第2話 少女の名前は裏飯夏奈
桜がピンク色の花びらを満開にさせて、やがて緑の葉っぱがこんにちはと挨拶するこの頃。
小学五年生になった僕は教室の扉を開けて自分の席に着く。
僕におはようと挨拶してくれる友達は誰一人としていない。
僕は背負っていたランドセルを机の上に置いて、無表情のまま教科書を順番に取り出しては次々と机の中へと放り込んでいった。
最後にランドセルの中から取り出しものは教科書ではなく、文学小説だった。
友達なんて居なくても平気さ、僕は読書している時が一番楽しいから。
友達なんて……友達なんて……居なくても……。
ランドセル置き場にランドセルを置いた後、僕は自分の席の椅子にもたれ掛かりながら小説を開いた。栞を挟んでいたページを捲ったところで、やけに騒々しい話し声が教室の中へと響き渡った。
「昨日の放課後、この教室の中でほんとに見たんだよ!」
「そのせいで、自分の席の周りを散らかしてたのか?」
「そうだよ! 片付けてる時間なんてなかったんだよ! 急いで走って逃げたんだから!」
周囲を取り囲む男女数人へ向かって、声を張り上げながら身振り手振りを交えてあーだこーだと説明しているクラスメイトの姿が僕の目に映った。
「さては……それを言い訳に宿題をさぼってきたな?」
「ち、違うってば!」
「だったら証拠を見せてよ」
「証拠? 証拠ならあるさ!」
「ほんとかよ?」
「まじー? 見せて見せて?」
クラスメイトは机に置いたランドセルの中から折り畳んだチャック付きポリ袋を取り出し、自慢気に周囲に見せびらかし始めた。
「ほらほら、これこれ!」
突き出したチャック付きポリ袋に入っていたのものは、一本の長い髪の毛だった。
「きゃっ、気持ちわるっ!」
「うげぇ、えんがちょ!」
「どうして長い髪の毛なんて持ち歩いてるんだよ!」
「変態かよっ!」
証拠品を突き出したクラスメイトは、周囲を取り囲む男女数人から集中非難を浴びせられていた。
「これは貴重なおばけの存在を証明する証拠品なんだ!」
「おばけから髪の毛一本もらったのかよ?」
「違う、貰ったんじゃない。学校から家に帰ってきて、手を洗う時に気付いたんだ」
「気付いた? 気付いたって何に?」
「自分の手首に、この一本の髪の毛が蝶々結びで結ばれてたんだよ!」
さっきまで騒々しかった教室内がまるで眠ってしまったかのように、しんと静まりかえった。
「マジ?」
「う、嘘でしょ?」
「嘘じゃない、嘘なんかつくもんか!」
「それじゃあまるで毎年夏になるとテレビで放送する、ほんまにあった怖い話じゃん」
「ほんまにあった怖い話なんだよ!」
クラスメイトを取り囲んでいた男女数人同士がお互いに目を見合わせていた。
「あはははははっ」
「何それ超うけるー!」
「あのさぁ、低学年でももっとましな嘘を考えつくぜ?」
「正直に宿題するのを忘れたって言えば良いじゃん」
「なっ……」
集中非難を浴びたクラスメイトは、体をぷるぷると小刻みに震えさせながら何か言い返そうしていたけれど、その言葉は始業合図のチャイムによって遮られてしまった。
僕は珍しく読書に集中する事ができなかった。その理由は、クラスメイトがおばけに遭遇してしまったという話を耳にしてしまったからだった。
午前中の授業を受けていた僕は、おばけの話が頭から離れず上の空だった。授業中にもかかわらず、ずっとおばけについて考え事をしていた。
おばけの見た目ってどんなのだろう……?
おばけはご飯を食べるのかな……?
おばけは宙に浮いて自在に空を飛べるのだろうか……?
おばけは朝に寝て夜に起きるのかな……?
おばけの世界にも流行とかあるのかな……?
そういえばおばけの声ってどんな声……?
おばけの正体って一体なんだろう……?
僕はおばけとなら友達になれるかな……?
