第15話 幻の木の葉小学校
「わりぃなつばさ、俺のトイレに付き合わせちまって」
「ううん、大丈夫だよ。実は僕もずっとトイレへ行きたいって思ってたんだ。でも、今のこの状況でトイレへ行くのは怖くて、中々言い出せなかった。誘ってくれてありがとう」
「ははは! いや〜実を言うと俺も少しびびっちゃってよ、つばさが来てくれて助かったぜ! やっぱ連れションは男子の友情だよな!」
「えぇ、連れションは男子の友情なんだ?」
「おうよ!」
「そうなんだ……。でも、さすがに本物のおばけは怖いよね……」
「何がどうなってんのかさっぱり分からねえ。さっきのまひろも、おっかねぇおっかねぇ」
「びっくりしたね……」
また血の手形が迫って来たら怖いからと、先ほど通ったきた廊下とは反対側の方へと歩き出した。
「つばさ、あれトイレっぽく見えねぇか?」
「ほんとだ! トイレだと思うよ!」
しばらく歩いていると、階段のすぐ近くにトイレを見つけた。
「ここでは何も起きないよな……?」
「だといいんだけど……」
いつの間にか辺りの日が暮れて、トイレは薄暗かった。
僕とこくいは緊張しながらトイレへと足を踏み入れる。
──ギギィギギィ──
歩く度に湿った木製の床が、しなる音を立ててトイレ内へと響いた。
「何も起きないみたいだな」
「そうだね、今の内に済ませちゃおう」
……
…………
………………
……………………。
「ふぃぃぃいい」
「ふぅ、スッキリ爽快」
僕とこくいはトイレから出ようと歩き出した時、トイレの個室から喋り声のようなものが聞こえてきた。
「ねぇ……ぉぅちにかぇりたぃ……? ねぇねぇ……ぉぅちにかぇりたぃ……?」
僕たちは扉の閉まった個室の前でピタリと足を止めた。
「つばさ……今の聞こえたか……?」
「うん……聞こえた……」
──ギ”シ”ッ”ギ”シ”ッ”ギ”シ”ッ”ギ”シ”ッ”ギ”シ”ッ”ギ”シ”ッ”──
突然、誰かが廊下を足早に歩いている音が聞こえてきた。
徐々に足音が近付いて来て、その音はトイレの入り口で止まった。
僕とこくいの視線は自然とトイレの入り口へと向けられていた。
そこには、紺色のスカート履いた下半身だけが立っていた。
スカートの裾からは足首が見え、白色の靴下と上履きを履いている。
上半身は……無い……!!
「うぉ!?」
「ひっ!?」
開け放しにしておいたトイレの扉、下半身はトイレの中へと入って来た。
僕とこくいが佇む、先ほど声が聞こえてきた個室の前まで歩いてきた。
一呼吸を置く暇もなく、下半身はトイレの個室の扉を勢いよく足の裏側で蹴り飛ばした。
──ガギィィィッ……!!──
個室の扉が大きな音を立てて開いたけど、そこには便器があるだけだった。
心臓が早鐘を打ち、固唾を飲む。
何もいない……誰もいない……そう思った時だった……。
「ひひひっひひひっ」
少女の笑い声が聞こえた途端、隣の個室からズヌッと首を伸ばした顔だけが真横を向いた状態で、穴が開く程にじっとこちら見つめていた。
暗い天井から二本の白い腕がドュルンッと落下してきて僕の腕と服を掴んできた。
「うわあああぁぁあ!」
「つばさ!」
二本の白い腕は僕を強い力で引っ張り始め、トイレの個室へと引きずり込もうとしていた!
ビリリッっと服が破ける音が聞こえた。
ちょっ、ちょっと夏奈!? 服が破けたよ!? 僕を引っ張る力が強すぎて痛いよ!?
「夏奈! だめだよ! さすがにやりすぎだよっ!」
「かな!?」
突然、白い腕は脱力して僕の腕と服から掴んでいた手を離した。
「かな……? カナ……? 夏奈! ひひひっひひひっャァァアッヒッヒ!!」
少女の不気味な笑い声がトイレの中へと重く響きわたる。
白い腕は更に力を増して再び僕の首と足を引っ張り始めた!
「痛いよ! 夏奈! 止めてよ!」
こくいが飛び込んで来るのが見えた。
「つばさぁぁああっ!」
こくいは勢いよく白い腕に飛び付き、僕から必死に引き剥がそうとしていた。
少女のものとは思えない程の強い力で僕はトイレの中へと引きずられていく。
「うぅ……ぐぁ……っ」
「こんにゃろぉお! その手を! はなしやがれぇえ!」
首のあたりからミシミシッと嫌な音が聞こえて、抵抗する事を止めるという考えが脳裏に過ぎる。
ふいに、ふわっと冷たい冷気を全身に感じた。
「息吹け! う・ら・め・し・やー!」
どこかで聞き覚えのある声……夏奈の声だ!
