Day5 線香花火 少年、駄菓子屋へ行く

 この町のメイン駅の北口に、昭和レトロな見た目の駄菓子屋がある。古いポスターがあちこちに貼ってあるので、長く続いている駄菓子屋のような貫禄をまとっているが、数年前にできた駄菓子屋だ。

 勿論、子供たちに大盛況……であれば良かったのだが、この駄菓子屋はかつての子供たちや映えを気にする人にしか人気がない。子供たちの間で「駄菓子屋」と言えば、小学校の南口近くにある車庫を改装したシンプルな駄菓子屋だった。

 子供たちの財布事情はいつだって厳しい。少しでも安いならそちらに足が向くのが当然だ。それに、「駄菓子屋」は子供たちだけの場所でなければいけない。大人や高校生のお兄さんお姉さんが居るのは困るのだ。

 少年は、コインケースを持って子供たちの駄菓子屋に来ていた。

 アイスキャンデーを食べたい暑さだなと思いながら、少年は真っ直ぐ棚に向かった。途中の酢蛸にも風船ガムにも誘われず、流れるような動きでココアシガレットを掴むと、ついでにおやつカルパスを2個つまんでレジへ向かう。

 後ろで「すげぇ、ココアシガレットじゃん」「しかも見ずに持ってったぞ」「大人じゃん」と下の学年の子供たちがコソコソ言っているのを聞いてむず痒く笑みを零しそうになる少年。

