第10話 先生の好きな絵

 昨夜の二ュース番組で梅雨明け宣言が発表され、初夏の始まりを知った。

 やっと梅雨が終わって嬉しい気持ちの反面、夏が近付くにつれて毎日暑くなるんだなぁと、通学路を歩きながらしみじみと物思いにふけっていた。


「つばさ、おはよう」


 聞き覚えのある声に呼ばれて振り返ると、きらりとキューティクルが輝くボブカットの、笑顔を見せるまひろが居た。

 まひろは笑うと可愛らしい小さなえくぼが見えるのが特徴的だ。


「おはよう」

「やっと梅雨が明けたみたいだねぇ」

「そうみたいだね、僕も昨日のテレビを観て知ったよ」

「これからどんどん暑くなってくるねぇ、困っちゃうよねぇ」

「まひろは暑いのが苦手なの?」

「得意ではないねぇ、どっちかっていうと夏よりか冬の方が好きだねぇ」

「そうなんだ? どうして夏より冬が好きなの?」

「冬は服を着込めばポカポカで暖かく過ごせるけど、夏の暑さはどうしようもないからねぇ。外で服を脱ぐ訳にはいかないしねぇ? つばさは夏と冬、どっちが好きなの?」

「う〜ん……僕は夏の方が好きかなぁ」

「どうして?」

「夏でも、たまに夜が涼しい日があったりするでしょ?」

「まぁ、そんな日もあるかもねぇ?」

「夏の涼しい夜の日は、なぜだか凄く切ない気持ちになるんだよね」

「切ない気持ち?」

「不思議だよね、僕はそう感じちゃうんだ」

「ふ〜ん、切ない気持ちにねぇ……」

「まひろもそんな事、感じたことある?」

「う〜ん……」


 まひろは首を捻って記憶を辿っているようだった。


「ないねぇ」

「ありゃ、そうなんだ……」

「つばさってロマンチストなんだねぇ?」

「へへっ、そうかな?」

「ねぇ、話題変わっちゃうんだけどさ、知ってる? 図工室の噂」

「図工室の噂? どういう噂?」

「図工室の掃除当番で、図工室を掃除をしているといつの間にか、普段は飾られていない、見覚えのない絵が飾られてるんだって」

「それは、先生が飾る絵を変えてるとかじゃなくて?」

「でもねぇ、その絵は普通の絵じゃないみたいなんだよねぇ」

「普通の絵じゃない? いったい、どういう絵なの?」

「動くんだって」

「動く? 絵が動くの?」

「風景画らしいんだけどねぇ」

「風景画……僕は風景画好きだよ。博物館の展覧会で何度か観たことあるよ。その噂の風景画はどこがどう動くの?」

「一見なんの変哲もない風景画らしいんだけどねぇ、風景のどこからか人物が現れて、だんだんと前面へ移動して来るらしいねぇ」

「えっ……絵の中の人物が移動して来るんだ……?」

「いつのまにか絵を見ている人の目の前まで来ていて、ふと気が付いたら絵を見ている人の背後に、その絵の人物が居るらしいねぇ」


 風景画の中の人物が移動する。まひろの話しを聞いて、僕は背筋がゾッとした。


「それにねぇ……その絵っていうのがねぇ……」

「な、なに……? その絵っていうのが……?」

「すっごいっ下手っぴな絵らしいんだよねぇ」

「へっ?」


 まひろの言葉を頭の中で復唱する。

 すっごい下手っぴな絵……すっごい下手っぴな絵……僕は想像する。

 すっごい下手っぴな絵を思い浮かべていると、いつの間にか恐怖心がどこかへ吹っ飛んでいってしまった。


「あはは、拍子抜けしちゃうよねぇ? どれだけ下手な絵なんだろうって? 下手な絵の人物が移動してきてもねぇ? さすがにちょっと、笑っちゃいそうだよねぇ?」

「う、うん。たしかに笑っちゃうかも」


 そんな他愛のない会話をしながら歩いていると、木の葉小学校に着いた。

 僕たちは外靴から上履きに履き替えて、自分たちのクラスへと一緒に歩いて行く。

 三階にある教室へ入ると春風さんとこくいが、僕とまひろに気付いて、おはようの挨拶を交わした。

 少し前までの僕にとっては考えられないことだった。今ではクラスの教室へ入ると僕に笑顔で挨拶をしてくれる友達がいる。

 曇天のように灰色がかっていた学校生活が、色とりどりの輝く色彩を帯び始めている。

 僕は学校へ来る事が日々楽しくなってきている。

 今まで体験した事がない、なんとも不思議な心地良さだった。

 そういえば、ここ最近は夏奈に会ってないなぁ。

 暑い日々が続くけど、おばけの夏奈にとっては、夏の暑さとか冬の寒さは関係あるんだろうか?

 おばけは四季の中で、いったいどの季節が好きで過ごしやすいんだろう?



