第5話 人体模型は!理科室に舞うっ!
「春風さん、理科室に着いたよ。扉、開けるね?」
春風さんはコクリと頷き、僕の肩に両手を置いていた。
理科室の引き戸を引くとスルスルッっと扉が開く音が聞こえた。先ほどまで校舎内へと差し込んでいた夕日が、まるでプイッと気分を損ねて隠れてしまったかのように、教室の中はしんと静まりかえり薄暗かった。
先生が使う机の横には大人サイズの大きなガイコツの標本が有った。
「ヤァ……リカシツヘヨウコソ……クククッ……」
と、今にもガイコツの標本が喋りだしそうな雰囲気だ。
あれ……? ガイコツの標本の隣には人体模型があったはずなんだけど……? おかしいな……? 気のせいだったかなぁ……?
僕と春風さんは二手に別れて、児童たちが使う机の脚元や教室の床に目を凝らし、失くしたブローチが落ちていないかを確認して回る。
「春風さんがいつも使ってる席はどの辺りなの?」
「えっとね、一番後ろの方だよ。 ちょうど掃除用具入れの前辺りかな」
僕は春風さんがいつも使っている席の周囲をくまなく調べてみたけど、失くしたブローチは見つからなかった。
一応、席のすぐ後ろ側にある掃除用具入れの中も探してみようかな。この中に入っている可能性は、なきにしもあらずだからね。
掃除用具入れの扉に手をかけて、ぐっと力を込めて扉を開いた。
ガチャンっと少し大きな音がしてから、ギィィィと不安を
「!!??」
えっ? どういうこと? どうしてどうして! なんでなんで!
僕は掃除用具入れの中の光景を目の当たりして頭の中がパニックになりそうだった……その理由は……。
開いた掃除用具入れの中に、僕とちょうど同じ目線の高に真正面で向かい合う形で人体模型の顔があった。
人体模型の顔には、あるはずの目玉が両方ともなくなっていて、空洞になっていた。
僕は発する言葉を失ってしまい目がおろおろと泳いでいる状態だった……。
目の前にある人体模型の顔の上辺りで、二つの目玉が「きゅるぎゅるきゅるぎゅる」と羽が壊れて不規則に飛び舞う蝶々のように、掃除用具入れの中を飛びまわっているのが見えた。
人体模型は掃除用具入れの中できゅうくつそうに、全身を不器用に折り曲げてギッチギチッに挟まっている。
突然、人体模型は小刻みに身体を揺らし始め、やがて腹部の奥底から低い声を上げて笑い出す。
「ヴゥハヴゥハヴゥハワッヴヴァッヴヴハッヴァワッヴヴハヴゥワアァッ!!」
人体模型の発する不気味な笑い声と同時に掃除用具入れが、ガタガタガタガタガタッ! っと大きな音を立てて揺れ出した。
「うぅわぁぁああああっ! でぇたぁぁああああっ!」
「でた? ブローチ? 見つかったの?」
僕はバタバタとたじろいで真後ろに向かって走り出した。
背を向けた方から掃除用具入れがガタガタガタッと揺れ動く音が耳の中へと聞こえてくる……。
──バアァァァンッ!!──
突然、掃除用具入れを力強く叩いたような音が理科室に響いた。
僕はその場に立ち止まり、
床に四つん這いになっていた人体模型はのっそりと立ち上がり、まるで準備体操をしているかのように首をぐるりぐるりと回しながら、ゴキゴキゴキゴキッと首から音を鳴らしていた。
ニィタァァァアアア……。
僕と人体模型の目が……パズルのピースがはまったようにピッタリと合ってしまった……。
人体模型は思いきり口角を上げて歯を剥き出しにしながら僕を見つめている。
「京乃くんっ!」
「!?」
春風さんから名前を呼ばれて、まるで金縛りから解放されたかの様に人体模型から視線を外す事ができた。
「ヴェハハヴゥワアァハッ!」
不気味な笑い声に体が反射的にびくりと動き、後ろへ振り返ると、人体模型が僕の方に向かって腕を大きく振り
「うわわわわわわっ!」
逃げなきゃ! 逃げなきゃ! 逃げなきゃ! 逃げなぎゃあ!!