──バサッ、バササッ、バサバサササッ!──
たくさんの本が高速で閉じて開いてを繰り返し、宙を舞っていた。
本はまるで自分の意思を持っているかの様に動き始める。
本たちは僕を引きずろうしている白い手や、下半身、首を伸ばした顔に向かって突進し、背表紙の角の部分で突つく動きしていた。
「ぎぃゃぁぁァァあああああっッ!!」
白い手は痛みを伴った為か、僕をドンッと乱暴に突き放し、バタバタタタタッと素早い動きで床をのたうち回わった後、煙のようにブワッっと消えた。いつの間にか、下半身も首を伸ばしていた顔も姿を消した。
「よくも、よくもやってくれたなぁぁああ!!」
トイレ内の至る所から憎悪に満ちた声が渦を巻く様に木霊した。
「息吹け!」
廊下から再び夏奈の声が大きく聞こえ出した。
「呪ってやる呪ってやる呪ってやるぅううぁああああ!!」
夏奈の声に反応した、憎悪に満ちた声は捨て台詞を吐いて煙の様に消え去った。
「ふぅ……」
僕とこくいはその場に立ち竦み、廊下の方へと視線をやった。
トイレの入り口前に立つ夏奈が、いつもより大人びて見えた。
「夏奈……どうしてここに……」
「つばさ、大丈夫?」
「なんとかねぇ……それより……姿を表しちゃって大丈夫なの……?」
「そんなのどうこう言ってる場合じゃないよ、つばさがピンチだったんだから」
「僕の為に……ごめんね……ありがとう……」
「ふふっ、気にしない♪ 気にしない♪」
夏奈は笑顔を見せて僕を励ましてくれた。
倒れ込んでいた僕に、こくいは手を差し伸べてくれた。
「つばさの友達か?」
「僕の友達だよ、紹介するね」
「マジかよ!? 本が宙を飛んでたけど、まさか魔法使いなのか!?」
「あっ、いやっ、そのっ、なんていうか、夏奈は、あの……」
夏奈が廊下へ出て来てと言わんばかりに、僕とこくいに向かって手招きをしていた。
そうか、ここは男子トイレだから僕たちが廊下へ出て行かないといけないね。
「夏奈、裏飯夏奈だよっ」
「俺は冬麻こくい、つばさの友達だ、よろしくな」
「ふふっ」
夏奈はこくいに向かって微笑んだ。
「夏奈は何年生だ? 背がちっちゃいから俺たちより年下の学年か?」
「ちょっと背がちっちゃいからって失礼ね! こう見えても私は五年生だよ!」
夏奈はこくいに向かって詰め寄る。
「わっ、わりぃわりぃ、学校で一度も見かけた事がなかったから!」
こくいはそう言ってニカッと白い歯を見せて笑っていた。
夏奈は色白で綿菓子のように柔らかそうなほっぺたを少し膨らませて、ムッとした表情を浮かべていた。
「もぅ!」
「そんな事はどうでもいい! 夏奈、魔法が使えるのか!?」
「魔法じゃないよ、おばけの化け力だよ」
「おばけの化け力……? なんだよそれ……?」
説明が長くなりそうだと思って、僕は強引に二人の会話に割り込んだ。
「こくい、説明は後だよ! 早く春風さんとまひろが居る教室へ戻らないと!」
「そ、そうだけどよ……」
こくいは僕と夏奈の訝しむ様な目付きで見つめていた。
「こくい! 後で詳しく説明するから!」
「お、おうよ」
春風さんとまひろの身に何かあったらまずい! 早く二人が居る教室へ戻らないと!
