第31話 別れと出会い

 化物はわたしたちを見るなり、大木ほど太いローラー頭を床に叩きつけた。そして赤錆色の頭は緩やかに加速して、コンクリート上をさらに整地するかのように迫ってくる。


「早く!こっち!」


 猪兎いとの腕を強く引き、無理矢理立たせて走らせる。


「あ、な、なに・・・アレ」


 茫然と虚脱した人間をひっぱるには力が足りず、思うように進めない。しかし居間でこんこん親が子をなだめるように、腰を落ち着けて独力で走るよう猪兎を説得しようにも、そんな余裕が無いのは火を見るよりも明らかだ。


「アレはわたしたちを殺そうとしてる!だから・・・お願いだから走って!」


 腕をより強く引いて、猪兎の注意をわたしへ向ける。すると、その努力が実ったのか猪兎は少しずつ、少しずつ速度を上げた。


「はは・・・何それ、意味わかんない。マジでみんな馬鹿ばっかり」


 そして手を握っているわたしすら追い抜いて、肩口から侮蔑に満ちた表情をしてみせた。


「でもおかげで、私だけでも死なずにすみそうです。ありがとうございます。そしてさようなら、鈍臭くて馬鹿な三涙みなみだ先輩」


 そう言うなり、猪兎はわたしの手を振りほどいてあっという間に走り去る。最悪の事態に直面したら河上を囮として使える、などと考えていたわたしの影に猪兎が重なった。


(やっぱり、ほっとけばよかったかな・・)


 情けは人の為ならず、という2つの解釈を持ち合わせた言葉がある。しかし、言葉の正誤どちらも現状には当たらないように思う。得をするのは単純に情けをかけてやった相手だけで、わたしでは無いのだ。


 繋がりがちぎれた手の中は、即座に冷え冷えとした空気で一杯になる。冬の早朝に暖房の効いた温室の窓を開け放たれたような危機感、そしてその外気に慣れてしまった喪失感は季節問わず人との間にも発生し、自然の万倍も移ろう関係は薄氷の上辺でしか存在し得ないようだった。


 わたしはまたそこで全てが嫌になって、限界を迎える体力へ寄り添うように減速し、しつこい追跡者の音に耳をませていた。


 そして自分の呼吸音や足音が限りなく小さくなったとき、わたしを照らす明かりがセーフライトのように赤みを帯びた。刺激的で目を悪くしそうなけばけばしい色味は、凄惨な未来を予見させる。


 けれどもこの赤でなら血は上手いこと紛れて、十字路の型を取るように飛散したわたしを穏便かつマイルドな有様に収めてくれるかもしれない。そう、ぼんやり考えてみる。


 しかしそれを知ることはないだろう。


 わたしは十字路を見渡し、とてつもない圧迫感を放つローラー頭と、垂直の方角から来るグロ映画にでも出てきそうな人型粉砕機から遠ざかるように全力で後ろへ跳んだ。


 耳を塞ぎ、衝撃に備える。


 そして並々ならぬ速度で二手から迫る異質な追手は、物の見事に出会いがしらで衝突した。それこそまるで映画の一コマみたく、派手で過激で爆発的な光景が、ゆっ・・・くりと目の前で展開されていく。


 凄まじい衝突音はその映画的光景を前に黙殺され、ローラー頭のネジ部品や、バラバラになった粉砕機の破片が、交通事故の威力を物語るようにわたしの頬を掠めていった。

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