 午前中の授業を終えて、給食の時間となった。

 隣同士の席のクラスメイトたちと、机をつなぎ合わせて給食の準備をする。

 この机を繋ぎ合わせたクラスメイトたちと同じ一つの班ということになる。

 この机を繋ぎ合わせる班の一人に、まひろが居た。

 まひろがクラスメイトと楽しそうに会話をしている。まひろの周りには常に誰かしらクラスメイトが居る。まひろは喋り上手で、聞き上手だからだ。

 給食の時間が終わり、僕はお腹がいっぱいになった。

 これからクラスメイト全員が各班同士に別れて、学校各所の掃除を始めることとなる。

 今週、僕たちの班の掃除場所は図工室だった。僕とまひろとクラスメイト二人、合わせて四人で図工室へと向かう。


「よりによってあたしたちの掃除場所が図工室だなんてねぇ?」

「なにも起こらなければ良いんだけど……」

「まぁ、あくまでも噂だからねぇ、それほど気にしなくても大丈夫だとは思うけどねぇ?」

「そうだよね、ただの噂だもんね」


 僕は正直なところ、その噂を巻き起こしているのが夏奈だったら良いのになと心の奥底で思った。

 だけど、まひろやクラスのみんなには声高々に正直には言えない。

 夏奈はできるだけ人目を避けている。おばけは姿を見られすぎてしまうと、おどろかしが通用しなくなってしまうからだ。

 これは夏奈から聞いた、おばけの秘密の一つだ。

 

 僕たち四人は図工室へと着いた。各々にほうきや雑巾を手に持ち掃除を始める準備をする。


「ねぇ……これって……絵だよね?」


 クラスメイトの一人が、好奇心を胸の内に秘めたよう、おもむろに喋りかけてきた。

 僕はクラスメイトの視線をたどる。

 そこには、画架に立てかけられたキャンパスらしき物が、布で全体を覆われた状態で置いてあった。


「こんなの置いてあったっけ?」

「ん〜そうだねぇ?」


 まひろはそう言って何の躊躇ためらいもなく、キャンバスを覆っている布を引っ張りあげる。

 覆われていた布から一枚の絵があらわになり、図工室の雰囲気を一変させた。

 その絵を一目見た途端、僕たち四人共がその場で立ち止まり、図工室に飾られている石像彫刻のように固まってしまった。

 それは絵の放つ不思議な魔力のような、はたまた神秘的で尊いような感覚に包み込まれてしまったみたいだった。


「これってさぁ、最近噂になってる風景画じゃないよねぇ?」

「風景画じゃ……ないね……」


 ──ガルララッガルラララッ──


 突然、図工室の扉が開く音が聞こえて、僕たちは扉の方へ視線を向けた。


「どうしたの〜? みんな揃って驚いたような顔して?」


 開かれた扉の向こうに立っていたのは、クラス担任の七瀬先生だった。


「先生〜驚かさないでよねぇ」

「驚かす〜? 先生はなにもしてないけど〜?」


 七瀬先生は画架に立てかけられた絵に気付いた。


「あぁ〜ごめんね〜! この絵、置きっぱなしだったね!」


 七瀬先生は図工室へと足を踏み入れて絵に近寄って行った。


「この絵は先生が描いた絵なの?」

「違う違う〜先生が描いた絵じゃないよ〜。この絵が好きでね、時々見に来てたの」

「そうなんだねぇ?」

「この絵はね〜先生がまだ子どもの頃、木の葉小学校に通っていた時に描かれた肖像画なんだ」


 油絵の具で描かれた黒髪は光沢を帯び、艶めいている。

 首を少し傾げながら満面の笑顔見せ、真っ白な八重歯がちらりと見え、健康的な日焼けをした、愛らしい少女の肖像画だった。


「十年以上も前になるけどね〜、あの頃の先生は今のみんなみたいに可愛いかったんだよ? ってなによその顔〜? 本当なんだからね?」

「七瀬先生は今でも可愛くて美人だよ? ねぇつばさ?」

「えぇ? あぁ? うん? そりゃあもう、可愛くて美人!」


 七瀬先生は困り眉な表情を浮かべて僕たちを見回す。


「なんか無理やり言わせてる感半端ないな〜、もうっ!」


 七瀬先生は少女の肖像画の前まで歩き、一瞬だけ憐れむ表情を見せた後、微笑みながら肖像画の縁を優しく撫でている。


「すっごく明るくて、いつも元気で、友達思いで優しくてさ、クラスのみんなから好かれる、素敵で可愛い子だったなぁ」

「だった……? どうして過去形なの……?」

「う〜ん……それは……」


 七瀬先生は元気な花が急に枯れてしまったかのように、静かに俯いた。


「この子の名前はね、日向夏奈ひなたかなっていうの」

「日向……夏奈……?」


 夏奈と名前を聞いて僕は一瞬、自分の名前が呼ばれたかのようにドキッとして、びっくりしてしまった。


「つばさ、どうしたの?」

「あ、いや、別に……」

「そう、ならいいけどねぇ?」

「ちょうど、今くらいの季節、夏が始まりそうな頃だったなぁ」


 そう言いながら、七瀬先生は開かれた窓際へ立って遠い空を眺めていた。

 初夏の微風がすぅっと窓から流れて入りこみ、まるで図工室の中へと微風が遊びに来たみたいだった。

 七瀬先生のサラサラの髪がふわりと風になびいて、大人の女性特有のシャンプーのいい香りが、僕とまひろの鼻先を爽やかにくすぐった。

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