「急いで!」
「分かったよ!」
「走るよ!」
僕たちは夕暮れの長い廊下を全力で走り、春風さんとまひろの居る教室へと戻って行った。
◆
「きゃぁあああ!」
「なによこれー!」
教室の中から廊下へと、春風さんと、まひろの悲鳴が漏れ聞こえてきた。
「春風さん!」
「まひろ!」
教室の扉を勢いよく開けると、僕たちが想像していた光景とは少し違った光景が目に映った。
「せやから言うてるやん〜? わては妖精やて〜?」
「たぬきが妖精な訳ないよねぇ?」
「た……たぬきが喋ってる……」
僕と、こくいと、夏奈が教室の中へ入ると、春風さんとまひろが僕たちが戻ってきた事に気付いた。
「あっ、おかえり、遅かったねぇ?」
「ただいま……ちょっと色々あってな……」
「そうなんだ?」
「遅くなってごめんね」
「あたし達は平気だよ、それよりこれ見てよ!」
まひろに促された方へ視線を向けた。
「つばさ! 久しぶりやん? 元気にしとったか?」
「ポコタロー!? どうしてポコタローまでここに!?」
「がははははっ! 細かい事は気にせんでええ!」
後ろに居たこくいが唐突に声を上げた。
「ポコタロー? あっ……。あああああーっ! 喋るヘンテコたぬきだ!」
「むっ? たぬき? どこや!?」
ポコタローは周りをキョロキョロと確認した後、訝しむ表情でこくいの顔をじぃっと見つめていた。
「むむっ? たぬきて、わての事を言うとるんか? 誰がヘンテコたぬきや! 今思い出したでぇ、あん時のガキンチョやなぁ!」
「まぁまぁ二人とも落ち着いて」
春風さんが夏奈の存在に気付く。
「あれっ……? 六年生のお姉さん!」
「ふぇっ?」
夏奈が驚いた表情で春風さんを見上げている。
「六年生? お姉さん? 私のこと?」
「うんっ! 六年生の作ったお化け屋敷に入る前、お姉さんを廊下で見かけて、凄く可愛かったから覚えてたの!」
夏奈は視線を外さずに春風さんの言葉を聞き入っていた。
「お姉さんだなんて〜♪ ふふっ♪ ありがとっ♪」
おそらく夏奈は、大人びた春風さんから年上に見られてすっごく嬉しいんだと思う。
「でもね、私もね、あなたと同じ五年生だよ♪」
「えぇっ!? そうだったんだ!? 凄く綺麗で大人っぽいから全然わからなかった……」
「ふふっ♪」
ポコタローが机の上にポンッと飛び乗った。
「夏奈が大人っぽいやて〜?」
「なによポコタロー? なんか文句ある訳ー?」
夏奈がジトっとした目付きでポコタローに圧を掛けていた。
「ちゃうちゃう、ちゃうねん、今はそんなんどうでもええねん。喜んどるとこ水を差すようで悪いけどな、はよ急いだ方がええで。この禍々しい雰囲気、何か嫌な予感がビンビンや」
「あら、そうだったね」
僕は夏奈に詰め寄った。
「夏奈! 教えてよ! ここは今、何が一体どうなってるの!?」
夏奈は僕たち全員を順番に見つめた後、閉じていた瑞々しい唇を開いた。
「ここはね、六年生たちが作ったお化け屋敷じゃないの。何十年も前に建てられた、今はもう存在しない木の葉小学校の旧校舎、本物のお化け屋敷だよ」
「本物の……お化け屋敷……」
「やっぱり……そんな気がしてたんだ……でも……どうして……?」
「お化け屋敷を開催した、木の葉小学校の六年生のクラスから、この古い木の葉小学校へと道が繋がっていたの」
「どうして古い小学校と道が繋がるんだよ? それに、俺たち以外のみんなはどこへ行ったんだよ?」
夏奈は人差し指を唇に当てて何か考えている様だった。
「古い木の葉小学校と繋がった理由はただ一つ、おばけの化け力のせいだよ。つばさ達が古い小学校へ入った後、その道は閉ざされてしまった。だからここに、つばさ達以外のみんなは居ないの」
「僕たち以外のみんなは、普通の木の葉小学校に居るって事?」
「そう、今も六年生が作ったお化け屋敷で楽しんでる最中だよ」
そ、そんな……。
どうして僕たちだけが……。
「夏奈がさっきから言ってる、そのおばけの化け力って一体なんなんだ?」
こくいが僕達の心情を代弁してくれていた、おばけの化け力については当然、僕以外の三人は疑問に思う事だ。
「おばけの化け力はね、おばけ、幻、怪異を作り出す事のできる不思議な力の事だよ」
「さっきの魔法みたいなやつって事か?」
「魔法とは違うと思うけど、ざっと簡単に説明しちゃうと、そんな感じになるのかなぁ」
「なんだかよく分かんねぇけど……」
「要は不思議な力って事♪」
「おうよ? もう一つ聞きてぇ、どうして俺たちだけが六年生の作ったお化け屋敷から本物のお化け屋敷へと迷い込んだんだ?」
夏奈は俯いた。
「みんながこの場所へ迷い込んじゃった理由はね……」
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