第20話 息吹け!う・ら・め・し・やー!

 旧校舎の中は先程よりも、かなりボロボロの状態に変化していた。

 常にどこかしらから、木がしなる音が聞こえ、木の爆ぜる音が聞こえる。

 外の夜も相まっておどろおどろしい雰囲気を醸し出している。


「夏奈、その子の居場所は分かるの? 闇雲に探していても、きっと見つからないと思うよ?」

「七瀬、大丈夫! 過去の事を少しずつ思い出して分かったの、あの子は階段に足跡が残されてた二階に居るの!」


 今にも天井が崩れそ落ちてきそうな旧校舎、ドス黒い色に変色し歪んだ廊下を懸命に走り、息を切らしながら階段を駆け上る!


「七瀬、大丈夫!?」

「あたしは大丈夫! 夏奈のほうこそ、無理しちゃだめだよ!」

「ありがと! 私は平気だよっ!」


 七瀬と一緒に居ると、無意識の内に強がっちゃう、親友には、かっこいい姿を見せたいからね。

 ほんとは、体力の限界を有に超えている。

 だけど、一歩一歩と足が自然と動くんだ。


 ──ググッ……ググッ……ググッ……ググッ……──


 ぐらぐらと、ゆっくりと、旧校舎全体が揺れ動いている。船の上に立っている様だ。

 この場所に長く留まっていると、酔ってしまいそうだ。


「七瀬! この先の教室だよ! あの教室の中から、凄く悲しいおばけの想いが伝わってくるよ!」

「夏奈! 私が側に居るからね! どこまでも、最後まで付いて行くよ!」


 七瀬の言葉が頼もしかった、あの過去の時の様な寂しい感情は、今の私には一切なかった。

 扉を持つ手に、無意識の内に力が入る。意を決して扉を開け教室の中へ足を踏み入れた。

 教室の中は不気味な程に静かで薄暗かった。

 空高く浮かんでいる月明かりが、窓から教室内へと差し込んでいる。明かりはたったのそれだけだった。

 教室内の空気が淀んで、重く感じられて、息苦しかった。

 七瀬も息苦しそうな表情を浮かべている。

 この教室は居心地が悪く、危険だとすぐにわかった。

 教室の後方に人影が立っているのが、視界の端に映った。

 私はその人影に焦点を合わせる。

 佇む人影へ向かって、一歩、また一歩前へ出た。


「ひひひっ……ひひひっ……みんな……くたばっちゃえばいいんだ……みんな……呪ってやる……呪ってやる……呪ってやる……みんな……道連れにしてやる……みんな……くたばれ……ひひひっ……ひひひっ……」


 教室の中で、俯き佇む少女の黒い影がぼうっと淡く見えた。少女の周りには真っ黒な渦がゆらゆらと漂い続けている。


「ねぇ、あなたをお迎えに来たよ」

「迎えに……来た……?」


 少女が俯いたまま、ゆっくりとこちらの方へ振り向いた。


「ここから、木の葉小学校の旧校舎から、一緒に出よう」

「一緒に……出る……?」

「いきなりそう言われても戸惑っちゃうよね……ごめんなさい……私ね……あなたの名前さえ知らない……だけどね……十年以上も前の遠い夏の日……木の葉小学校の旧校舎の前で……三人の低学年の子たちの為に……頑張っていたのは知ってるよ……その途中で……旧校舎の倒壊に巻き込まれちゃったんだよね……」

「どうして……その事を……どうして……私だけ……あの子たちの為に……あの子たちの為に……必死になって探してあげたのに……」


 様々なトーンの少女の声が何重にも重なって聞こえてきた、憎悪に支配されかけている。


「勇気を振り絞って……たった一人きりで暑い校舎の中を必死になって迷子のたぬきを探して……頑張ってくれてたんだよね……私にはわかるよ……」

「…………あんたに私の苦しみが!!……心が擦り潰されていく痛みが!!……この耐えきれない程の悲しみが!!……生きてる人間が憎い!!……この世の全てが憎い!!……あんたに私の何がわかるって言うのさ!!…………」


 少女の佇む中心から、胸が締め付けられる様に重苦しい風圧がぶわっと勢いよく放たれた!


