Day6 筆 少年、読書感想文に悩む
少年は、悩んでいた。
目の前にあるのは、夏休みの宿題一覧表。そのうち最も難易度の高い3つのもの──すなわち、コンクール用ポスター、読書感想文、自由研究──のどれかを終わりにしたかった。
適当に書いて出せるほど、少年は器用でもなければ不真面目でもなかった故に悩んでいた。と言うより、適当に出して自分の評判がこれ以上落ちるのが怖かった。
すでに「嘘つき」とクラスメイトに言われてしまっている以上、あの話がクラスに広がるのは時間の問題だった。
「どれもだるくてやりたくねーなぁー」
小声で呟く少年は、図書館の閲覧室で頭を抱えていた。鉛筆を指先でいじりながらため息をつく。
「図書館だから絵の具と筆が必要なポスターは無しとして……読書感想文か自由研究のネタか……」
うーん、と難しい顔をして児童書コーナーで自由研究に使えそうな本を探してみる少年だったが、めぼしい本は既に誰かが借りていた。読書感想文は、と言えば課題図書はどの学年の本もすっかり出払っていた。諦めて机に戻る。
「どうすりゃ良いんだよぉ」
「本当、どうすれば良いんだろうねぇ」
横から涼しい声がして驚いた少年は「わぎゃっ!?」と大きな声を出してしまった。
「少年、カエルが胃の中で跳ねたみたいな声を出してどうしたんだい?図書館は静かに使わなきゃダメじゃないか」
目の前にいたのは例の自称文化人類学者のお兄さんだった。驚き過ぎて開いた口が塞がらない少年のことなどお構いなしで抱えた本たちを少年の横に置く。
「あれ、自習室使わないの?」
「大学生とか高校生が使っているんです。小学生は邪魔なんです」
口を尖らせつつ答えた少年は、広げてあった夏休み宿題一覧表を手の中にまとめていく。
「お兄さんこそどうしたんですか。駄菓子屋の店番はもう良いんですか?」
「うん。今日は古地図で昔の駄菓子屋の位置を確認したくてね。図書館に来たんだよ」
にこ、と笑ったお兄さんは当然のように少年の隣りの席に腰を下ろす。
「で?少年はどの宿題をするつもりだったのかな?」
「良いんです。夏休みの間にはどうにかできるので、今日は帰ります」
少し腹立ちまぎれに答えた少年の手元を見たお兄さんは「ふーん、読書感想文か……」と呟いた。勝手に覗くなと睨む少年に構わず、がらんどうの課題図書の棚をちらりと見遣ったお兄さんは、児童書の棚を指差した。
「本は自由に選んじゃダメなのかい?」
「自由図書の部門もあります」
「それなら好きな本を読んで書けば良いじゃないか」
「まず、なんで読書感想文で悩んでいるってわかるんですか」
「図書館でできる夏休みの宿題といえば読書感想文くらいだろうなっていう偏見かな?」
「それは本当にヘンケンですね」
呆れを通り越してチベットスナギツネのような目になる少年。
「まぁまぁ。電車の時刻表で読書感想文を書く子だっているんだよ。君だって課題図書とか児童向けとかこだわらずに好きな本の紹介を書けば良いじゃないか」
「そんなに簡単に言うってことは、お兄さんは作文好きだったんですね」
思った以上にトゲトゲしい言い方になってしまったと少年は思ったが、もう遅い。
「うーん、僕は筆が立つ方じゃないよ。レポートも論文も書くのはいつだって面倒だし、今もできればやりたくない」
お兄さんは手に持ったタブレットの角を弾きながら言う。
「でも、面白いと思った本の紹介なら、筆に任せて書けばいいんだよ。とりあえず思った事を書き散らして、それからルール通りの枚数に収めると良いんじゃないかな」
「そんなに書けるわけないですよ……」
「そうかなぁ?例えばほら」
ふらっと立ち上がったお兄さんは、棚を少し物色して一冊の本を持って少年の所に戻ってきた。
「ほら、この本なんかどうだい?キャッチコピーは『めんどくさがりな人ほど文章の才能がある』だってさ。これ見て何か思った?」
「……そんなわけない、って思いました」
「でしょ?それ、読書感想文の最初に書けば良いじゃないか。で、読んでみて納得できたかどうか、納得したのはどんなところか、納得できなければなんでそう思ったのか、そういう事を書いて良いんだよ」
じっ、と少年は本を見つめていたが、やがて小さくため息をついた。
「なんでも書いて良い、なんて事ないですよ。先生に怒られます」
「筆が滑って公序良俗に反した内容にならなければ良いんじゃない?」
「こーじょりょーぞく……まぁそうですよね」
少年が知ったかぶりをしたと気付いたお兄さんは言い直した。
「誰かが嫌な思いをするような内容でなければ、良いと思うよ」
少年は「めんどくさがりな君のための文章教室」とタイトルの書かれた青い本をぎゅ、と握った。
「……みんなに、なんて思われるか」
俯いた少年の顔をお兄さんは不思議そうに覗き込む。
「君の学校では、読書感想文で文集でも作るのかい?」
「そんなことはない、けど……」
「じゃぁ、みんなの前で音読する授業でもあるのかな?」
首を横に振って少年は否定した。けれども顔は浮かないままだった。
「……もし、うっかり見えたりとか、先生が話のネタにしたりとか」
「ふーん……それって、今まで君やクラスメイトが経験した事なの?」
少し迷って、少年は首を振って否定した。
「それなら、君が思った事を素直に書けば良いと思うんだけどな……子供の素直な文章は先生だろうが親だろうが頭ごなしに否定する権利なんて無いんだし。まだ起こしていない筆を、悪い空想で置いてしまうのは勿体無いよ」
それに、とお兄さんは続けた。
「僕は、そうやって悩みながら書いた君の読書感想文が読んでみたい」
ハッと少年が顔を上げた。
「そつなく書かれた先生受けを気にした文章より、君の素直な感想が知りたいな」
「でもこれ、宿題ですよ」
まだ先生受けを気にしている少年に、お兄さんは少し唸った。
「これは大学の先輩に聞いた話だけど、税の作文に本音を書いたら校内代表になったらしいよ」
「え、本音ってつまり……」
「先輩の言葉通りに言えば『税なんて払いたくねぇよ無駄金使いやがって』って内容だったんだってさ」
苦笑しながら語るお兄さん。
「流石にそのままはまずいと思ったみたいで、言葉遣いは丁寧だったみたいだけど」
「凄い嫌味じゃないですか」
つられて少年も失笑し、お兄さんの笑みも深くなった。
「俺、この本、借ります」
お兄さんの顔をまっすぐ見る少年の顔には、少しの迷いと、それ以上の気合が浮かんでいた。
「それと、読書感想文はお兄さんから借りた希少言語の本で書きたいです」
「良いんじゃない?興味ある本の事を話す方が楽しいよ。ちゃんと書き上げるんだよ?」
「宿題なので勿論です」
墨を吸った筆のように前向きな表情になった少年は、図書館カウンターの方へ歩いていった。
* * *
少年は1人、夜中まで本を読んでいた。
「自分の感情を分析する、か……」
借りてきた文章教室の本には、良い文章を書くには自分の感情を分析してみると良いとあった。
「俺の感情、ってなんだろう」
哀しくなければ、きっと楽しい。怒っているわけじゃないから、きっと喜んでいる。辛くなければ、きっと面白いこと。
「自分を見つけるって、こんな時まで繋がってるんだな」
白い無機質な天井を見上げて、少年は独りごちた。
ひとりお兄さんと嘘つき少年──文披31題 伊野尾ちもず @chimozu_novel
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