理科室に設置された、固定されている大きなテーブルの周り駆け回る。
バタバタと走る僕の上履きを履いている足音と、ペタペタと素足で走る人体模型の足音が後ろから聞こえてくる。
人体模型は僕との距離を確実に縮めてきていた。僕にはそれが分かった。
なぜなら足音の大きさが、だんだんと大きく聞こえてきているからだ。
焦りを感じながら人体模型から距離をとる為に、一生懸命に走った。
「京乃くん! こっち!」
春風さんの大きな叫び声が聞こえて、大きく手を振って手招きしているのが見えた。
分かった! とにかくそっちへ行けば良いんだね! 僕は息を切らしながら春風さんの元へと走り寄る。
「えぇいっ!」
春風さんはそう声を発して、ついさっき僕が走ってきた通路へ向けて椅子を数脚、勢い激しく投げ倒し始めた。
──バタバタッバタンバタンバタンバタンッ!!──
春風さんの手によって理科室の床へと次々に投げ倒される椅子。
通路を塞ぐような形となり、これで人体模型は僕たちに直接向かっては来れないだろう、そう思った。
「ヴェッハヴェッハヴェハハァッ!!」
人体模型はハードルを飛び越えるように、勢いよく前方へジャンプした。
高々と理科室の
「嘘でしょ!?」
「ひぃっ! 体育の授業じゃないんだからさぁ⁉︎」
こころなしか人体模型はビシッと着地に成功して満足気な表情を浮かべているように見える。
僕たちの前方に待ち構える人体模型、後方には投げ倒された多くの椅子。左右には児童たちが共有で使う実験用の大きなテーブル。
僕と春風さんは逃げ道がなくなってしまった。
「ど、ど、ど、どうしよう!」
「落ち着いて、ピンチの時こそ冷静に考えるんだよ……パパに何度もそう教えてもらったの……」
「で、で、で、でも!」
「京乃くん、大丈夫だよ!」
春風さんは、あきらかに無理しながら僕に微笑んだ。
「ヴェハヴェハヴェハァッ!」
人体模型が不気味な笑い声を発しながら一歩、また一歩と近づいて来る……。
どうする……! つばさ……! 飛べるか……? いや無理無理……!
まてよ……? 飛ぶ……? 違うそうじゃない……! した……下だ!
「春風さん! した! 下だよ!」
「下?」
「テーブルの下!」
「テーブルの下……テーブルの下へ潜るんだね!」
僕と目を合わせた春風さんは大きく一度頷いた。
人体模型がぐぐっとこちらへ向けて手を伸ばし始めたその時、僕と春風さんはお互い自分の位置に近いテーブルの下へと潜り込んだ。
四つん這いになってテーブルの下の空間を急いで突き進む。
僕と春風さんは左右二手に別れるような形になり、先程の位置から離れた所でテーブルの下から這い出し、立ち上がった。
人体模型が僕と春風さんの姿を交互に確認し、僕へ向けて人差し指をピンと差した。まるで……。
──お前だ──
……そう言ってるいるように感じた。
「人体模型さん! あなた……学校の理科室で裸なんて恥ずかしくないの? 服はお家に忘れてきちゃったの?」
人体模型は僕に指差した手を下ろし、ギチギチギチッと奇妙な音を鳴らしながら首を傾げて春風さんを凝視する。
「風邪……引いちゃうよ……?」
人体模型は
「来た……。京乃くん! 逃げて!」
「ええっ!」
春風さんは僕の為に……わざと
人体模型は逃げ惑う春風さんとの距離をじわじわとつめていた。
「春風さん!」
僕はそう叫んで春風さんと人体模型の後を追うように駆け出した。
春風さんは理科室の中を全力でぐるぐると駆け回る。
「ヴァハヴァハヴァッハ!!」
「いやぁぁあ!」
春風さんの悲鳴が聞こえて、僕は無我夢中で走った。
だんだんと人体模型と僕との距離が縮まってきている。
前方を走る春風さんの背後に人体模型がすぐ側まで迫ってきているのが見えた、人体模型が春風さんを捕まえようと両手を伸ばした瞬間、春風さんは後ろ髪を人体模型に触れられたのを感じたのか、その場にすっくとしゃがみ込んだ。
「ヴェハッ!?」
人体模型は、ふいにしゃがみ込んだ春風さんの背中に
──ダァウダッシャァーンッ!!──
人体模型は理科室の備品を盛大に巻き込んで床に突っ伏していた。
春風さんがきょろきょろと辺りを見回し、何が起きたかわかっていないようすで立ち上がる。
気が付くと僕のすぐ目の前に春風さんの姿があった。
ぶつかってしまう! そう思い
僕は全力疾走していた為、案の定、体がつんのめり、勢いあまって春風さんの胸元へと豪快に吹っ飛んでしまった!
