第5話 狂気の月
「さぁて、掻っ攫おう。パワーシューズ、オッケー」
日本で開発している軍用輸送戦闘機内で、伊吹は右脚を足踏みし、パワーシューズの動作を確認していた。
パワーシューズは日本製で、見た目は普通のスニーカーやブーツだが、脚力を三倍以上に強化することが出来る、対イーブル用に開発された装備だ。現在は軍内だけでなく、一般的にも流通している。
「旭、寄せろ」
「了解!」
操縦している旭に、羽月が命じた。
輸送戦闘機は下降し、リリア王女が監禁されている洋館から、十数メートル上まで近付く。
機体の胴体部にあるドア前に、準備万端で立っていた羽月と伊吹は、開閉ボタンを押してドアを開けた。
二人は飛び降りる。
左手に装着したグローブの手首部分からチェーンを出し、リリア王女がいる部屋の上、屋根にくっ付けた。
このチェーンは、意のままに自由自在に伸縮し、先端を巻き付ける事も接着させる事も出来る、魔界制の軍用装備だ。
羽月は、勢いを利用して両脚で窓ガラスを割った。
部屋に飛び入ると同時に、腰のホルスターから黒いマシンピストルを抜く。
口を開けて驚いているリリア王女に銃口を向け、首輪型爆弾のセンサー部分を撃ち、壊し外した。
物音に、私服のドラキュラが四、五人駆けつけて来た。
ドラキュラ達は襲い掛かるが、羽月に続いて部屋に入った伊吹も加わり、二人にマシンピストルを乱射され仕留められた。
「来いっ!」
茫然としていたリリア王女だが、二人の左腕に対イーブル軍の腕章がある事を確認し、羽月が差し伸べた手を取った。
バルコニーの側には、輸送戦闘機が寄せられていた。
次々に追っ手が来た為、伊吹はバルコニーの手摺から飛び乗った。
羽月は、リリア王女を片腕で抱え、チェーンをドア付近に巻き付ける。
直後、旭は輸送戦闘機を発進させた。
迫る何人もの追っ手を、機体のドアから伊吹が撃ち、リリア王女を抱えながら羽月も撃つ。
「おいっ! お前は飛べるよなっ⁉︎」
「は、はい。すみません! 飛べます」
生まれて初めて男の腕に抱かれ、リリア王女は恍惚し赤面していたが、我に返った。
抱えて上がってくれないんだ……。
そう声には出さずに呟き、魔界製ではないパーカーワンピースの背中部分を、大きく破り羽を出す。輸送戦闘機まで飛ぶが、身体はフラフラして安定していない。
あれなら、犯罪には加担してないな。
潔白を確認した羽月は、チェーンを操り機内に入った。
横に三十部屋以上、突き出た真ん中部分は共用スペース……。
洋館の造りを数秒眺め、羽月はドアを閉めた。
機体は垂直急上昇し、回転する。血刃を避け、向かってくるドラキュラ達に機銃を浴びせる。スピードを上げてドラキュラ達を撒き、逃げ切った。
——輸送戦闘機は、東京都、港区南麻布に在る国際対イーブル軍、警察部隊総本部の屋上ヘリポートに着陸した。
最初に降りた伊吹に、手を差し伸べられてリリア王女は戦闘機を降りる。
「羽月君。お車、駐車場に入れておきましたよ」
見るからに品行方正そうで優しそうな、眼鏡をかけた男が姿勢良く歩いて来た。色素が薄く茶髪だが、軟派な雰囲気は一切ない。上着は着ずにベストを着ている。身長は百八十センチで他三人より細身だが、捲った袖から見える腕が見事に引き締まっていて逞しい。
「ありがとな、那智」
羽月は鍵を受け取ると、リリア王女の御前に出た。
片膝をつき左手を胸に当て、君主敬礼をする。
「改めて、ご挨拶致します。サキュバス王国、リリア・テレジア第二王女様——。私は、国際対イーブル軍、日本陸軍少佐及び警察部隊所属。
さっき迄の荒っぽさを、微塵も感じない礼儀正しさだ。
羽月の後ろに並んだ三人が、立ったまま左手を胸に当て敬礼し、挨拶し出す。
「陸軍大尉、同部隊所属。
「陸軍少佐、特殊遊撃部隊及び同部隊所属。
「空軍中尉、同部隊所属。
警察部隊とは、対イーブル軍内で編成された、イーブルに関わる事件を管轄する行政執行機関である。
一番身長の低い旭でさえ百七十七センチある高身長の四人を、リリア王女は口を開けて見上げていた。
「リリア・テレジアです。勇士の皆様、助けて頂き本当にありがとうございます。私の方が歳下、てゆうか子供ですので、様呼びも敬語も不要です」
感謝を伝えたリリア王女は、心からの敬意を払ってお辞儀をした。
「じゃ、中に入ろっか」
リリア王女の背中に手を当てて、伊吹が促す。
「お着替えは、用意していますからね」
にこやかに那智は言い、三人はエレベーターに向かった。
「戦闘機、赤坂に戻したら帰って寝よ」
そう言いながら、ウインドブレーカーからセブンスターを取り、旭は一服し出す。
アメリカ合衆国が分断する三年程前から、日本に駐在していた米軍が引き揚げを開始した。現在、米軍は駐屯していない。旧米軍基地の大半は、国際対イーブル軍施設として再建されている。
「良い子そうッスね。礼儀正しいし……」
旭は、マルボロブラックメンソールにジッポで火を点け、一服し出した羽月に言った。
「あぁ、都合のいい子だな」
旭の表情が、不機嫌を表わに歪む。
「まーた、悪い事考えてるんスか?」
悪そうな微笑を浮かべている羽月に、旭が投げ掛ける。
「いつも通りにな」
——今夜は満月だ。
漆黒の空に、美しく妖しくも輝く月。
暗闇の中、引き寄せられるように見上げる月に、人は惑い狂う満月の夜。
そんな月が、この男に酷似して重なるようだった。
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