第18話 安らかな眠り

 夏奈がこっちへ向かって走って来るのが見えた。


「こくい! 大丈夫!?」

「つばさ……た……助かった……死ぬかと思ったぜ……ありがとな……」


 僕と七瀬先生が乗っていた、ポコタローの化け力で作り出された巨大な人の顔はいつの間にか消えていた。

 そこには、ボロボロの毛並みになったポコタローが、ぐったりとして眠ってしまったかの様に倒れ込んでいた。


「ポコタロー!」

「……」

「ねぇ、起きてよポコタロー?」

「…………」

「寝るにはまだ早い時間だよ?」

「………………」

「ねぇ……ほんとは聞こえてるんでしょ……?」

「……………………」

「ねぇってば……ポコタロー……返事……してよ……」

「…………………………」

「ポ……ポコ……」

「………………………………」

「うぅ……ひぐっ……ひぐっ……ひぐっ……ぅぅ……」

「……………………………………」


 ポコタローは……息をしていなかった……。

 夏奈はポコタローに手を添えたまま、無言で項垂れていた。


「うぅ……俺を助けるために……ぐすっ……すまねぇ……ポコタロー……」


 こくいは冷たくなったポコタローをゆっくりと抱き上げて、夏奈に手渡した。

 こくいの目元から、ポロポロと涙が溢れている。

 夏奈は眠るポコタローをぎゅっと抱きしめて肩を震わせていた。

 僕は目のやり場に困り俯いた。次から次へと自然に涙が廊下へと零れ落ちる。

 沈黙の後、静かに、深く、ゆっくりと深呼吸をする音が数回聞こえてきた。

 見上げると、夏奈が深呼吸をして涙を拭っている姿が見えた。

 いつもはきらきらの瞳を輝かせている夏奈の目元が、少し腫れている。


「さぁ、あと一息だよ、廊下の先にある、あの出口まで走りきるんだよ!」

「夏奈……」


 夏奈が誰よりも一番悲しんでいるはずだ……。

 夏奈はポコタローと……ずっとずっと一緒に過ごしてきたんだから……。

 それなのに……それなのに夏奈は……率先して僕達みんなの事を勇気付けようとしてくれている……。

 悲しいけど……ここで立ち止まってちゃいけない……。

 今は無理矢理にでも……前へ進まなくちゃいけない……。

 夏奈の気持ちを考えると……胸が張り裂けそうだ……。


「そうだね、最後まで、みんなで一緒に走りきろう!」

「うん!」

「おうよ!」

「そうだねぇ!」


 僕達は、ポコタローがおばけの化け力で破壊した校舎の出口へと向かって走り出した。

 ぐらぐらと揺れる校舎、軋み嫌な音を立て続ける支柱や床。

 ぱらぱらと天井から木屑が落ちてくる。

 出口まで、あともう少しという所で、突然目の前に天井が落下してきた。続いて大きな支柱がへし折れる音が聞こえたと同時に、旧校舎がガクンと一気に傾いた。

 僕を含めて、全員がその場へと勢いよく派手に転んでしまった。


「きゃあ!」

「うわぁ!」


 夏奈は転んでも、胸に抱えたポコタローを庇う様にして、決してポコタローを離さなかった。ポコタローは夏奈の胸の中で安らかに眠っている。


「くうっ……」


 人体模型の背中から投げ出されてしまった春風さんが視界の端に映った。


「きゃぁっ!」

「ヴェハッ!」


 七瀬先生の声が響いた。


「みんな大丈夫!? 立ち上がって!」


 七瀬先生は倒れ込んだこくいとまひろを起き上がらせている。

 人体模型は急いで春風さんの元へ歩み寄り、春風さんをお姫様抱っこしていた。


「夏奈、大丈夫?」

「うん……大丈夫だよ……」


