第6話 雨の日の図書室で

「珍しくねぇか? まひろが学校の図書室で本を借りたいなんてよ?」

「近ごろ雨の日が多いからねぇ、お家に帰っても外へ行くことが億劫になるんだよねぇ」

「ふーん、絵のない文字だけの本なんて読んでも面白くもなんともねぇけどな」

「本にもねぇ、気が合う気が合わないっていうのがあるんだよねぇ。こくいはまだ自分と気の合う本に出会ってないだけだと思うけどねぇ」

「文字だけの本を最後までちゃんと読めた試しがねぇよ、文字だけだと冒頭の部分で寝ちまうからなぁ。話が進まねぇのなんのって」

「あはは、気持ちはわかるねぇ。あたしも途中で読む事を諦めた難しい本はたくさんあるからねぇ」

「だろ? 俺は雨の日でもたまに外へ出て遊びに行くけどな」

「雨の日でも外で遊ぶの? 濡れたままだと風邪ひくよ?」

「それがひかねぇんだよ! すごいだろ?」

「まぁ、馬鹿は風邪ひかないって言うからねぇ」

「あん? 今なんか言ったか?」

「なにか聞こえた? たぶん、気のせいだねぇ」


 つばさと同じクラスメイトの、冬麻とうまこくい、秋川あきかわまひろ、の二人は学校の図書室へと向かって歩いていた。

 こくいは背が高く運動神経が抜群で明朗快活、まひろは勉強が好きな博識の努力家できらりとキューティクルが輝くボブカットが印象的だ。

 二人が歩く三階の廊下から見下ろす校庭には、これぞ梅雨、雨はまだまだ降り足りないぞと言わんばかりにおしみなく雨が降り注いでいる。


「雨ってうざってぇよな、たまに降るのは良いけどよ、こうも毎日降られるとさすがにイヤになってくるぜ。いっそのこと梅雨なんてなくなっちまえばいいのにな?」

「そんなに気にしなくても梅雨なんてあっという間に過ぎちゃうからねぇ、こくいもこの機会に本の一冊でも借りて読んでみたらどう?」

「本ねぇ、俺はあんまり気乗りがしねぇよ」


 二人は図書室の出入口扉の前へ辿り着き、中へと足を踏み入れる。

 普段なんの気もなしに入っていた図書室の中は思っていた以上に広く、こくいとまひろの二人以外には誰の姿もなかった……はずだった……。


「やりぃー! 俺たち一番乗りだな!」

「今日は給食を食べ終わるのが早かったからねぇ」

「そうだな! 外は雨だけど、なんか清々しい気分だ! こんなに広い図書室に俺とまひろの二人しかいないんだぜ!」

「あたしは借りる本を探してくるからねぇ、こくいも自分と気の合う本を探してみなよ?」

「おう、そうするぜ! なんだかテンション上がってきたぁあ!」


 学校の図書室はクラスの教室が三部屋から四部屋くらいがつらなった程の広さだった。

 

「それにしても……すごい本の数だな……。この中に俺と気の合う本があるってぇのか……?」


 こくいはまひろと少し離れ、ゆっくりと歩きながら本棚を眺めている。こくいは一瞬、自分の立っている、ちょうど反対側の本棚の端に変なものが見えた気がした。

 それは学校の図書室には、あきらかに不釣り合いなものだった。


「んん……? なんだよあれ……? 尻尾……?」


 一瞬だけ尻尾が見えた本棚の方へと歩く。先程、尻尾のようなものが見えた場所に立ち止まったこくいは、またちょうど自分の立っている反対側の本棚の端に一瞬だけ尻尾のようなものが見えた。


