第3話 出会い
「騒がしいわね。何よ?」
二人の会話を遮り、夕暮れの空を落とし込んだような赤い瞳がフェリクスを捉えた。綺麗な瞳である。フェリクスは一瞬我を忘れ―――
「誰の許可を得て私を視界に入れてるわけ?」
容赦なく放たれた言葉の右ストレートで目を覚ます。
「あー、いや、そのー」
「まともに言語も操れないのかしら。これだから平民は」
のっけから敵意全開の暴言。しかしその程度で打ちのめされるようなら、フェリクスは居ない子扱いされながらも魔術学院で用務員などやっていない。
「俺はこいつに頼ま―――」
「話し掛けないでちょうだい」
前言撤回。フェリクスの心に小さな傷がついた。
「貧乏臭が移るから黙ってなさいよ!」
「そうよ!シャルロット様にあと一歩でも近づいてみなさい!殴るわよ!」
「穢らわしいっ」
おまけとばかりに三人衆が追撃。確かに心がボキリと折れる音がした。
フェリクスが苛立ちとも苦笑とも違う微妙な表情のまま固まった。そして、ギギギギギ……と壊れた玩具のように若い講師を振り返る。
「な、なぁ?俺帰って良いよな?てか何で俺を呼んだ?ひょっとして、一人で対処したくないとかそんな理由じゃないよな、ルーク?」
「ははは、まさかそんな訳ないじゃないか」
若い講師―――フェリクスの親友、いや悪友のルークは、ぎこちない笑みを浮かべて誤魔化した。
「それが遺言でいいか?いいよな決まったよなァ!?」
「ちょっと待ってフェリクスさん!ほらあれ見て!」
握り締めた拳を今にも振り被らんとしたフェリクスを見て割りとガチで慌てたルークが、おっかなびっくり中庭中央に設置された銅像を指差した。
それは、全魔術師の羨望を集める『七魔導』のローブを纏った壮年の男性が、悟った表情で遠くを見つめているという銅像だ。
余程高名な芸術家が手掛けたのだろう。元の素材は金属であるにも関わらず、風にたなびくローブは今にも動き出しそうな臨場感に溢れ、喜怒哀楽の何れかに断定出来ない複雑な表情は、まるで実際に生きているかのよう。
ただ、よく見るとその一部が小さくえぐれていた。
本来なら全く目立たない程度の欠損だが、銅像の完成度が高すぎるがゆえにそれは大きな違和感となって目を引いた。僅かなささくれも見られない不自然な程綺麗な円形の傷は、どう見ても魔術が引き起こした事象である。
お嬢様たちがわざとやったのだろう。そしてその罪を平民の少女に着せようというわけだ。
「なるほど。あれを直せと」
「そうそうっ。あれが他の講師にバレたら、明日の早朝に職員会議モノだ!対策を講じなくちゃならない。面倒だろう?」
「へぇ~~。いいこと聞いた。俺、直すのやーめよ」
フェリクスがにやにやしながらルークを見る。だが対するルークは不敵な笑みで、
「そうしたら、用務員という名の便利屋である君の仕事も、確実に増えるだろうね」
沈黙は一瞬。
「よし。俺たちはなにも見なかった。最初から傷なんかなかったわけだ。決して、俺があれを直した訳じゃない。いいな?」
「話が早くて助かるよ」
二人はイヤらしい笑みを浮かべながら握手を交わした。と、そこへ投げ込まれる罵倒が一つ。
「ピーピー煩いのよ無能用務員。邪魔だからさっさと帰ったらどうかしら?」
有り難いその御言葉に帰れコールが三つ続く。これには流石に無能用務員も我慢の限界である。
フェリクスは少女四人を順番に睨み付けると、腹の底から怒鳴り付けた。
「俺だって帰りてーよ!仕事増やしてんのはそっちだろうが!直してやるから、そんな下らねぇことしてないでさっさと帰れ!!」
「わぁお」
ルークの軽いノリは無視される。
お嬢様三人衆は、完全に格下と見ていた無能用務員の突然の反撃に驚き、言葉を失ってしまった。だが、そのなかでも金髪お嬢様は伊達じゃない。僅かも不遜な表情を崩さなかった。
「吠えてくれるじゃない。蛆虫が調子に乗ってるんじゃないわよ」
「ちょ、蛆虫は評価低すぎない?つーか蛆虫って吠えないだろ」
「犬でも主には敬意を払うものよ!私に敬語すら使えないあんたには相応しい称号だと思うのだけれど!?というか、あんた苛つくわね。お父様に言いつけようかしら」
「待って!?チクるのは止めて!?マジでそれだけは勘弁してくださいって!」
後悔先に立たず。激情のまま声を荒らげるまでは気持ち良かった。が、フェリクスは自分のしたことを思って顔面蒼白になる。相手は貴族家の御令嬢である。その気になれば、事の因果など関係なく平民の首が飛ぶのだ。
「あ、あのマジですみませんどうかチクるのはっ!!」
「うるさいわね!お前みたいな無能の顔を見てるだけで不愉快だわっ!」
天上の人間というだけあって、会話のペースも自分のものらしい。お嬢様はそれを最後にフェリクスとの会話を切り上げると、不快な表情を隠しもせずにその場を去っていった。
「命拾いしたわね!」
「次はないと思いなさい!」
「シャルロット様、待ってくださいまし~」
三人衆たちも、それぞれ自由に喋りながらその場を去っていく。彼らの世界はお嬢様、シャルロットを中心に回っているらしい。
嵐が去っていった中庭に残されたのは、明日の我が身を思って絶望に押し潰される用務員と、虐められていた少女と、いつの間にか数歩距離を置いて一連の流れを見守っていたルークだ。
「ぁ、……ぁり…」
「んあ?いま俺は打ちひしがれてるから後にしてくれ」
勇気を出して最初に口を開いた少女の言葉をフェリクスは感情のまま流した。
「…ぁ……、ご…め…さ……ぃっ!」
少女は何とかそれだけを伝えると、全速力で逃げ出してしまった。長い鳶色の髪の毛が激しく揺れ動き、それはすぐに見えなくなる。
「そんな速く走れるなら逃げれば良かっただろ」
「じ、じゃ僕は行こうかな。フェリクスさん、しっかり銅像直しておくんだよ?」
「今度こそそれが遺言で良いなぁ!?」
「わっ、ちょっ!?」
中庭に響き渡る成人男性二人の叫び声。この時、まだフェリクスは知らなかった。
ついさっきあれほど自分を罵倒したシャルロットと、これから深く関わることになるということを。
すべての始まりとも言える事件が起きるのは翌日。シャルロットが決闘騒ぎを起こすことで、フェリクスの人生は大きく変貌する。
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