考えても考えても、おばけについて気になる事が次々といっぱいに溢れ出てきた。
給食を食べた後には昼休みがある。僕は学校生活の中で一番好きな事が昼休みだった。昼休みになると、僕は文学小説を一冊持って校舎の裏側へと一人で歩いて行く。
ひとけのない校舎裏をずっと真っ直ぐに突き進んで行くと、今はもう閉鎖されている焼却炉がある。焼却炉の周りには大きな木が何本も立ち並んでいて、まるで焼却炉の屋根の様な役割りを果たしているように思えた。
焼却炉のすぐ側には、教室で使われていた机や椅子が重ねられた状態でいくつもあった。どの机も椅子も何年も使い古されていて、錆びや汚れが付いていた。
焼却炉の隣には、座るとお尻の辺りがふわふわっとした感触に包まれる、一際大きくて背もたれの付いた豪華な椅子が捨てられてある。
これはたぶん、校長先生の椅子だと思う。だってこんなにも大きくて肘掛けまで付いてあるんだから。
僕はこの椅子に座り、まるで王様にでもなったかのような気分で、お気に入りの文学小説を読む事のが好きだ。
「こんなにも立派な椅子を捨てちゃうなんてけしからん、実にけしからん! あっはっはっはっは!」
僕はちょっと恥ずかしくなり、キョロキョロと辺りを見回した。誰も居ない事を確認してから、ホッと一安心する。
校長先生の椅子に座って、背もたれに背中をあずけて空を見上げた。
焼却炉の屋根のような木々の間からは、穏やかな木もれ日が差し込んでいて、なぜだか理由は分からないけど心が落ち着いた。
しだいに僕は、うとうとしてきた。給食で美味しいご飯を食べてお腹がいっぱいになったからだ。
ゆらゆらと揺り籠にの様に揺れる眠気に誘われて、僕は本を読む前に眠ってしまった。
……目の前に、動物園で何度も見た事のあるたぬきが居た。
たぬきは僕の顔をじっと見つめている。そしてたぬきはゆっくりと歩きながら、僕に近付いて来て口を開いた。
「わてが友達になったろか?」
「えっ?」
「わてが友達になったろか? 大事な事やから二回言うてもたやん」
「うわっ! たぬきが喋ったぁ!」
「ん? たぬき? どこや? どこや?」
「ここ、ここ! 僕の目の前にいるじゃん!」
「むっ? わての事か? わてがたぬきって言いたいんか?」
「うんうん!」
僕はブンブンと首を勢いよくたてに振りながら返事をした。
「わてはたぬきとちゃうちゃう! わては妖精や! 見たら分かるやろ!」
「妖精? どこからどうみても、たぬきだよ!」
「なんでやねん! わてはどこからどう見ても妖精やっちゅうねん!」
「あっ! そうか、そういう事か。なっとくなっとく」
「せや、やっと分かってくれたんか? 素直でええやん?」
「これは夢の中なんだね、僕は校長先生の椅子に座って寝ちゃったんだね。たぬきが人間の言葉をしゃべるはずがないもんね」
たぬきは目と口を大きく開いて驚いているみたいだった。
「あんなぁ……せやから! わては妖精やーーーーっ!」
たぬきが叫び声を上げたとたん、僕は目が覚めた。手の甲でまぶたをこすっていると、どこからか喋り声が聞こえてきた。
「この場所には、何があるんだろうね!」
「宝物が隠されてるかもしれないよ〜!」
「もしも宝物が本当に隠されてたらすごいよねっ!」
「うん! 探検ってワクワクするっ!」
僕は校長先生の椅子から立ち上がって、喋り声が聞こえてきた方へ視線をやった。
そこにはキラキラと目を輝かせて、楽しそうに会話をする桜色の名札を付けた一年生達が六人居た。
どうやら学校の敷地内を探検しているらしい。一年生達は今年の春に小学校へ入学したばかりだから学校の隅々までは知らない。この秘密の場所は、探検するのにはうってつけの場所である事は間違いない。
この広い木の葉小学校は一年生にとって、きっと毎日が新しい冒険の連続だ。
僕は一年生達を驚かさない様にしないといけないと思い、焼却炉の後ろ側へ移動した。
するとそこには、一人の少女が身を隠す様に姿勢を低くしながら一年生達の様子を伺っていた。
その少女の後ろ姿、腰の辺りまであるストレートの長い髪に、まるで流れ星がキラキラと流れたかの様な艶が輝いて僕の瞳に映り込んだ。
後ろ姿を見ただけでも、可愛いさ100パーセントオーラがとめどなく溢れでている。
「ここでなにしてるの?」
「ふぇっ!?」
すっとんきょうな声を出しながら振り向いた少女。あまりにもその少女が可愛いすぎて、僕は息をする事を忘れてしまった。
少女のくっきりとした二重まぶた、長いまつ毛にぱっちりお目々の瞳は左右の色が異っている。右目がエメラルドグリーン色で、左目がサファイアブルー色だった。
「驚かさないでよ!」
「そ、そんなつもりじゃなったんだよ」
「心臓止まっちゃうでしょ! もぅ……止まってるけどさぁ」
「えぇ?」
「まったくもぅ!」
少女は色白でマシュマロのように柔らかそうなほっぺたを膨らませて、僕の瞳を覗き込んできた。
「か、かくれんぼでもしてるの?」
「かくれんぼ? そんな幼稚な遊びなんてする訳ないでしょ」
「一年生の子達と一緒にかくれんぼをして遊んでるのかと思ったよ」
「ふふっ、おこちゃまだねぇ」
「君もおこちゃまじゃないか」
「ガビーン……私はこう見えても五年生なのよ? 失礼な事を言わないでっ!」