 ──バ”リ”バ”リ”バ”リ”ィ”ン”ガ”タ”バ”タ”バ”ダ”ダ”ァ”ン”ッ”!!──


 教室内の机と椅子が全て薙ぎ倒されて、教室中の窓ガラスが一斉に外側へ向かって砕け散った。天井や黒板、壁の所々は破損し、大きく亀裂が入っている。


「うぅっ……!」

「ぐっ……夏奈! 大丈夫!?」


 私と七瀬は少女の放った重苦しい風圧に耐えきれず、床へと激しく薙ぎ倒れされた。

 何とか立ち上がり、七瀬へ向かってアイコンタクトを使い大丈夫とサインを送った。


「私ね……あなたと一緒でね……あの日の旧校舎の中に居たんだよ……地震で旧校舎が崩れて……倒壊に巻き込まれて死んじゃったの……たぬきのポコタローも一緒にね……」

「えっ…………?」


 私は佇む少女へと歩み寄った。

 少女の周りに漂う真っ黒な渦を手で振り払い、正面から両手を握った。

 その瞬間、苦しみ、悲しみ、寂しさ、次々に怨みの感情が身体中いっぱいに伝わってきた。

 想像を絶する怨みの感情に、私の心までも憎悪に支配されてしまいそうだ。


「まずい……」


 私の意識が遠のき、頭の中と視界に真っ黒な渦が漂っていた。くらくらと目眩を起こし、足元がふらついて後ろへと倒れ込んでしまった。


「夏奈、しっかりね、私がここに居るから、最後の最後まで夏奈を支えてるからね」


 七瀬が私の全体重を受け止めて、背中をしっかりと支えてくれていた。


「七……瀬……」


 私の意識が戻り始め、やがて覚醒した。七瀬、助かったよ、ありがとう。


「うぅ……ごめんね……あの日から……あなたを一人ぼっちにしちゃって……」

「…………」

「もぅ……大丈夫だからね……私と一緒に……私たちと一緒に……帰ろうね……」

「うぅ……ぅぅ……ひぐっ……ひっぐ……ひぐっ……ぐぅ……うわぁぁあああああぁ……ぁぁうぅ……あぁぁぁあぁあぁあっぁぁっぁ………ぁあ……うぅ……」

「もう……大丈夫だよ……」


 私は少女をぎゅっと強く、つよくつよく抱きしめた。


「もう……一人なんかじゃないからね……」

「………………ありがとう………………」


 教室内に淀んでいた重苦しい空気が浄化され、少女の全身にまとわりついていた真っ黒な渦が消え去り、少女本来の姿があらわになった。

 優しい穏やかな表情を浮かべて、ふわふわとした雰囲気をまとった、可愛らしい少女がきらきらと光り輝く涙を浮かべて私に向かって微笑んでいた。


「私の名前は日向夏奈だよ」

「私は、古城こじょうりん

「凛、すごく素敵な名前、よろしくね♪」

「こちらこそよろしくね、夏奈」


 ──ガァタンッ!──


「夏奈!? 危ない!!」


 突然、七瀬の甲高い悲鳴が聞こえて、私と凛は七瀬に突き飛ばされた。


 ──ドシャンッ!──


 教室の天井が落下してきて、七瀬は何枚も連なった大きな木の板の下敷きになっていた。


「七瀬!!」


 私と凛は急いで木の板を取り払い、天井の下敷きになってしまった七瀬を引っ張り出した。

 七瀬は床へぐったりと倒れ込み、意識を失っていた。

 次々と天井の至る所が落下してきて、床や壁が割れて教室が悲鳴を上げ出した。


「七瀬、しっかりして! ねぇ、七瀬! くっ、私の……最後のおばけの化け力っ! 息吹け…………!?」


 ……。

 あれ……。

 体に力が……。

 全然入らないよ……。

 どうして……。

 ねぇ……どうして……。

 私のおばけの化け力が……。

 尽きちゃったの……。

 そんな……。

 こんな肝心な時に……。

 どうして……。

 どうして…………。

 どうして………………。


 けたたましく崩壊する音と共に教室の柱が次々と砕け始めた。

 辺りにはもくもくと粉塵が舞い上がる。


「夏奈……私のおばけの化け力を使って……」

「ふぇっ……?」


 凛はそう言って、私の後ろ側へ回り込んで、背中からぎゅっと体を抱きしめた。


「夏奈、もう一度おばけの化け力を使ってみてごらん」


 私は凛に向けて一度だけ大きく頷いた。


「うん……いくよ……」


 凛の温もりを感じながら、大きく息を吸い込んだ。


「「息吹け!!う・ら・め・し・やー!!」」


 あたたかくて優しさに溢れた、凛のおばけの化け力が私の身体中に入ってくるのを感じた。


 凛……ありがとう……これなら……きっと大丈夫……私の……最後のおばけの化け力……限界まで振り切るよっ!


