第27話 塗炭

 虫の口と思わしき亀裂から、大量の黒煙と熱気を伴う二本の長黒い炭と化した細腕が飛び出る。そしてそれは、もがくようにして間近にいる男を絡め取ろうと動く。


 黒煙の割れ目の中には全身くまなく焼け焦げた顔あり、眼球はしぼんで潰れてしまっている。それが一心不乱に両手を伸ばして外界に救いを求めているようだ。


「だず・・・げ」


 火は憎悪と深い関係にある。憎悪は薪として機能し、忌むべきものをべるためにそれ自身を更なる餌として増長する。あの虫の高炉・・・いや、火葬炉さながらの変わり様は実に、らしい。


 そのうえ餌が半永久的に機能するとあればどうだろうか。内部の人型の皮膚表面は焼けてグズグズになっているものの、炭化した皮膚の下から新たにピンク色の真皮が矢継ぎ早に盛り上がってくるのだ。


「・・・・」


 しかし男は意に介さず、無情にも救いを求める腕を切り飛ばしていた。問題は核となりうるコレの耐久性。いや、そもそも核を晒すまで追い詰められていること自体が問題か。


 それにしてもこの区画の獄囚は業務の性質上、肉体の再生力に優れるが、まさかあのような形で実を結ぶとは・・・。


 初め邪魔になりそうにしか見えなかった虫の背中の杭も、それを踏まえれば合点がいく。内部の生き餌のくさび、眼前の敵を討つ牙、そしてそれらを大いに活用するための無数のてあし。憎しみから導かれし合理性には陶酔感すら覚えてしまう。


 しかし地獄から這い出てきた針山の化身けしんとも思しき様相は、度重なる男の追撃に応戦する都度消費され、今や数えるほどしか残っていない。おそらくこの本数は虫が力尽きるまでの刻限となることだろう。


 すると虫は男の一瞬の隙を突いて欠損したはずの肢を生やしたかと思えば、残り少ない杭を用いて、まるで竹馬のように身を乗り上げた。


 そして高所に逃れたところで吐き出されるのは、獄囚の骨や手首のつぶて。大きい物から小さい物まで様々であるが、どれも一様にすすけた燃え残りでしかないために、目眩しにすらなれず流星のような速さで輝きを喪失する。


 それでも男は、児戯に等しい礫を丁寧に躱して接近する。杭と違って、ただの燃えカス如きにどうしてそこまで臆する必要があろう。まさか足掻く者に忖度そんたくしているのか。それとも万が一の勝機すら奪うつもりでいるのか。


 いずれにせよ男は一切の油断や慢心を見せずして、篠突しのつくように地団駄を踏む杭先を過剰ともいえるほどの渾身の力で打ち払う。それで虫が怯むたび、虎視眈々とした男の刃が、有り余る肢の数を着実に減らしていく。そして打ち合う両者の間に飛び散る火花はヘドロの飛沫しぶきへと変わる


 こうしてついに虫は手も足も出せないほど貧相な姿に剪定せんていされてしまい、その背に残された最後の杭まで男に引き抜かれて、ゲジから惨めったらしい芋虫へと成り果てた。


 すると、楔の役割を担っていた杭を抜いたがために、溜まりに溜まった大量の死骸やヘドロを吐き散らして、芋虫は黒煙の消沈と共に活動を完全に止めてしまった。


 想像通りの結果ではあったが、存外に楽しめたな。それにあの形態は新規に転用することもできるだろうし、まだまだ改良の余地がありそうだ。

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