「きゃぁっ!」
「おわぁっ!」
宙に浮きながら前方を見ると春風さんは両腕を左右に大きく広げて、吹っ飛んだ僕を受け止めようと構えていた。
──優しくて柔らかな感触をいっぱいに感じた──次の瞬間。
春風さんも僕を抱きとめたまま背中から後ろ側へと吹っ飛んだ。
よろよろと立ち上がろうとしている人体模型に、春風さんは背中から強くぶつかった。
──ドゥビィドゥバァアンッ!!──
人体模型と理科室の備品が再び激しくぶつかるような音が聞こえ、春風さんは理科室の床へ、ドシンッ! と鈍い音を立てて尻もちをついた。
僕が勢いよく壁や床に激突しないようにと、春風さんは
「うぅっ……」
「京乃くん大丈夫……? ケガはない……?」
「大丈夫、春風さんが僕を受け止めてくれたから、ありがとう。あっ! 人体模型は!?」
一瞬、春風さんは困り眉毛のような表情を浮かべた。
「人体模型さん……バラバラになっちゃった……ごめんね……」
視界の端にバラバラに散らばった人体模型のパーツが見えた。
僕はハッとしてその場で顔を上げると、すぐ目の前に春風さんの顔があった。
「ぁぃゃーっ!」
ドキンッとして慌てて起き上がろうとした時、頭上からなにかが落ちてきて僕の頭にゴチンッ☆とぶつかり小気味のいい音が鳴った。
「痛っ!」
「わぁっ!」
僕は頭をさすりながら上体を起こすと、春風さんの手のひらにガイコツの頭が乗っているのが見えた。
「上からガイコツの頭が落ちてきたよ……?」
「あらら……ガイコツの頭……さっきのぶつかった弾みで取れちゃったんだねきっと……」
ふと、僕は夏奈のことを思い出して後ろを振り返る。
振り返るとそこには掃除用具入れが開いた状態で、中に掃除用具が入っているだけだった。
理科室の中をぐるりと見回す。先ほどまでの……
僕はホッと一息つき、ゆっくりと胸をなでおろした。
春風さんは尻もちをついたまま、手のひらの上に乗せられたガイコツを不思議そうにじっと見つめている。
「あれ……? カラカラって音が聞こえるよ……? ガイコツの頭の中に何か入ってるみたい……」
春風さんはそう言いながらガイコツの頭頂部をクイクイッとひねって、頭頂部をパカリッと開けた。
「えっ? うそっ!? パパからもらったブローチが入ってる!」
「そんな……? まさか……? 本当に……?」
ガイコツの開かれた頭頂部を覗き込むと、そこにはまるで脳みその変わりのように花柄の可愛らしいブローチが入っていた。
「良かったぁ……見つかって! 京乃くん! 一緒にブローチを探してくれて、どうもありがとう!」
「えっ、いや、どういたしまして……? なのかな……?」
春風さんは凄く嬉しそうな表情で、座ったまま、ぎゅぎゅぎゅぎゅっと優しくハグをしてくれた。
「パパからプレゼントしてもらった大切な物だから、見つかって凄く嬉しいよ!」
「そうだね……お父さんの大切な形見だもんね……」
春風さんは目を大きく開いて驚いた表情をしている。
「え……?」
「ん……?」
「パパの形見……? パパは生きてるよ……?」
「えぇ? このあいだ、もう会えないからって言ってたから」
「パパは今ね、海外出張に行ってるの、だからしばらくの間は会えないの」
「ええっ!? そうだったの!? 僕はてっきり春風さんのお父さんが……」
「えぇっ! パパは今日も元気いっぱいだよ!」
「そうだったんだね! 余計な心配しちゃってたよ……ごめんなさい!」
「あははっ! そんなに気にしなくても大丈夫だよ!」
春風さんは元気いっぱいに美しい花が咲いたような笑顔を僕に見せてくれた。
「ねぇねぇ、つばさくんって呼んでも良い?」
「う、うん、良いよ」
「つばさくんも私の事を、るるるって呼んでね?」
「るるる……。あっ、いや! うんっ! 少しずつ、るるるって呼んでみようかな! なんて、あは、あはははは……」
「私たち、今日からお友達だね!」
「えっ? お友達?」
「私じゃ……ダメ……かな……?」
「ダメじゃない! ダメじゃない!」
僕は犬がブルンブルルンッと勢いよく全身を振るみたいに、首を横に振った。
「るるる……っと……はぁ……春風さんと友達!」
「るるるで大丈夫だよ?」
「あふん!」
春風さんはクスクスと笑っていた。僕はなぜだかとっても恥ずかしい気持ちになって、顔から火が吹き出てきそうなくらい熱を帯びていた。
僕が気球だったら、きっと雲よりも空よりも高く高〜く上昇している事だろう。もしかすると宇宙の彼方まで飛んで行ってしまってるかもしれない……。
でも僕は気球じゃなくて本当に人間で良かった……なぜならたった今、春風さんと友達になれたからだ。
そして、僕は勘違いをしていた。
それは大きな大きなとっても大きな勘違いだ。
春風さんのお父さんは今日も元気いっぱいで、春風さんも元気いっぱいだ!
それにしても……どうしてガイコツの標本の頭の中にブローチが入ってたんだろう……?
不思議な事ってあるもんだなぁ……?
まてよ……夏奈が僕に理科室へ春風さんを誘導して……?
そうか……そういうことだったんだ……。
夏奈は理科室で春風さんをおどろかそうとしたんじゃなくて、きっと初めから僕をおどろかそうとしていたんだ……。
ブローチは予め夏奈が隠して……まったく……本当にイタズラ好きで人使いが荒いんだから……。
まぁ、でも、春風さんの探していた大切なブローチも無事に見つかったことだし、とにかく結果オーライって事にしとこうかな!
「ふふっ」
冷んやりとした薄暗い廊下に一瞬、声が反響する……。
妖しい微笑を浮かべた少女は歩く……。
歩いても……どこまで歩いても……少女の足音が廊下に響く事はなかった……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます