第29話 走馬灯

 螺旋を描く手すりに沿って、怖気を催す階段をくだる。明るい髪をはためかせ、回り回って落ち行く姿は、さながらかえでの翼果である。


 下った先にあるモノは、彼女を更なる恐怖に陥れる。しかし逃げ道もその先にあるのだから下るほかに道はない。後方に退路はなく、進む所に退路がある。


 どうにかしてやり過ごさなくてはならないと思う反面。彼女にとっては、あくまでそれは恐怖の対象でしかなく、それ以上でも以下でもない。だから、対処も簡単だと思ったのだ。ただひたすら目も暮れずに通り抜ける。それだけで済むことなのだから。


 そして段差がなくなる手前、彼女は努めて乳白色の床に視線を落とした。もう夕刻であるというのに、ワックスがけされた床が艶やかに光る。すると彼女は螺旋階段を降りきってなお、弧を描きながら滑るようにして歩き、目線を遠心力に従わせた。


「っ!」


 しかし、事もあろうに彼女は床にいる恐怖の一端を視界に収めてしまい、思わず目を剥いた。


 なぜこうもその努力は報われなかったのか。

きっとそれは彼女の想定を遥かに上回る意志があったからだろう。


 視界の端に誰かの手がある。だらしなく開いた掌を、天井に向けたまま動かない・・・はずだったソレは途中で手摺りにでもぶつけたのか、2本の指が反対方向にペタンと折れ曲がっていた。根本はドス黒い紫に変色しており、同じ人の肌とは到底思い難い。


 そしてまともに曲がっている方の細指は、決死の力を込めて床に爪を突き立て、彼女の上履き付近にまで迫ろうとしていた。


 たった3本の細指で助けを求めているのだろうか。しかし、こと彼女に至っては、それが死力を尽くしている本当の理由を悟っていた。


 生に対する執着らしからぬ怒気を孕んだ声。それが地を這い、彼女の足をくすぐる。するとパキリと中指の爪が割れて、剥がれた箇所からは生々しい肉が顔を覗かせた。


「・・イヤアアァァァァ!!」


 彼女は弾かれたように叫んだ。そしてそこから全身全霊をかけて脇目も振らず一心不乱に駆け出した。


「あああああぁぁ!」


 紫がかる空の下、耳を塞いで中庭の外廊下をキチガイのように叫び走る。そして静寂を嫌って雑音たがわぬ自らの声にすがる彼女は、上履きすら履き替えずに校舎の外へ抜け出した。


 そして極度の疲労感が全身を覆い、立ち止まったときには血の味が口内に広がった。気を落ち着けて周りの静けさに耳を傾けてみるが、遠くの方からカンカンと鳴る踏切の音以外は聞こえない。足に染み込みつつあった怨嗟えんさと呪詛も、彼女の叫びに撒かれたようだった。


 そこでふと彼女が息を整えるついでに見た、すっかり小さくなった校舎の前には桜吹雪をかすかに照らす、今にも消えかかる街灯があった。それが人知れず力尽きたなら、羽虫にすらそっぽを向かれて沈んでいく日に連れ去られるのだろう。


 そして無縁である朝を待つだけの物として、新たなる日を迎えるのだ。

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