「なんだなんだ? 図書室に犬か猫でも居るのか?」


 こくいは走って尻尾のようなものの後を追い、急いで違う列の本棚の通路を覗き込んだ。

 こくいの視線の先に、もふもふとした尻尾を揺らしながら、テコテコと歩いている何かが見える。

 テコテコと歩くそれの歩幅は小さく、後ろ姿はどこからどう見ても、たぬきにしか見えなかった。


「た、たぬきっ!」

「むっ? むむっ?」

「どうして図書室にたぬきがいるんだ!」

「たぬき? どこや?」

「しゃ、喋った!?」

「はっ!? もしかして、たぬきってわての事なんか?」


 こくいはコクコクと首を大きく縦に二回振った。


「わては……わては……っ妖」


 ポンッと呑気な音を立てて、そのたぬきは図書室から忽然と消えてしまった。

 そこにはもうたぬきの姿はなく、雨音が外から聞こえてくる寂しげな図書室があるだけだった。


「まひろ! まひろぉぉおお!」


 こくいは鼻息荒く興奮冷めやらぬようすで、本の背表紙を覗き込んでいるまひろの居る場所まで急いで走って行った。


「こくい? どうしたのさ? やけに騒がしいねぇ?」

「たぬきが! たぬきが喋った!」

「たぬき?」

「たぬきが居たんだ! そのうえ喋った! たぬきって人間の言葉を喋れるんだな! 今年で一番驚いたぜ!」

「まってまって、まちなよ、こくい。一旦落ち着いて深呼吸だねぇ」

「これが落ち着いてられるかよっ! 向こうの方に人間の言葉を喋るたぬきが居たんだぜ!」

「ここは図書室だよ? たぬきなんて居る訳ないよねぇ?」

「いいから! 一度こっちへ来てみろよ!」


 こくいは先程まで人間の言葉を喋るたぬきが居た場所へと、まひろを連れて行った。


「たぬきなんてどこにも居ないねぇ?」

「さっきまでここに居たんだよ! ポンッって変な音が聞こえたと思ったら突然消えちまったんだ!」


 まひろは短いため息を吐いた。


「こくい、本を選ぶ事にもう飽きちゃったんだねぇ?」

「ちげぇよ! まひろ! さては俺の言う事を信じてねぇな!」

「まずねぇ、図書室にたぬきが居ることなんて信じられる訳がないからねぇ」

「どうして信じてくれねぇんだよ? 俺たち友達だろ!」

「もちろん、あたしたちは友達だよ? だけどさ、人間の言葉を喋るたぬきが図書室に居るなんて……ねぇ?」

「ああもうっ! なんでだよ! じれったいっ! 俺は! ……先に戻るぜ!」


 こくいは図書室にまひろを一人残したまま、鼻息荒くずかずかと図書室から出て行ってしまった。


「こくい……急にどうしたんだろうねぇ……」


 降りしきる雨音が図書室の中へと聞こえてくる。本の匂いと微かな雨の匂いが混ざり合いどこか懐かしい匂いが図書室の中を漂う。

 まひろはしばらくの間、何か考え事をするかのように、図書室の壁にもたれて俯いていた。



 あざやかなピンク色の桜は、新しい季節の風に吹かれて舞い散る。

 学校の敷地内にたくさんある木々の葉は緑色に染まり雨に濡れていた。

 最近は、やたらと雨の日が多い。きっと季節は梅雨という服を選び、オシャレに着飾ろうとしているんだろうね。

 こんな雨の日には、雨にちなんだオリジナルの詩でも作ってみようかな?

 うっふふっ、僕って中々のロマンチストだったんだなぁ。


「雨は無言で飛び跳ねるネル、だけど騒がしい足音を引きずるズル、降りしきる雨の中で君の涙がチョロロンリンリン、止まないレインは愛しい君を祝福するかのようYO! この詩の名は……」


 ポンッと呑気な音が一度鳴り、突如ポコタローがつばさの真後ろに現れた。


「ラブレインポンポン……って……ん?」


 僕は嫌に妙な気配のする後ろをくるりと振り返った。


「せいやぁぁぁぁあああ!」

「ひっ、ひぃぃぃぃいぃ!」


 突然! ポコタローが大きな牙を剥き出しにしながら、大声で叫びながら僕に向かって飛んで来た!


