第11話 夏奈と七瀬の過去

 陽射しはまだ、それほど強くはないけれど、暑い日だった。

 木の葉小学校の名前には、木の葉の文字が入っている程で、学校の敷地内、敷地外の周囲にも種類豊富な多くの木々たちが成長を育んでいる。

 そのせいもあって夏のこの時期になると、多く蝉の鳴く声が三階建ての校舎全体へと響き渡る。それはまるで、毎日が蝉の音楽会のようだった。

 終業式が終わり、クラスメイト全員が担任の先生から通知表を受け取り、帰る準備をしている時の事だった。


「夏奈、夏休みの宿題はいつから始めるの?」

「ふふっ、今日に決まってるじゃん! 明日から夏休みが始まるんだよ? 夏休みが始まる前にフライングでドリルを全部終わらせるんだから♪」

「うわ〜でたっ! 夏休みに前日に気合い入れて、一日でドリルは全部終わらせるけど、結局その気合いは三日坊主で他の宿題は夏休みが終わる前日に泣きながら一気に全部やるパティーン!」

「そんなことしないもん! 宿題はちゃんと全部早めに終わらせるもん!」


 夏奈はココア色をした、マシュマロのように柔らかそうなほっぺを膨らませた。


「七瀬こそ、読書感想文をママやパパに手伝わせたりしないでしょうねぇ?」

「はっはっは! あたしは日々緻密に、そして計画的にするから大丈夫! なんの心配も入りません〜夏奈は自分の心配をしてなさい!」

「むぅ〜!」


 ホームルームを終えてクラスメイトのみんなに、夏休みの間に予定を合わせて遊ぼうねと軽く挨拶をして、昇降口で上履きから外靴へと履き替える。


「七瀬、上履き持って帰るよね?」

「もちろん」


 あたしと夏奈は学校から家へと帰る前に、学校の敷地内にあるクラスメイトのみんなで、花壇に植えたヒマワリの様子を見に行く事にした。

 上履き袋の紐を手首に通して、ぶらぶらとぶら下げるようにしながら花壇までの道のりを二人でのんびりと歩く。

 七月の中旬ともなると気温も上昇し、たった少しの距離を歩くだけでも、ふつふつと汗の玉が首筋に浮かんできた。


「やっほ〜ひまわりちゃん! もう少しで素敵なお花が咲きそうだねっ♪」


 花壇に等間隔で植えられたひまわりは、鮮やかな緑色の茎が見え、背丈が日に日に伸びてきているのが一目見ただけでもわかった。


「この調子なら夏休みに入ってからすぐにでも、お花が見れそうだね!」

「そうだね〜クラスメイトのみんなが順番こにお世話してくれてるおかげだね」


 あたしと夏奈、クラスメイトのみんなも、花壇に植えたひまわりが成長する姿を日々ワクワクしながら観察していた。

 特に夏奈は学校から帰る前に、ひまわりのようすが気になって仕方がないのか、毎日と言っていいほど、ひまわりの様子を熱心に見に行く事が日課になっていた。


「ねぇ、どこかで泣いてるような声が聞こえない?」

「泣いてるような声? どこで? ほんとに聞こえる?」

「しっ、耳を澄ましてみて……」


 夏奈はそう言って人差し指を自分の唇の先端にそっと重ねる。

 耳を澄ましてみると、どこからか分からないけれど、微かに女の子の泣き声が聞こえるような気がした。


「夏奈……?」

「七瀬! こっちだよ!」


 突然、夏奈は走り出した。

 私は夏奈の後を追い、ひまわりを植えた花壇を抜けて、校舎の外れへと駆け足で向かう。

 

