第2話「お姉さんを持ち帰る」


「あの—————っ!」


 と背中側から声がする。その声で足が止まった。

 声からして先ほどまでレジ打ちをしていたお姉さんだった。


 ただ、お姉さんに声をかけられる理由が分からない。俺はただの客でご飯を買っただけだ。あくまで事務的に話していたんだし、よくある「この後暇?」とかいう攻め口で話しかけてはいない。


 だいたいナンパもできないし、美人に声をかけられるほどカッコ良くもないのだ。


 それなら普通に何か忘れ物でもしたのだろうか、それとも払い忘れでもしたのだろうか。


 ——と考えてレシートを見ても、袋を見ても、何か忘れているとかそういう要素は一つもなかった。


 結局、何なのかよく分からなくて俺は振り返った。


 



「あ、あのどうかしましたかっ——」




 訊ねようとしながら振り返ると立っていたのはあのお姉さんだった。


 だが、服装がさっきと違う。


 さっきまでコンビニの制服姿だったのになぜか私服を着ているのだ。胸元が空いていて、下はジーンズ。体のラインが分かる服装に、肩には黒いバックがかかっていて大人の色気を感じる。


 ヒール付きの靴で音を鳴らし近づいてくる彼女に、俺はゴクリと生唾を飲む。


「え、えっと……」


 俺は確実に焦っていた。

 紛れもなくドキドキしていた。


 美人から声をかけられているという事実に胸が痛い。

 いや、だってそうじゃん?


 童貞の俺がだぞ?

 彼女いない歴=年齢の男がこんなにも美しい女性の、さらに美しい私服姿を見られているんだぞ?


 もう、それだけでドキドキして恋しちゃいそうなのに……今、面と向かっているのだ。


 失神ものなのだ。


「——あ、あのっ」


 そんな胸のドキドキに心をやられているといつの間にか手を握られている。

 なんなんだこれは⁉


 思わず心の中で叫ぶ俺。

 何が何だが分からなくて、心臓の鼓動がバクバクしているのが分かる。


 24歳男がまさに中学生の恋愛をしているかのようにもぞもぞとしている。きもい。なんて、そんなことは分かっているがでも、こんな状況を前にして余裕なんてなかった。


「——ぁ」


 と男のキモイ喘ぎ声が出てきて、肩が強張った。

 しかし、そんな俺をまじまじと見つめる彼女はこんなことを言い出したのだ。



「——へ?」


 今度こそ、疑問の念が漏れた。

 私を貰ってくださるんですよね、だと?


 誰がそんなことを約束したんだ?

 俺じゃない男だろう、自意識過剰め。

 自分でツッコんでは見たもののまわりには誰もいなかった。


 ていうことはやっぱり俺に向けて言っている。

 いやでも、まさかそんなことあるわけないよな? 

 美人が俺に逆ナンパなんて……非日常的なこと。


 もちろんこんなに綺麗で可愛い最強美女をくださるのは大変光栄極まれりっていうことは分かっている。


 俺になんて持ってないし、貰えるものなら貰いたいくらい。むしろ俺から貰われたいくらいだ。俺をヒモにしてほしいまである。


 そこまで来て、これは夢か?

 と疑ってしまう。


 試しに頬を引っ張るが痛くて、耳にはその言葉がはっきりと聞こえていた。


 いや、でもなんでそんなことを?


 すぐさま冷静になる。

 深呼吸をして少しだけ考えるとすぐに心当たりがあることを思い出した。



 さっき、レジで箸をくださいと言った時だ。

 彼女はなんて言った?


『私もらっていいですか?』


 って言っていたよな。俺がそんなふうに言っているのかと聞き返していた。

 んでこれに対して俺はなんて言ったか?


『はい』


 だよな?


 ……ってことは。


「あ」


「どうかしましたか?」


 手をぐにゅッと握られて首を傾げる彼女。俺はハッとしながら距離を取ろうとしたが握力が以外にも強くて離れない。


 というか、お姉さんはあれを真に受けたのか? 

 俺はただ流れで言葉に出してしまっただけなのだ。箸が欲しかっただけなのだ。


 聞き間違えをそのまま受け入れたのか?


 確かに「私?」と言う言葉が聞こえた気がしなくもないが、それにしてもだ。こんな綺麗な女性が俺なんかに興味を示すか、普通?


 騙されているのか? 俺は?


 どんどんと邪な考えも浮かんできて、俺は頭を振る。


 目の前にはいまだに真剣な目で見つめてくる彼女。


 駄目だ。ここで何も聞かないのは良くない。しっかり聞くべきなんだ。そう思って、俺はちゃんと口に出した。


「——あ、あの、俺ですよ?」


 勢いで意味が分からないことを口に出す。自分でも何を言いたいかが分からなかった。


「あなたがいいんです……」


「お、俺が?」


「はいっ。ずっと前から見ていて……その、気になっていて……」


「え、俺に?」


「そうです。だから……私をもらってくれませんか?」


「え、いや……でもっ」


「箸と私、どっちが欲しいですか?」


 いや、それはお姉さんでしょ。

 誰に聞いたってそう答える。


 ってそうじゃない! 何考えてるんだよ、俺!

 ん、いや、箸と私? あれ、なんかわかってね? この人。分かってるよな?


「あの……もしかして分かってます?」


「何のことですか?」


「いや、箸と私って……俺あなたに箸をくださいって言っただけで」


「……わ、私よりも箸を選ぶんですかぁっ……うぅ……か、悲しいよ……っ」


「あぁ、あぁ!! ちょっと、泣かないでっ!」


 急に縋りついて涙を流す。

 ボロボロと崩れ落ちてギャンギャンと泣き出した。


「だ、だめ……ですか?」


「っ」


 しかし、俺の胸元に縋りつきながらの上目遣い。そして涙目と赤い頬。

 そんな姿の彼女を見て、胸がチクりとする。


 ドキュン、と何かが胸に突き刺さっていた。


「……い、いいです」


 結局、言いくるめられるように肯定してしまい彼女を持ち帰ることになる。

 そういうとパァっと顔を明るくさせる。


 離れようとする彼女は少し鼻水が垂れていて、俺のTシャツには涙の跡がじんわりと残っていた。


「ちょっ」


「……ありがとう、ございますっ」


 ニコッと可愛らしい笑みを向けられ、それに当てられた俺は胸がキュッと引き締まった。

 

 まぁ、可愛いからいいか。

 腑に落ちて納得すると、ズビビと鼻をかみ出す彼女。


 ティッシュの端から鼻水がチラリと見える。

 美人が鼻水をだらっと伸ばす姿は汚いのになぜか綺麗に見えて、変な性癖が生まれる音がした。



 俺は混乱していたかもしれない。

 普通ではなかったかもしれない。

 綺麗な瞳に見つめられておっとりしていたのかもしれない。


 手を掴んで引っ張ると彼女は可愛らしく付いてきて、髪を揺らしいい匂いを振りまく。


 その姿はまさに美の塊。


 俺は彼女を連れて、あの小さな家に帰ることにしたのだった。









 

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