 僕は倒れ込んだ夏奈に手を差し伸べて、起き上がらせた。

 夏奈の様子が少し変に感じた、疲労が溜まっているせいなのか、さっきまでの機敏な動きではなく、元気もない。

 それでも僕達は一生懸命に走って、走って、ただひたすらに走った。

 誰かが転んでも、誰かがすぐに手を差し伸べた。

 僕の視線の先で、こくい、まひろ、七瀬先生が校舎の出口から抜け出したのが見えた。

 続いて僕と夏奈も一緒に、校舎の出口から抜け出す事が出来た。

 旧校舎から抜け出すと、そこは僕達が普段から通っている木の葉小学校の敷地内だった。

 全身に感じる解放感、外の空気は陰鬱な旧校舎とは明らかに違っていた。

 ぐるぐると心に巻き付いていた枷が外れたかの様だ。

 後ろを振り返ると、春風さんをお姫様抱っこした人体模型が校舎の出口へ向かって走って来るのが見えた。


 ──ダ”ァ”ン”ッ”ヴ”ィ”ン”チ”ィ”イ”ン”ンッ”!!──


 轟音ごうおんと共に一気に校舎が倒壊を始めた。


 ──どんっ!──


 鈍い音が一度聞こえた。

 校舎の出口の目の前で、人体模型の腕から春風さんが廊下へと落下した音だった。


「きゃあっ!」


 校舎の出口が半分以上倒壊し始めている。

 刻一刻と迫る危機に焦りを感じて、身体中の水分が沸騰しそうな錯覚に陥る。


「まずい! 春風さん! 早く! 早くこっちへ!」


 僕達みんなは慌てて春風さんの元へと走り出した!


 ──ミ”シ”ミ”シ”ミ”シ”ベ”キ”ベ”キ”ベ”キ”ギィ”!!──


 人体模型は倒れ込んだ春風さんの頭上へと覆い被さる様に身体全体を折り曲げて、校舎から落下してきた天井、倒壊した壁、支柱等を全身で受け止めていた。


 ──ドガ!!──


「人体模型さん!」


 パキパキと人体模型の身体にひびが入り、パキュッ! と身体の何かが割れる音が聞こえた。


「るるる! 逃げてぇー!」


 まひろの声が聞こえた後、人体模型の剥き出しにされた臓器が木製の廊下へと、ボロンボロンと次々にこぼれ落ち、乾いた音が鳴った。


「ヴェ、ッハッハ(さぁ、行くんだ)」


 春風さんは人体模型の目を見つめて一度頷いてから、自分の足で立ち上がり倒壊する旧校舎から間一髪の所で脱出した。


 ──ド”ラ”ァ”ン”ン”ク”ゥ”ロ”ォ”ァ”ア”ン”ン”!!──


 耳を塞ぎたくなる様な音が鳴り、砂煙りを巻き上げながら旧校舎の出口が完全に倒壊した。

 夏奈のおばけの化け力で動いていた人体模型は、旧校舎の出口の倒壊と共に飲み込まれてしまった。

 僕達みんなは息を切らしながら、春風さんが座っているその場へとへたり込んだ。


「るるる、無事で良かった」

「クスン……クスン……人体模型さんが……クスン……」

「残念……だったねぇ……最後まで……るるるを守ってくれたんだねぇ……」


 春風さんの膝下に、コロコロと何かが一つ転がってきた。

 それを手に取って確認すると、それは人体模型の目玉だった。


「目……クスン……綺麗な目……クスン……」


 春風さんは人体模型の目玉を大切そうに両手で包み込み、ちょうど胸の辺りに当てて目を瞑っていた。

 春風さんの目から、真珠の様な涙がきらりと光って見えた。


「……ありがとう……人体模型さん……」


 辺りはすっかりと暗くなり、空高く月が輝いている。

 その月は美しくて……妖しい光をゆらゆらと地上へ放っているみたいだ。

 月は一人きり、月は孤独だと感じた。

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