第16話
「好きです!付き合ってください!」
「・・・・・」
一陣の風が二人の間を駆け抜けて、ねばつく水気を残していった。不穏を
「・・・うん・・よろしく」
そこでやっと世界が変わった。曇った空は新品の日記帳のように白く、花壇に生え吹いた雑草は青年の成就した悲願を祝福するように踊っている。
色とりどりの鮮やかさを目に見える全てから感じ取れた。グラウンドの砂をまぶした校舎の壁、花壇にうずたかく盛られたタバコの吸い殻まで。今はそれすらも美しい。
青年は頬を染める少女の肩を掴む。優しく傷つけないように、けれど離さないようにしっかりと。そして、甘く熱い感情に絆された二人は、少しずつ距離を近くする。そしてついに二人は互いの影を重ねた。
・・・ふと目が覚めた。
月の光で生白くなった寝室では、カチカチと掛時計の針だけが鳴いている。男はまどろみのなか寝返りを打ち、自分の隣にいるはずの熱源を手で探る。しかし、それを出迎えたのは冷えたシーツだけだった。
カーテンの隙間からは外の月明かりが差し込み、半開きの扉を照らしている。そこで男は妙な胸騒ぎがして、夢の続きに後ろ髪を引かれる思いを布団へと置き去る。そして半開き扉の前に立ち、ドアノブを静かに引く。その向こうは月光が遮られているせいかやけに暗く見えた。
それでも男は目を擦りながら扉をくぐり、廊下へと繰り出す。なんてことはない、いつもの廊下、自宅の一部。そこを変に警戒している男自体が不自然なのである。
そして月明かりを失った男は、次に廊下の照明を付けようとした。けれど、それよりも先に廊下の突き当たりに目が止まった。
ちょうど突き当たりを縁取るように、四角い橙色の光りが扉から漏れ出ている。誰しも一度くらいはある深夜の用事。男はそのなんの変哲もない
「トイレか・・・。まぁ、そうだよな」
そこで寝室に戻ろうかとも思ったが、火照った夢に浮かされこともあり、本来の熱を今一度確かめたくなったのだろう。
自分一人を置いていき、ひどく心配させた事に対する小さな復讐、もとい
抜き足・・・差し足・・・忍び足。床の軋みすら許さない足取りで、男は息を殺しながら目標の動向に聞き耳を立てた。
・・・ピチ・・・ピチ
中からは水の滴る音がする。それだけならこれといって不思議ではないはずだが、男は違和感を覚えていた。
そこを日常的に使う者にしか分からない、勘とでも言えるモノに引っかかるのだ。水滴の音の大きさや質が普段とは異なり、陶器に当たった時とはまた別のように思えた。そしてそれは栓の緩い蛇口のようにとめどないのだ。
ここで男の頭から悪戯の二文字が抜け落ち、疑心が額を湿らせた。そして汗ばんだ手を握り、ゆっくりと扉をノックする。
コン、コン
返事はない。代わりに聞こえるのは、依然と滴る音だけである。そればかりか、かすかに香る生臭さが
「おい、大丈夫か?」
震えた声に応答はない。何秒、何十秒と待ってもそれは変わらなかった。
「・・・開けるぞ」
ドアノブは特に逆らうことなく簡単に回った。すると今まで扉に立て掛けてあっていたのか、中からはズルリと重たいものが出てきた。
男はそれを胸で受けとめたが、咄嗟の事でバランスを崩していまい、腰を床に打ちつける。そして気付いた。この胸元に飛び込んできたのは夢にいた愛しい女性、その人であると。
しかしいくら夢と記憶の中を漁っても、蒼白く微動だにしない表情と過去の楽しげにしていた時の表情が結び付かない。そして混乱する男と同調したかのように、女の顔が僅かに揺れた。
グラグラと不安定に揺れる顔、けれど決して様変わりしない白い顔。目覚めてずっと探していた彼女の天使の羽の間に、どうして求めた顔がある。
「・・・・・・」
何と声を出せばいいのか分からないまま、男はみぞおちに染み込む温さから身を
男が忍んで来た廊下であるが、途中には何も無かったと記憶している。では背後にあるモノは何なんのか、頭上から聞こえる息遣いの主は誰なのか。身をすくませる前後の脅威から板挟みにされた男は、半ば投げやりな心境で天を見上げた。
見知らぬ顔があった。
そしてそれは
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