第11話 喜怒哀楽

「ハァッ・・・ハァッ・・」


 止まるな。止まれば死ぬ。


 さきほどの光景が何度も何度も、頭の中で繰り返し再生されている。自分と同じ人間が激痛にのたうち、ミンチになっていく。そんなグロ映画でしか見たことのない映像が、頭に焼き付いて離れない。


 カカカカッカカッカカ


 例の歯車が床を叩きながら走行する音が響き始める。どうやら、食事の時間が終わったらしい。目覚まし時計のアラーム以上に聞きたくない音が次第に近づいてくるのを肌で感じて、わたしは手を振り続ける。


 しかしいくら走れども、見えてくるのは貧相な電球の明かりばかり。わたしは焦りと恐怖ですくみそうになる足に、根拠も何もない激励げきれいを送る。


 すると左右前方へと道を伸ばした十字路に行きついた。この非常事態に進路を変えている余裕など無い。という恐怖によって導かれた短絡的な答えを抑え、少しでも追跡者の速度を遅らせるために左へとかじを切る。


 意味なんてない。いつかは追いつかれる。どちらへ行っても結果は変わらない。なんて考えが四肢を震わせる。こんな時でもわたしの身体は、本体の意志とはまるで異なって自己の主張が激しい。


「ぜったいに・・・止まってやんない・・!」


 その生意気な身体にむちを打って進んでいると、照明の光と光の間にひっそり隠れるようにしてある半開きの金属扉を発見した。


(もうここしかない・・・!)


 確信めいた直感に突き動かされて、そこの隙間めがけて速度を一切落とさず滑り込むように身を投じる。


「っ!!」


 そのわたしの進入に合わせて、ガサリと何かが暗い部屋のすみでうごめいたのを感じ取る。目をらしてみたが、暗さに慣れていないのもあってか、闇に閉ざされている部屋の中では、その何かが敵なのか味方なのか全く判別がつかない。


 どうする。あの怪物がいる廊下に戻るか・・・。あるいは得体の知れない何かが敵でないと仮定して共に追手をやり過ごすか・・・。しかし敵だった場合は・・・。


 そうこう悩んでいる間にも、止むことなく近づいて来る不吉な金属音が脈打つ器官に火をくべていく。しかし手足は虚勢きょせいという燃料を切らしたのか寒くもないのにかじかんで、代わりとばかりに歯がカチカチと動きはじめる。


 もうダメかもしれない・・・。


 それが頭をよぎった瞬間、暗い部屋はより一層暗くなった。結局努力なんてものは、その大体が報われないものなのだと過去の自分が頭の中で呟いた。


 思えば学校で河上 美淮キチガイを退け、わたしをおとりにしたクズまで振り払ってきた。だがしかし、未だにわたしはこの苦しみのさだめから逃れられていない。


 もういっそ終わらせてしまった方が楽ではないのかと、身にまとった緊張が体温を連れてズルリと剥がれ落ちていく。


 すると部屋の隅でまた何かが動いた。座して死を待つだけのわたしの様子を見て、何か好機を悟ったのだろうか。


「み、三涙みなみだ・・・・・さん?」


 わたしは声のした方向へ飛ぶようにけた。自分が考えるよりも数段早く、すでに足はそこへと向かっていた。


 この部屋に入ったときうごめいたのは、わたしのことを知っている者だったのだ。そのことがなんだかとても嬉しくて思わず目頭が熱くなった。最近、わたしを名字で呼ぶ人間は敵だと思っていた自分が、ここまで心を躍らせたのは珍しい。


 二転三転する状況下で恐怖、怒り、諦め、歓喜、様々な感情が胸の中で入り乱れる。そしてそのうちのどれが自分を笑わそうと、あるいは泣かそうとしているのかも曖昧あいまいになりつつあった。けれどもそんな視野をせばめる涙と評判の悪い笑みをこらえて、発せられた声だけを頼りに進む。


 するとその途中で何かにつまずいた。行く手を阻まれた足が行き止まり、バランスを崩してつんのめる。転べば当然、足より先に手が伸びる。そして無様に暗中を掻く手が、声の主へとたどり着いた。


「キャッ!」


 顔を起こす。


「急に突っ込んでこないでよ!バカ!」


 暗闇でも認識できるほどの大きな目が、廊下からの薄明かりを猫のように反射してこちらを覗いていた。見たことのある目に聞いたことのある声、そのいずれもわたしは知っている。


 そうコイツは。


「・・・なんか喋ってよ」


 学校で出会った狂人もとい、同じクラスの河上かわじょう 美淮みえだった。

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