負け惜しみの声をぶつけるフェリクス。

 何の気紛れか、シャルロットは振り返ってそれに答えた。

「文字が読めないのはあなたの方でしょう?生徒手帳に記された校則には、人間に向けて魔術を発動させることを禁ずる、と記載されているわ」

「誰が猿だこんにゃろう!!」

「あら、肺呼吸が上手いのね」

 クリティカルヒット。フェリクスは死んだ。

 そして、今度こそ悪魔は取り巻きを引き連れて、実験室に向かって行った。

「…………」

 肺呼吸が上手いヒトに似た猿は、廊下のど真ん中でうつぶせになって倒れている。ケツに火をつけたまま。

 赤いケツはまさに猿のそれ。実験室に向かう途中の生徒たち全員がその様を二度見していく。

 が、彼を助けようとする者は一人もいない。そのまま時間とズボンの生地だけが無くなっていき、そんな時だった。

「………ぁの」

 昨日、縦ロール一味に虐められていた少女が、立ち止まって猿に声を掛けたのだ。

「あ?んだよ」

「な……に…の?」

「なにしてるの、でいいんだよな?見て分かれよ。いま俺、エラ呼吸の練習してんだよ」

「………ぇ?」

 鳶色の髪の毛が小さく揺れる。

 小さな身長、触れれば折れてしまいそうな華奢な体や声の細さから、どこか小動物を彷彿とさせる少女だ。自信なさげな仕種もそれに拍車をかけている。

 そんな少女はフェリクスの言葉に戸惑いながらも、燃え広がる炎を見て迷い無く魔力回路を組み上げた。

 それに魔力を通せばそこから少なくない量の水が発生し、燃え盛るケツに流れ落ちては火を消していく。

「…ご…め……ぃ」

「はぁ?」

 少女の声が小さすぎて聞き取れない。フェリクスが聞き返すと、少女はペコペコと頭を下げた。どうやら謝罪のつもりらしい。

「なんで謝るんだよ」

 そう言われた少女は懐から生徒手帳を取り出すと、とある頁を開いてフェリクスに見せた。

「人間に向けて魔術を発動させることを禁ずる、ねぇ。いやマジメか!?」

「………ひゃうっ!?」

「ああ、悪ぃ」

 少女が竦み上がる。なんか虐められる理由が分かっちゃうよなぁ、と考えながらフェリクスはゆっくりと立ち上がる。

 キーンコーンカーンコーン。

「……………ぁう」

 授業開始のチャイムが鳴った。

 少女が面白いくらいに飛び上がった。その顔には『やってしまった』と書かれている。

「あ、授業なのね」

「…は……ぃ」

 良く見てみれば、少女はシャルロット達が持っていたものと同じ教科書を手にしていた。

「悪ぃな俺のために。もう大丈夫だから行けって」

 ペコリッ!

 昨日見せた健脚ダッシュで実験室に向かっていく少女。

「―――いや、あいつら同じクラスかよ」

 絶対に揉め事が起きる予感しかしないフェリクスであった。そしてそれは的中する。

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