第14話 煙の音

「助かったなんて・・・なんだか夢みたい」


 河上は膝を抱えてうわ言のように呟く。


「これからどうしよっか・・・」

「・・・・」


 わたしはそのうわ言を聞き流し、この施設について思考を巡らせていた。


「ねぇ!無視しないでよ!一人で喋ってるアタシが馬鹿みたいじゃん!」


 そしてそれを妨害してくるお邪魔虫が、わたしの腕を引っ張って騒ぎだす。学校のチャイムより甲高いノイズに、耳の中を埋めつくされて考えがまとまらない。


「静かにして・・・」

「やっと喋った!?人が話しかけてるんだから返事くらいしてよ!」

「まだ、あの変な怪物が近くにいる」

「えっ・・・?」


 もちろん黙らせるため咄嗟に放った言葉だが、アレ以外の怪物がこの施設内をうろついている可能性は十分にある。それはこの部屋に散らばる死体の状態が、どう見てもあの粉砕機によるものだと思えないからだ。


 わたしを囮にしたクズ野郎はぐちゃぐちゃのミンチになった。けれど、これらの死体のほとんどは原形をとどめており、粉砕機と同一の怪物に殺されたとは考えにくい。おそらくあの粉砕機の他に、異形の者がこの施設にはいるのだろう。


「だから静かにして・・・わかった?」

「で、でもさぁ・・・ちょっとは心配してたこっちの身にもなってよ。化物がアンタに近づいたとき、もしかしたら・・・って思ったし」


 ヒステリックな声が、蚊の鳴くような涙声に変わった。コイツはわたしの安否を確認するために、キーキー騒いでいたとでも言いたいのだろうか。


「わたしは大丈夫・・・分かったらもう大きい声出さないで」

「う・・うん。それで・・・三涙みなみださんはこれからどうするの?移動する?ここにいる?ねぇ」


 それぐらい自分で考えて行動しろと言いたいが、わたしの腕を掴んで離さないあたり、十中八九コイツはわたしについて来る。なんとか言いくるめて部屋に置いていったとしても、50メートル走14秒台のわたしが走って敵をけるわけがない。それならコイツを囮として持って行くのも悪くはない考えだ。


 また単に死にたくなければ、ここに留まるのが一番楽かもしれない。しかしあの怪物が隠れる所の多い、この場を入念に調べなかったことが引っかかる。そして何より、隠れていても施設から脱することはできないのだから動くしかない。


「行こ」

「行くって、どこに?ここにいようよ!絶対に殺されるって!」

「ここにいても、いつかは見つかる。お腹も減るし、出口にもたどり着けない。・・・だから移動する。そっちが嫌でも、わたしだけで出口を探す」


 河上の手を振りほどくようにして立ち上がる。コイツはあくまで追われた時の保険なのだから最悪居なくてもかまわない。わたし一人だけでも脱出してみせる。


「それ本気なの!?」


 慌てる河上を無視して部屋の外へと向かった。そのとき、ふと気になったのは扉の上部で回っている換気扇だった。


ブゥゥ・ゥ・・ゥゥ・・ン


(こんな死骸だらけの汚い場所にも、換気扇くらいはあるんだ・・・)


 そんな間の抜けた思いにふけりながら、手首をく。


「もぅ!・・・って急に止まってなに?蚊にでも刺された?」


 いつの間にかわたしの腕を掴んだ河上に釣られて見ると、気づかない内に掻いていたらしく、手首の関節あたりが赤くれていた。


「蚊・・・」


 ちょうど今の季節は夏だ。だから、蚊に刺されることは珍しくはない。だが、胸につかえたような違和感が残るのはなぜだろうか。死体が大量に転がっているくらい不衛生なのだから、虫の一匹や二匹いても・・・。


ブゥゥ・ゥゥゥ・ゥン


「まったくいない・・・」

「は?何が?」

「ハエとウジ虫」


 ボトリ・・・と何かが、部屋の隅に落ちてきた。暗い室内より黒く、激しくうごめいている。


ブブブブブブブ


 全身が粟立あわだち息をのむ。


「ヤバッ!」


 気が動転していたのか、誰の声だか分からなかった。それぐらい、わたしは部屋に降り立った漆黒の煙に目を奪われていた。その煙の隙間からは、今しがた粉砕機をやり過ごすのに一役買ったムンクの仲間が口をパクパクと開閉している。


 すると、それを覆う煙が一気に晴れて、無数の羽音が迫ってくる。視界が一層黒く彩られ、わたしの人生が閉ざされる・・・まで一刹那いっせつな、世界は光を取り戻していた。


 黒かった視界は鉄の扉に閉ざされ、蜘蛛くもみたく扉へ張り付いた河上が肩で息をしている。


 そして肩に遅れてやって来た鈍痛が、河上によって無理な姿勢で引っ張られたらしい腰砕けのわたしを襲った。


「あっぶなかったー!マジで死ぬかと・・・」


 膝から崩れ落ちそうなっていた河上の言葉が詰まる。おしゃべりなコイツにしては珍しい、と思ったのもつかの間のことだった。


 扉に隔てられ一旦は小さくなった羽音が次第に大きくなっている。しかもそれはいやに透き通る、あまりくぐもっていない音に変わりつつあった。


「走って!」


 そこから少女たちは脱兎のごとく闇へと連れ立ち、扉の前では羽音が煙る。しかし、どこか物寂しげに煙は電球で身を焼かれながら漂っているばかりだった。

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