 夏奈の足がふいに止まった。

 辺りを見渡すとそこには、老朽化が進み、今はもう使われていない古い木造旧校舎の姿があった。

 旧校舎の正面玄関前で佇む、女の子が二人と男の子が一人居た。

 私たちと比べて体躯たいくが小柄だった為、一目で低学年だと判断できた。

 一人の女の子が声を上げて泣いている。

 夏奈は低学年の子たちに近付き、泣いている女の子の側まで行くと、女の子の目線と同じ高さに合わせるように屈んで話しかけた。


「ねぇ、どうしたの? なにかあったの?」

「うぇぇん……えんっ……ぇぇん……」

「大丈夫だよ? お姉さんに話してみて?」


 夏奈は優しい表情を浮かべて、泣いている女の子にゆっくりと声を掛ける。手を伸ばし、泣いている女の子の背中を撫でるようにさする。

 女の子はじょじょに気持ちが落ち着いてきたのか、声を上げる泣き声から、すすり泣くような声へと変化していた。


「ひぐっ……ふぇっ……ひぐっ……」

「もう大丈夫だからね、お姉さんにゆっくり話してごらん?」


 女の子は夏奈の顔を見つめて、こくりと一度頷いた。


「ポコタローがね……ひぐっ……逃げちゃった……うぅ……」

「ポコタロー? ポコタローって……なぁに?」


 隣に居た男の子が説明するように喋り出した。


「ポコタローはクラスで飼ってるたぬきだよ」

「たぬき……?」

「ポコタローの家を掃除してたら、急に家の外へ走り出して逃げちゃった……」

「クラスで飼ってる、たぬきが逃げちゃったんだね?」

「……ひぐっ……ごめんなさい……ひぐっ……」

「ううん、大丈夫だからね。ポコタローはどこへ向かって、走って行っちゃったの?」

「あっち……ひぐっ……」


 泣いている女の子は、夏奈より小さな両手で涙を拭いながら木造旧校舎へ向けて指を差した。


「旧校舎……」


 あたしは下級生の三人へ視線を向けて喋りかけた。


「そのたぬきは旧校舎の中へ入っちゃったの?」


「うん……そうだよ……」


 夏奈が泣いている女の子を慰めている間、あたしは旧校舎の正面玄関へ向かって歩いた。

 木の葉小学校の児童たちは、先生たちから事あるごとに旧校舎は老朽化が進んでいて、危ないから絶対に入らないようにと念を押されていた。

 木の葉小学校へ通う児童たちにとっては周知のことだった。

 正面玄関のドアノブへ触れられる程の距離まで歩み寄る。

 古びた玄関の扉が数十センチ程開いているのが見えた。これなら、たぬきどころか、人さえも旧校舎の中へ容易に入る事ができてしまう。

 旧校舎の中へは立ち入ることができないようにと、普段から鍵が掛かっているはずなのに……たまたま鍵が壊れていた……?

 それとも……故意に鍵が開けられた……?

 疑問が胸にひっかかり、どこか違和感を感じた。


「夏奈、ここ開いてるよ?」


 夏奈は立ち上がり、数メートル離れた私の方を見つめていた。


「そうなんだ?」


 夏奈は思案を巡らすよう、人差し指を顎に押し当てている。


「よぉし、お姉さん達がポコタローを探してきてあげる!」

「ふぇ……? でも……でも……」

「大丈夫、任せて!」

「旧校舎の中へは絶対入っちゃダメって先生が……ぐすん……」

「それは〜……その〜……まぁ〜……ヒミツにしててっ♪」


 女の子は「うん」と言って一度頷く。


「夏奈、そうとうボロっちぃよここ? 入って大丈夫かな?」

「ポコタローを見つけて、すぐに出てこれば大丈夫でしょっ♪」

「だと良いんだけどさ〜……」


 あたしと夏奈は、旧校舎の鍵の壊れた正面玄関から校舎内へと足を踏み入れた。

 木造だから風通しがいいのか、思っていたよりも校舎の中は暑くはなかった。

 七月中旬だというのに、校舎内は冷んやりとしている。

 木造校舎特有の木の匂いがして、床の上を歩くたびに──ギィィ──と木の床がしなる音が鳴った。


「ポコタローは大きい寝床が欲しかったのかなぁ?」

「旧校舎を寝床にするの〜? 古い建物だからなのか、なんだか不気味な感じがするよ?」

「それもそうだねぇ」

「それにしても、どうやってポコタローを探しだそうか?」

「くちゅんっ☆くちゅんっ★」


 夏奈が両目をつむって二回続けてくしゃみをした。


「大丈夫?」

「大丈夫だよ、ちょっと埃っぽくてさぁ」

「たしかに埃っぽいね」


 廊下や窓枠に積もった埃を注視する。

 夏奈の瞳がキラキラと輝きを増し、星の光を宿したかのようだった。

 ポコタローを探しだすきっかけ、何かアイディアが閃いたのかな……?


「埃……七瀬、埃だよ埃!」

「むっ? あたしは埃じゃないよ〜?」

「違うよっ七瀬! 雪のように積もってるこの埃を見てごらん!」

「んん〜?」

「もぉ〜よく見て! ここに小さな足跡が付いてるでしょ?」


 屈んで廊下をじぃ〜っと凝視すると、廊下に積もった埃の中に、小動物の小さな足跡が、ペタペタとスタンプを押されたかのように付いているのが見えた。


「本当だ! 足跡が付いてる!」

「この小さな足跡はたぬきのものだと思う! 足跡を辿って行けば、きっとポコタローが見つかるはずだよ!」

「やるじゃん夏奈〜! いよっ名探偵〜!」

「ふふっ♪」


 夏奈は満足そうな表情で胸を張った。

 あたしと夏奈は廊下に目を凝らしながら、積もった埃の中に浮かび上がるポコタローの足跡を見つけながら歩み続けた。

 足跡は一階から二階へと続いていた。

 どうやらポコタローは階段を上ったみたいだ。


「ポコタロー、二階へ上がったんだ?」

「二階へ行って、いったいなんの目的があるんだろうね?」

「ねぇ、七瀬」

「どしたの?」

「これって……」


 夏奈は階段を上る途中で立ち止まり、足下を指差した。

 あたしは夏奈に促されて足下を注視する。


「人の……足跡……?」

「やっぱりそうだよね? これって最近付けられた新しい足跡に見えるよね?」

「そんな感じがする」

「私たちの他に誰か居るってこと?」

「ええっ、この旧校舎の中に?」


 ──ォ”ォ”ォ”ォ”ォ”──


 校舎内のどこからか、奇妙な音が聞こえてきた。それは人の声のようにも感じられた。


「ねぇ、今の音、聞こえた!?」

「聞こえた、人の声みたいな? ここ、なーんかまずいんじゃないの?」

「ふふっ、気のせい気のせい。早くポコタローを見つけて戻ろう!」


 ──ォ”ォ”ォ”ォ”オ”オ”オ”オ”──


 ──メキョ……メキョ……メギョ……メギョ……──


 あたしと夏奈は無言で目を合わせていた……。

 その合わせた目線を意味することは……お互いにその奇妙な音を聞いたという確固たる証拠だった……。

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