「えっ、そうなの? 僕も五年生だよ?」
「あっそう。私はこのとおり忙しいんだから邪魔しないでくれる?」
「おかしいなぁ、同級生なのに学校で見た事がないような……」
「もぅ、そこどいてよっ」
少女が僕の体をぐっと手で押しのけた、少女の手はアイスクリームのようにヒンヤリと冷たかった。
「わっ、冷たいっ!」
その声に気付いた一年生達が近くまで歩み寄って来た。
「あっ、お兄ちゃんとお姉ちゃんが居るよ」
「ほんとだぁ、こんにちは」
「今ね、みんなで探検してるの〜」
「そうだよ、探検ってすごく楽しいんだよ!」
一年生達が僕と少女に向かって順番こに元気いっぱい挨拶をしてきた。
「あらっ、どうもぉ♪」
「こんにちは、学校を探検してるのかな? 気をつけて探検するんだよ、行ってらっしゃい」
僕と少女は一年生達に返事をする。少女は笑顔で驚く程の猫なで声だった。
「うんっ! 気をつけてるから大丈夫だよ!」
「ありがとぉ、行ってきま〜す!」
一年生達は、僕と少女に向かって元気に手を振りながら足早に別の場所へと探検しに行ってしまった。
「あなたのせいで逃げられちゃったじゃない! まだおどろかしてもいないのに!」
「えぇ、僕のせい? それに、まだおどろかしていないってどういう事?」
「私は朝からあの子達にずっと目をつけてたんだからねっ!」
「目をつけるって、一年生達をおどろかそうと思ってこんな場所に隠れてたの?」
「そうよ? なにか問題でもあるって訳ぇ?」
「一年生達をおどろかそうとするなんて、そんなひどい事をしちゃダメだよ!」
少女はぐいぐいと僕に近寄って来た。僕の顔と少女の顔の距離がやたらと近くて、心がドギマギした。
「六人も同時におどろかしができるなんて、めっっったにない大チャンスだったのにぃ!」
「だぁかぁらぁ、一年生達からみると僕らはお兄さんお姉さんなんだから」
僕が喋ってるいる途中で、少女がうつむきながらヒクヒクと肩を震わせながら泣き出した。
「あっ、あのっ、ご、ごめん……」
「責任……取ってくれる……?」
「責任っ!? 責任だなんて、どうして僕がそんな事を……」
「ふぇっ、ふぇぇぇぇえええん、ぇんぇんえんっ」
「えぇっ!?」
少女はやたらと大きな声を上げながらギャンギャンと泣きはじめた。
「わ、わかったよ! よく分からないけど、責任を取れば良いんでしょ! 取るよ、取るからさ、もう泣き止もう?」
「ほーい♪」
「いぃ!?」
すっと顔を上げた少女と目が合った。少女はこれっぽっちも泣いてなどいなかった。僕は少女の嘘泣きにまんまと騙されてしまったみたいだ。
少女の瞳が星空のようにキラキラと輝く。その瞳を見つめていると、瞬きをする事がもったいないと思ってしまうくらいだ。
僕の心は、完全に少女に奪われてしまっていた。
「あなたは今日から私のお友達ね?」
「えっ?」
今、なんて言ったの……?
今日からお友達って言った……?
僕の聞き間違いじゃないよね……?
「ねぇ、聞いてるの?」
「はい?」
「あなたは今日から私のお友達って言ってるの!」
「う、うん! 聞こえてるっ!」
嬉しい事に、僕に初めての友達ができた。
責任を取るって、友達になる事だったんだ!
「私の名前は
夏奈、僕は心の中で一度呼んでみた。
「僕の名前は
「つばさ、素敵な名前じゃん。よろしくねっ」
「こちらこそよろしく!」
「さぁて! 新しいお友達もできた事だし、さっそく次のおどろかし大作戦を考えないといけないよ!」
夏奈が元気はつらつに声を上げて、僕はうんうんと大きく二回頷いた。
「って、ん? おどろかし大作戦? ……なにそれ?」
「決まってるじゃない! 木の葉小学校にいるみんなを! おどろかして、おどろかして、おどろかし尽くしちゃうの! そして……私は立派なおばけになるんだからっ!」
しぃんと辺りを静けさが包み込んだ。夏奈は一体なにを言ってるんだろう……。
「はい! はいっ!」
僕は手を晴天へ向かってピンっと真っ直ぐに上げた。
「つばさくん、どうぞ!」
「つっこみどころが多すぎて、どこからつっこめば良いのか分かりません!」
夏奈が呆れるような表情を浮かべた後、左手で自分の右手首をごそごそと触り始めた。夏奈ってものすごく色白だなぁ。
「ほいっ」
夏奈は手の平サイズのなにかを、ひょいっと僕に放り投げてきた。
「おっとっとっと」
「ナイスキャッチ♪」
僕は見事にそれをキャッチして、掴んだなにかをまじまじと見つめた。
それは、夏奈の色白の右手だった。
「夏奈は手品が得意なんだねぇ? 凄いなぁ」
「手品じゃないよ? それは私の右手だよ?」
夏奈は手首のない右腕をフリフリと僕に振って見せてきた。僕は自分の手のひらの上へ視線を移す。夏奈の右手がピアノを弾くように滑らかにテトテトと動いている。
「うわぁぁぁぁああああああ! おばおばおばっおばけぇぇぇぇええええっ!」
「もぅ……。さっき立派なおばけになるって言ったじゃん? 心臓止まってるって言ったじゃん?」
本が好きな内気な少年、京乃つばさと、可憐でちょっぴりイタズラ好きなおばけの少女、裏飯夏奈との出会いだった。
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