第17話 模倣虫
透き通ったグラス越しに弟をみた。小さい両手の中でグラスを透かし、まるで私を真似るかのようにこちらの様子を窺っている。
そこで私は弟を、アイスコーヒーの黒さに沈めて視線を遮る。何故、この私が物を通して見ているのかも知らず、馬鹿みたいに私の仕草を何でもかんでも
自分一人じゃ何も出来ない役立たず。態度、表情、仕草まで、私の後ろをヨチヨチ歩き。なのに親は弟ばかり気にしてる。男か女か、違いはそれだけ。そんな私の偽物は、今日も今日とて私を真似る。
はっきり言って不愉快だった。
「それじゃあ、行ってくるからちゃんと見ててね、
「いつ戻ってくんの?」
「そんな長くかかんないわよ」
「私いい加減、面倒みるの疲れた」
「もうすぐ高校生なんだからワガママ言わないの!」
こうなるともう、まともな交渉は見込めない。私と弟の年齢差にかこつけて、自分の要求を押し通してくる。一体どちらがワガママなのやら。
「あーはいはい。わかったってば」
親にとって私の気持ちは二の次で、弟のことが何よりだった。けれど時折、自我が芽生えたみたいに、こうして弟とセットでワガママを突きつけてくる。
「もう、どうしてこう…」
ぶつくさと愚痴りながら、フードコートから出て行く親を見送る。そして残った私は自分の偽物を席に座らせたまま、近くのテナントで菓子を買う。
ちょっと前に流行ったお菓子。この寂れたショッピングセンターでは、流行に乗り損ねてそのままになった物がチラホラと売ってある。そしてその菓子をやたらと
「コレはぁ、団子か?」
「マカロンっちゅう名前の団子らしいでな」
「緑色はよもぎかえ?」
「分からん。食ってみぃ」
「緑は要らん、腐っとる、白を食う」
「ホウ酸団子食っとるわコイツ!」
「バカタレがっ!変なこと言うな!」
弟の正面に座って菓子を頬張り、パサついた甘味をコーヒーで飲み干す。更にもう一つ手に取ったところで再度弟を見たら、ジッと私の動作を凝視していた。
「なに?欲しいの?」
「・・・・・」
せっかく訊いても喋らない。
「要るの?!要らないの?!」
試しに弟の目の前へ、白いマカロンを突き出してやった。
「・・・・・」
でも、やっぱり喋らない。私の猿真似は一丁前な癖にコイツの口に関しては、意思疎通と言った当たり前の機能を備えていないのだ。雛鳥ですらお腹が空いたと鳴いたりするのに、弟に至ってはその鳥並の能力も無い。
けれど、今までさんざん私に向けられていた視線が、その菓子に移っていたことに気がついた。
「要るならアソコから取ってくれば?」
私はフードコートの隅を指差した。もちろんそこに店は無い。代わりにあるのは私が持つ菓子と似た色合いの、埃を被った団子だけだ。
それを弟は取りに行き、素早く元の席に戻ってきた。そして幾つかの団子を手に持ったまま私を見ている。
だから笑って言ってやった。
「じゃあ一緒に食べよっか」
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そんな事がつい先日。今は弟の病室に見舞いに来ていた。
私を学校からここに連れてきた母は医者の説明を聞いたあたりから気が変になってようで、後から来た父によって自宅へ連れ戻された。
そして私だけが弟のお目付役として残された。こんな事態に陥っても、私の役割は変わりそうにない。きっと弟が死ぬその時まで続くのだろう。
私は病院の売店で買ったお菓子を食べる。更には管まみれの弟の横で見せびらかすようにアイスコーヒーを飲んでみた。
弟は反応を示さない。
続けてアクビ、クシャミと演じてみた。
それでも弟は反応しなかった。ぼんやりと天井を見上げたまま蝋人形のように固まっている。
それを見たとき、例えようのない感情が間欠泉のように噴き上がりそうになった。自分がこの世界において、唯一無二の存在であることが確立されたのだから当然かもしれない。そして今後、自分よりも数段と劣るレプリカの世話に当てがわれることも無い。
私は飛び跳ねたい気持ちをコーヒーごと飲み干し、飽和寸前となった感情の濁流に悶えていた。
ピーーー
すると突然、弟と繋がっている機械からゴキブリの悲鳴のような甲高い音が鳴った。
「あぁ・・・ヤバ・・・」
これ以上この病室にいてはダメだと思った。なんだかさっきから身体が熱っぽいし、妙に下半身がむず痒い。
「・・・トイレ行こっと」
軽く伸びをした後、締め切った病室から出てみると廊下の空気は淀んでいた。
「何この臭い。クッサい」
母と訪れた際には気にも止めなかった埃臭さや鉄の臭いが鼻をつく。しかしそんな不満も、今となっては些細な事だ。
そして用を足すべく向いた通路の奥で、廊下の照明が点滅していた。漂う臭いもさることながら、医療施設の名の下で切れかけの電球を使い古す意識の低さに少しばかり苛ついた。
するとその点滅が近くの照明に伝播した。そしてそれは感染症の如く、どんどんこちらへと広がってきている。
「え?なに・・・」
点滅が私の頭上までやって来た。そして最初の照明は既に消灯し、今度は闇が徐々に私へ迫ってきた。それも這い寄るようにじっくりと。
ただの停電かとも思ったが、どうにも変だ。私は本能に従い、闇から逃げるように階下へと繋がる階段へ走った。そして這い寄る暗黒も、階段の照明を食らいながら追って来ているようだ。
「なんなの・・・ッ」
しかしいくら下れども、見えてくるのは踊り場ばかりで一向に目的のエントランスが見えてこない。
そして息も絶え絶えになった頃、ようやく次の踊り場に扉が見えた。
鉛色で酷く錆びた汚い扉。私はそこへなりふり構わず突っ走り、すがる思いで扉を開けた。
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