第9話  鏡

 04684番


 扉に刻まれた数字はひどくびついており、そこからは血でも垂らしたかのような跡が複数の線を引いている。


 私はゆっくりと丸いドアノブを掴み、剥がれかけた薄い錆びを握りつぶして右へ回す。すると金切り音と何かが剥がれる音の二重奏が、開閉に伴って孤独な廊下に鳴り響いた。


 そして重厚な扉をくぐった先にはにごった空と屋敷の庭があった。


 縁側えんがわからは大小様々な飛び石が、ポツポツと私の足元まで続いている。そしてその飛び石によって分かたれたついの庭石がまるで牙のように、幅広い砂紋さもんまといそそり立っていた。その光景は、思わず庭そのものが鬼の口とも見て取れるほどだ。


 そして地べたからはズリズリと白い砂をかき分ける音だけが絶え間なく続き、延々とその跡を残している。それもくまなくどこまでも、螺旋らせんを描いて波を打つように。


 そこを私は息をひそめて進む。一つ・・・二つ・・・と飛び石に足をかけ、見えないモノに引かれ続ける砂紋をまたいで行く。そして踏石ふみいしの前に到達すると、おあつらえ向きの円座が四つ、無人の縁側に並べられている。 


 それはただの敷物でありながら、私が靴を脱いで正面の障子しょうじに手をかける間中あいだじゅうずっと、言い表しようのない不気味さを放っていた。


「失礼します」


 私はそこから逃げ出すように素早く部屋へ入り込み、向けられていた不気味さを薄い障子で締め出した。だが部屋の中の存在は、それらを良く思わなかったらしく不機嫌そうな声がする。


「なんだい急にやってきて・・・最近の若い奴は礼儀作法もおざなりなのかい・・・」


 座敷の部屋中央には一面鏡の鏡台だけがポツリと一つたたずんで、私と女の二人を映す。そして鏡の中から声を発したであろうその女は、半紙のように白い肌ですみ同然の長髪をやたら入念にといている。


「すみません。会長に言われて回収に来ました」


 女の視線は相も変わらず髪に注がれ、こちらに一瞥いちべつもくれる様子はない。


「女の身支度を邪魔した挙句、モノをよこせだなんて厚かましいにも程があるだろ?少しくらいはわきまな」

「はい、すみません・・・」

「・・・・・」


 ズリズリといずる音だけが両者の沈黙を取り持つ。


「・・・ちっ、いつまでもそこに居られると気が散るんだよ。ほんと気が利かないね、お前」


 強まる語尾と舌打ちが女の機嫌をより克明こくめいに表し始める。


「申し訳ありません。ですが、会長からの命令なので早急にお願いします」


 私はその意志を訴えるように、少し踏み込んで正座する。


 そして、ザクリと刺さる音がした。


「・・・あぁ・・そうかい。ならそこで待ってるがいいさ」


 女の顔面に赤い亀裂きれつが走る。始まりは頭のてっぺんに添えられた真紅のくしからであろうか。


「すぐに終わらせてやるから・・・」

「・・・ありがとうございます」


 髪をとき続ける女の頭からは刺さる音を皮切りに、今ではブチブチと千切れる音が流れている。次第に赤はひとみの上をも走りだして、初め見た純白さすら塗りつぶそうとしていた。


 そんな塗り絵が完成するかと思われた・・・そのとき。


「ぁあっ!ぁあああ!」


 鏡の中の台に突如とつじょ、鳴き声とも悲鳴ともつかない音と共に何かが乗り上げた。その正体はやや棒状に近い形をしていた。大きさは50cmほどで腕や足といった部位が存在せず、およそ節足動物とは程遠い形でありながら、見慣れた頭と胴体をたずさえているそれは人モドキとミミズの交配種のようであった。


 人と断定しないのは、それの眼球が限界まで張り出して出目金でめきんのようでもあったからだ。また、ヌラヌラとした肌は赤と白が斑模様まだらもように入り混じり、汚いこいにも見えてくる。


 しかしそれが人であるかどうかは、続く声で明らかとなった。


「いぃ、痛いぃ・・だれ・・かぁ」


 人語。確かな発音で発せられた言葉。それは、かの存在がミミズや出目金などではないことを決定づけるには十分だった。


 途端、女の持っていたくしが鏡台を壊さんばかりに叩きつけられる。


「お前らホントなんなんだいっ!?人がこらえてりゃあ調子に乗りやがって!!」


 女は怒号とともに、そのミミズを鏡面の外へ連れ出し見えなくなる。


「次からっ次へとっ!うっとおしいんだよっ!」


べちっ・・・べちっ・・・


 肉をぶつ音の合いの手が、横殴りの血の飛沫ひまつとなって、磨き上げられた鏡面を汚していく。


「ぃ・・・ぉかぁさん・・おとぉさん・・」

「はあ!?なんだって!?あんたらがそれを口にする資格なんて無いんだよ!!この恥知らずがあッ!」


 ふと後ろで声がした。


いまだ止まぬ水の声

りず焦がれて壊される

数多あまたの血を吸う地獄門

忙しい兎、月つつき

三つされて一つ堕ち

浮き身削りて罪そそぐ

ここに描くは痴の軌跡

濡れに血に濡れむしろの上の

下をしのばぬ生き字引


 薄い背後の障子を抜けて、そんな嘲笑ちょうしょう混じり詩歌が聞こえてくる。そして鏡に映る障子には、ユラリユラリと火のように四つの影が揺れていた。


「でぇ?アンタはいつまでここに居るんだ?」


 左の耳に生暖かい息がかかる。正面の鏡には、変わらず座った私が映るのみ。しかし、シャツの肩口からは赤い染みがジクジクと誕生していた。


「またふざけたこと言ってみな。アンタを鏡に突き飛ばして、アイツらとおんなじ目にわせてやる!」


 肩口を中心に這いまわる生温い液体が痛みを残し広がっていく。


「やめましょうオカミさん。正当な理由もなしに仲間を傷つけた場合、別の要件で私たちが来ることになりますよ」


 右肩に食い込む五本の痛みの元凶を、そっと手で包み込む。


「・・・・」


 冷えたそれは、細くしなやかで心なしかつやっぽい。生臭くヌメり、鋭利に尖ってさえいなければ幾分いくぶんか気も晴れた程に。


「ちっ!いい子ぶりやがって・・・それ持ってとっとと失せな。さっきの新しいのが二つ入ってる」


 身を包む圧迫感がほどけるように緩和かんわすると、ドサリと小さい麻袋が私の前に投げ捨てられる。袋口は毛髪で何重にも縛られており、中身をうかがい知ることはできない。


「ありがとうございます。それではこれで失礼します」

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