「た、た、た、た、食べないでぇぇええ! 僕を食べても美味しくもなんともないよぉぉおおおっ!」

「むむむっ?」

「いやぁぁぁあああ!」


 突然、僕の隣から夏奈の声が聞こえた。


「やぁ、ポコタロー♪ つばさ、そんな歯が浮いちゃいそうな恥ずかしいセリフよく言えるねぇ? ある意味で感心しちゃうよ」

「なんやなんや?」


 夏奈とポコタローが、地面に尻もちをついた僕を見下ろしていた。


「夏奈! いつからそこに居たの!」

「いつからって、つばさがここに来て本を読み始めて、しばらくして本を読み終わって変なセリフを言うまでずっと隣に居たよ?」

「うぇっ!? どうして声を掛けてくれないのさ〜?」

「だって読書のじゃまをしちゃ、悪いと思ったからぁ」

「声くらい掛けてくれてもいいよぉ!」

「もちろん声は掛けたよ? でも、つばさが私に全然気づいてくれなかったんじゃん?」

「えぇ、そうだったの? ごめん……」

「ふふっ、失礼ね。それよりさっきの変てこりんなセリフはなぁに? 愛の告白の練習でもしてたの〜?」

「ちぇ、ちょ、ちゃ、違うよっ! 本に出てきたセリフだよ!」

「ふーん?」

「ホ、ホントダヨ……」


 夏奈がじとっとした瞳で疑わしそうに僕を見つめている。

 こんな時でさえ相変わらず星のようにキラキラと輝く夏奈の瞳に、僕は心を奪われそうになる。


「夏奈、ところでさ、ポコタローがどうしてここに?」

「むむっ? そうや夏奈! わてになんのようや?」

「んーっとねぇ、なんとなく呼んでみただけだよ?」

「なんやそら! わては図書室で調べものしとる最中やったっちゅうのに」

「ポコタロー図書室に居たの?」

「せやで? あかんのか?」

「もぅ、誰かに見られなかったでしょうねぇ?」

「見られたで? あかんのか?」

「ダメに決まってるじゃない! おばけは頻繁に見られ過ぎちゃうと、その存在に慣れられて、おどろかしが全然通用しなくなっちゃうんだからねっ!」

「わては妖精や! おばけちゃうっちゅうねん!」

「妖精もおばけみたいなもんでしょ?」

「ちゃうちゃう全然ちゃうっ! 一緒にせんとってほしいわ」

「おばけと妖精はどう違うっていうのよ?」


 ポコタローは威風堂々とモフモフの胸を張った。


「そらぁ、もう、美しさやな」


 夏奈の眉間にググッとシワがよるのが見えた。


「ポコタロー? おばけの私が美しくないって言いたいのぉ?」

「がははっ! 妖精の美しさに比べたらおばけなんて、足元にもおよばへんやろ」

「なんだってぇ! それは学校中の、いや日本中のおばけを敵に回す発言だよ!」

「がっははははははっ! おばけなんてちぃとも怖ないで、屁でも河童でも持ってこんかいっちゅうねん!」

「河童は妖怪でしょ?」

「むっ?」

「妖怪とおばけは違うんだからね?」

「そう言えば、僕もおばけと妖怪は違うって本で読んだ事があるなぁ」

「わてからしたら、おばけも妖怪も同じや!」

「私と河童が同じ? 失礼ね、一緒にしないでくれる?」

「まぁまぁ、二人とも落ち着いて、ねっ?」


 おばけと妖精が言い合いしてるなんて、不思議な事ってあるもんだねぇ……。


「ところでさ、ポコタローが図書室で誰かに見られたって大丈夫だったの?」

「そんなもん知らんがな? わてが喋ってる最中に夏奈が呼び出しよったからな」

「ポコタローは誰となにを喋ってたの?」

「ふふっ。あらかた、たぬきが出たー、たぬきが喋ったーって騒がれてたんでしょ?」


 夏奈はイタズラっぽく真っ白な八重歯チラリと見せてポコタローをあざ笑っている。


「ギクゥッ!」

「ほーらねっ図星じゃん♪」


 ──バコンッ!──


 僕と夏奈とポコタローが居る焼却炉の近くで、何かを力強く蹴っ飛ばしたような音が聞こえた。


「ねぇ、今の、なんの音?」

「なんや?」

「聞こえたね、なんの音だろう?」


 焼却炉に身を隠しながら、先程の音が聞こえてきた方を覗いてみると、同じクラスメイトの冬麻くんが雨に濡れたまま立っていた。


「クラスメイトの冬麻くんだ、こっちに向かって来るよ!」

「へっ? ちょっと、隠れて隠れて!」

「へんっ」

「ポコタロー! こっちこっち!」

「ふんっ、知らんがな」


 夏奈がそっぽを向くポコタローを無理やり抱き寄せて、焼却炉の裏側へと勢いよく引き込んだ。


「夏奈っ、離せ! なんでわても隠れなあかんのや!」

「いいから静かにしてっ!」

「やめっ、ほげぇ!」