 一陣の強い風が辺りに吹きすさんだ。

 目の前に、木の葉小学校の歴代校長先生が所有していた椅子が出現した。

 校長先生の椅子には薄らと校長先生の顔が浮かび上がっている。人面椅子だ。

 私は凛は二人の力を合わせて、七瀬を人面椅子に座らせた。人面椅子は大きくて、大人の七瀬を座らせても、まだスペースに余裕はあった。

 私と凛も颯爽と人面椅子に飛び乗った。


「人面椅子! お願い! 全速力でこの旧校舎から脱出してほしいの!」

「お願い!」

「仰せのままに!」


 渋い声の人面椅子は信じられないくらいの猛スピードで教室を飛び出した。

 次の瞬間、さっきまで私たちが居た教室は大きな音を立てながら完全に倒壊した。

 人面椅子は廊下をぐんぐんと猛スピードで走り抜け、階段を次々と飛び降りていく。

 旧校舎の正面玄関まで、後もう少しという所で、人面椅子は崩れ落ちてきた旧校舎の支柱と衝突した。


 ──ダァガァン!──


 バランスを崩した人面椅子はガクッと片膝をつくかの様に揺れ動き、私と凛は勢いよく人面椅子から放り出されて、ドス黒い木製の廊下へと突っ伏した。


「くぅっ!」

「あうぅ!」

「人面椅子! 七瀬と先に逃げてぇっ!!」

「仰せのままに!!」


 人面椅子は私と凛の二人を残して、旧校舎の正面玄関から七瀬と外へ走り去って行った。

 支柱の折れた壁がベキベキと音を立てて崩れているのが見えた。


「人面椅子……七瀬を頼んだよ……」

「夏奈……大丈夫……?」

「うぅ……ごめんね……私……私……凛を助けてあげられなかったね……」

「夏奈……ありがとう……私と一緒に居てくれて……すごく……凄く寂しかったから……本当に嬉しかったよ……」


 もぅ……。

 本当にだめかな……。

 旧校舎が崩れる……。

 これは十年以上前と同じ……デジャブだ……。

 私は……ここで……木の葉小学校の旧校舎で……。

 二回も死んじゃうんだね……。

 つばさ……。

 ポコタロー……。

 るるる……。

 こくい……。

 まひろ……。

 七瀬……。

 凛……。

 みんな……ありがとう……。


 私と凛に動ける力は一ミリも残っていなかった。

 私と凛は手を握ったまま、お互いに瞼をゆっくりと閉じた。


 …。

 ……。

 …………。

 ………………。

 ……………………。

 …………………………。

 ………………………………。


「夏奈! 夏奈!! 目を開けて!!! 起きてよ夏奈!!!!」


 夢の中で……。

 つばさの声が聞こえた……。

 気がした……。

 暗闇の中に……。

 一筋の小さな光が見える……。

 虹色の蝶が……。

 舞っている……。

 あれ……。

 ここ…………。 

 どこ………………。

 薄目を開けた様な視界……。

 揺れ動く……。

 つばさが私を抱きかかえ……。

 歩いている……。

 だけど……。

 私はもう……。

 一歩も歩けそうにないよ……。


「つ……ば……さ……」

「夏奈! しっかり! あと少しだからねっ! みんなで一緒に元の場所へ帰るんだ! 夏奈は僕の一番最初にできた大切な友達なんだから! 今度は僕が夏奈を守るんだ! だから、だから最後まで諦めちゃダメだ! 最後の最後まで一生懸命生きるんだ!」


 つばさ……たくましくなったね……。

 視野の端に、まひろが凛を抱きかかえて歩いているのが見える。


「うがぁっ! もう少しで出口だからねぇ!!」


 つばさ……。

 きっと……。

 もぅ……。

 大丈夫だよね……。

 誰も……。

 一人ぼっちなんかじゃないよね…………。

 お……や…………す……………み…………………………………………………。

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