 努めてその表情を出さないようにしながら「お願いします」と少年がお菓子を会計台に乗せると、聞き覚えのある声が降ってきた。

「駄菓子屋ってスマートじゃないところが良いと思うんだけどなぁ」

 驚いた少年が見上げると、例の文化人類学者を自称するお兄さんがいた。 

「今日は暑いんだし、アイスキャンデーもついでに買って行ったらどう?コンビニのガリガリくんよりお財布に優しいよ」

「え」

 唖然とする少年に対してにっこりと営業スマイルを浮かべ……と言うより、困り笑いするお兄さん。

「何でここに……?いつものおじちゃんは……?」

 周囲に知り合いだとバレないよう、小声にする少年。

「地域の駄菓子屋について調べようと思って、店主さんにお話を伺ったんだよね。そうしたら、今日一日店番やってくかい?って言われてせっかくだから引き受けたんだよ」

 少し胸を張りながらお兄さんが言う。

「ちなみにバイト代は花火だよ」

 呆れた少年の視線にも動じないお兄さん。

「俺、この間ニュースで聞いたんですけど、日本の最低賃金は1時間で花火セット2つくらいらしいですよ」

「それはバラエティパックの値段だね。僕は線香花火をリクエストしたんだ」

「それ……バイトになってない気がするんですけど」

「報酬無しでも良いくらいだよ。店番の経験自体が目的だからね」

 お兄さんが何を言っているのか理解できない少年は、首を捻る。

「駅前の駄菓子屋じゃダメなんですか?」

「良い質問だね。答えは簡単、あの店は土地の物じゃないから、僕の目指すフィールドワークに向いてない」

 さらに訳がわからなくなる少年。

「僕のことはともかく。子供のための駄菓子屋なんだから、スマートじゃなくて良いんだよ。少年」

 自分に話が戻ってきた少年は何も言わなかったが、薄らへの字型に曲がった口元は「余計なお世話だ」と言っていた。

 店の入り口でガチャガチャを引いた子供たちがわっと湧き上がり「伝説のスライムだー!」「カッケェー!」と叫んでいるのが、薄暗い店内にも響いてきた。

「一つ当ててあげようか」

 LEDの冷たい光の中で、お兄さんは少年の持ってきたココアシガレットをつまんで微笑んだ。

「少年はココアシガレットは別に好きじゃない」

 少年は息を呑んだが、頑張って表情に出ないようにした。

「表情は言葉より多くを語るよ。君の顔は好きなものを買う時のワクワクドキドキした顔って言うより、周囲の反応を楽しんでいる顔だったもの」

 図星だった少年は、もう取り繕えないと悟り、俯いた。

「ココアシガレットで本当に良いの?」

 お兄さんの問いに何も言えずにいると、小さな足の大きな足音たちが近づいてきた。

「おじちゃん、これちょうだい!」

「お兄ちゃんだよー」

 少年よりさらに歳の低い子供たちがレジにわらわらとやってくる。しっかり「お兄ちゃん」だと強調して会計するお兄さん。

 小さい子たちが出ていくと、少年はパチパチラムネのソーダ味を持って戻ってきた。ココアシガレットのようなレトロなデザインではなく、今時のビビッドなデザインのものだ。

「ココアシガレット、ココアの中にミントの味がするの、あんまり好きじゃなかった、です」

 少年の答えを聞いて、よくできました、という風に頷くお兄さん。パチパチラムネとおやつカルパスの会計を手早く終わらせる。

「なんで、お兄さんは僕の表情なんて見てたんですか?」

「店員さんをなめない方が良いよ。常に万引き・窃盗の類いに気を張ってるんだから」

 なんだか申し訳なくなってきた少年は軽く頭を下げた。

「あぁそうだ。店仕舞い直前に線香花火大会するよ。少年も来る?」

「行けたら、行きます」

「待ってるからね」


 * * *


 「待ってるからね」と言われたのが気になり過ぎた少年は、駄菓子屋を店仕舞い直前にまた訪れていた。

「来ると思ってたよ、少年」

「来るように仕向けたんですよね?」

「無視しなかったのは君の意志だよ」

 裏から持ってきた水入りバケツを駄菓子屋前に置くお兄さんは、バイト代と称して貰った線香花火の束を取り出した。

「ここの駄菓子屋には2種類の線香花火が置いてあってね」

 お兄さんが取り出した線香花火は2種類あった。1つは紙に火薬を包んで捻った見慣れたもの。もう1つは薄茶の棒に黒い火薬が塗りつけてあるものだった。

「おにーさん、それ花火ー?」

 線香花火大会と聞いてやってきた小さい子が不思議そうに細い棒を見上げる。

「そうだよ。これは他の花火と違って、手で持たずに地面に刺して使う線香花火なんだよ」

「でもアスファルトじゃ刺さらないね」

「そうだね。だから今日はブロックの穴に立てかける事にするよ」

 そう言いながら、コンクリートブロックの穴に細い棒状の花火を入れるお兄さん。じっと見つめている少年の視線に気づいて説明を加える。

「これは『スボ手花火』って言って、西日本で作られた元祖線香花火だよ。今買うと結構値が張るけど、仕入れた当時はまだ駄菓子屋で扱える値段だったんだね」

 にこっと笑ったお兄さんは、たくさん入っている方の袋を大きく開けた。

「みんなで競うのはこっちの『長手花火』。最後まで線香花火を持たせた何人かにアイスキャンデーを差し上げます!」

 「アイスキャンデー」が聞こえ、集まっていた子供たちがおっ!と色めき立つ。

「さて、誰が最後まで線香花火を保たせられるかな〜!?」


 線香花火大会は、少年の隣のクラスの体育委員が1位になり、他の2位と3位の子もちゃっかりお兄さんからアイスキャンデーをせしめて帰っていった。

「少年、コンマ何秒の早業には恐れ入ったよ」

 茶化すお兄さんに少年は不機嫌顔を返す。

「風が強く吹いたんです」

「君のところにピンポイントなんて珍しい風も吹くもんだね」

「珍しい事はゼロじゃないって事ですから」

「そうかい、君がそう思うならそうだったんだろうね」

 皆んなが線香花火を投げ入れたバケツを手に取るお兄さん。

「そう言えば、花火大会の始まりは鎮魂だったそうだよ。江戸時代、大飢饉や流行病の後、犠牲者を弔う為に将軍が企画したのが隅田川花火大会だそうだ」

 へぇと気の抜けた少年の相槌にお兄さんが苦笑する。

「……こう言うと、本当みたいに聞こえるでしょ。でもこれ、明治時代から昭和にかけて作られた創作なんだよ」

 お兄さんの顔を凝視しながら口を半開きにする少年。

「本当かと思いました」

「時に人は、事実よりも美しい嘘を信じてしまう良い例だね」

 コンクリートブロックを邪魔にならないところへ退かすお兄さん。その間に少年はとっくり考えた。

「美しい嘘でも、真実で傷付くより、その方が良い時もあるんじゃないでしょうか」

「一理あるね。傷つかない嘘なら、自分が死んでも絶対バレない嘘である事も必要だろうな」

 お兄さんの言葉に難易度高いな、と項垂れる少年。線香花火の袋を持ち上げたお兄さんは、お、と声を上げた。

「最後の一本が残ってる。少年、線香花火のリベンジしてみるかい?」

 一瞬少年の目は泳いだが、直ぐこくりと頷いた。

 ライターで火をつけられた長手花火。

 勢いよく燃えた後、くるりと丸まって蕾のようになった。

 やがて小さく大きく火花を散らして牡丹の花のように花火は咲き始めた。

 どんどん火花は激しくなり、密集して生える松葉のように燃え盛る。

 そのうち、勢いが緩やかになって枝垂れ柳のように火花が垂れ下がり始め、気が付いた時には細く短く火花を散り菊のように放つ球体に戻っていた。

 ぽとん。

「人の、一生」

 火球が落ち、少年もお兄さんもそれ以上一言も話さなかった。

 夜道は心配だから、と少年はお兄さんに家の前まで送って貰ったが、その間も特に何も話さなかった。今は、少年は無言の空気に浸っていたかった。

 勢いよく散る火花のような人生、と考えた少年は「絶対バレない優しい嘘なんて無いのかも」と一人考えていた。


 * * *


 その夜、意を決してお兄さんの事を家族のグループチャットで説明しようと、少年は文章を書き始めた。だが、少年は直ぐに壁に当たった。

 お兄さんの事を何も知らないのだ。

 名前は朧げ、文化人類学者は自称、どこかの所属である証拠も見ていない、共通の知人もいない。はっきりしているのは、住んでいるところと、お兄さんが博識である事くらいだった。

「なーんも、俺、知らなかったんだな……」

 静かな夜に、少年の記憶は溶けていった。

 




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