 夏奈はポコタローが声を出さないようにと、ぎゅっと力強く抱き寄せた。

 こんにゃくを強く握った時のように、ポコタローの首は、ブリュンっと曲がっていた。


「ちっきしょう! まひろのやつ、どうして俺の言う事を信じてくれねぇんだよ! ったく見損なったぜ!」


 焼却炉の前まで歩いて来た冬麻くんが、校長先生の椅子を力強く蹴飛ばした。

 校長先生の椅子はバタンッと勢いよく大きな音を立て地面に倒れた。


「ヘンテコたぬきのバッキャロォー!」


 夏奈の腕の中でポコタローが苦しそうにもぞもぞと動き出す。


「誰がたぬきや!」

「ポコッ静かに!」

「ふがふが、ほげぇっ!?」


 ポコタローの声は雨にかき消されて冬麻くんに聞こえなかったようだ。

 再度ポコタローは夏奈にぎゅっと抱き寄せられ、僕も慌てて両手をポコタローの口元に押し当てる。


「まひろのやつ、もう友達やめてやっからなぁ!」


 冬麻くんは不機嫌そうに校舎の方へときびすを返して、雨の降る中、泥水を跳ねながら走って行った。


「ぷはぁっ! ぜぇぜぇ……なにさらすんや夏奈っ!」

「しょうがないでしょ! ポコタローが堂々と出て行こうとするからだよ!」

「あのガキンチョ! 誰がヘンテコたぬきや!」


 僕は焼却炉の裏側から、先ほど天城くんに倒された校長先生の椅子の元へ駆け寄った。


「ちょほほ……校長先生の椅子がぁ……壊れてなきゃいいけど……」

「あぁ〜っ! 私の椅子がぁ〜!」

「えぇっ? いつから夏奈の椅子になったの?」

「座り心地が良いでしょ? だいぶ前から私の椅子だよ?」

「そんなぁ〜! 僕もほぼ毎日使ってる椅子だよ?」

「私だって毎晩この椅子に座ってるんだからね?」

「あぁ! そんなことより夏奈、手伝って! こ、この椅子が凄い重たくて、一人じゃ、んぎぎっ! 持ち上がらないよぉ!」

「えぇ? まったくもうっ! ふぐっ、おもっ! うぅ、うらめしやぁあー!」

「なに、その変な掛け声!」

「ちょ、ちょっと! つばさ、しっかり持ち上げてよねぇ!」

「ポコタロー! 手を貸して!」

「ふん、なんでわてが手伝わなあかんねん」

「ポコタロー! 早く! 重たくて死んじゃうぅ!」

「もう死んどるがな?」

「「ポコタロー!」」


 僕と夏奈はポコタローへ向けて同時に声を上げていた。


「わかったわい!」


 夏奈が僕とポコタローを一瞬チラリと見た。


「いくよ? いっせいのせっ!」


 夏奈の掛け声と共に、力いっぱいに校長先生の椅子を持ち上げようと試みる。


「うぉりゃめしやぁ!」

「ふんがぁああぁっ!」

「どっせぇえぇいぃ!」


 僕と夏奈とポコタローは三人……? 正確に言うと、一人と、一おばけと、一妖精で力を合わせて、倒されてしまった校長先生の椅子をなんとか起き上がらせた。


「ふぅふぅ……。壊れてないみたいで良かったぁ……」

「はぁはぁ……。そうだね、ふぅ、一安心だよ……」

「ゼェゼェ……。なんでわてまで……疲れるやん……」


 僕たち三人? これからは夏奈とポコタローの事も一人として数える事にしよう。

 僕たち三人は、校長先生の椅子にちょっと狭いけど三人で座り込んでいた。


「あのガキンチョ、思い知らせたらなあかん!」

「元はと言えば、ポコタローが真っ昼間の図書室に居るからいけないんでしょ!」

「そうだよ、真っ昼間の図書室にたぬきの姿をした妖精が居たら誰でも驚くよ?」

「なんでやねん!」


 ──ヒュ〜ドロドロリ〜ンッ☆──


 突然、なにか閃いたように夏奈は校長先生の椅子からすっくと立ち上がった。

 僕とポコタローはバランスを崩して、背中から椅子へ寝転がるように倒れ込む。

 真っ白な八重歯がチラリと見える程度に、夏奈はニィッと口角を上げている。


「ふふっ。ねぇ、ポコタロー?」

「なんや急に立ち上がってからに?」

「さっきの少年に、ヘンテコたぬきって思われたままでいいのぉ? 妖精の偉大さをわかってもらわないといけないよねぇ?」

「せやなっ? その通りや! わては偉大な妖精なんやでっ!」

「だったらさぁ、見せてよぉ? その妖精の偉大な力をさぁ?」

「む、むむっ?」


 夏奈は微笑みは、不敵な妖しい笑みへと変わっていた……。

 僕はなんだか寒気がした……。

 この寒気は止みそうもない雨のせいなのか……。

 夏奈の閃いた企みのせいなのか僕にはわからなかった……。

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