第4話 踊り場

 この学校の西側4階にあるトイレは他と比べて綺麗だ。それは暇人たちによって、でっち上げられたうわさによるところが大きい。


 なんでも放課後にそのトイレの前を横切ると女子生徒の幽霊を見てしまうとか。しかも、運悪く幽霊と目が合ったなら、呪い殺されるオマケつき。だからか、肝試しや掃除目的以外に訪れる生徒はまずいない。このせいで誰も寄り付かず、4階の西側だけが異次元のような雰囲気をかもし出している。


 そして現在わたしはそこに居る。なぜかは分からない。というよりも、あの優男やさお野郎に誹謗中傷ひぼうちゅうしょうされてから今にいたるまでの記憶がさっぱりだ。気が付くと幽霊トイレにいて、左のほほにビンタをくらっていた。


 意識を目の前に向けると、昼休み中に黒板付近で優男やさおとわたしを監視していた女の1人が、顔を真っ赤にして立っていた。


「だからユウタ君となに話したのかって聞いてんだよ!」


 よくよく見ればこの女、男子ランキングよろしく、男子たちによる女子の格付けランキングで1位よりも劣る3位の河上かわじょう 美淮みえであった。

 

 髪はフェイスラインをより細く見せるように肩まで伸ばし、まぶたは二重で狸顔。やや小柄でありながら、洋ナシ型の体形がコイツを幾分か大人びさせているようだった。


 そんな奴が3位に落ち着いている理由は、その外見の良さを打ち消さんばかりに醜い内面が、表情や立ち振る舞いを通して出てきているからだろう。あえて本人に聞こえるように陰口を叩くのは序の口で、下に見ている相手には見向きもしないか鼻で嗤うのだ。コイツにとっての他人とは、自分を相対的に立てるための舞台道具でしかない。


 ちなみに、わたしの名前はランキングに載っていなかった。男子の机からくすねたその用紙を、放課後から家に着くまでの道すがら、表裏あわせて上から下まで目を通したのだから間違いない。そのドキドキ感は自分の受験番号が、合格者の番号一覧表にあるかどうか探している時のモノに近かった。


 けれどそれらしい名前は一切なかった。おそらくランキングに載ってなかったのは、殿堂でんどう入りでもしていたからだろう。


「なんとか言えって!!」


 河上の鳴き声ではっとすると、高く掲げられた右手がやけに堅く握りしめられていた。まともに受ければ致命傷になるかもしれない。その杞憂きゆうすぎる懸念から、咄嗟とっさにわたしは両手で顔を覆って防御姿勢にはいった。


 そこに続くは二度三度の鈍い衝撃。受けるたびに伝わる前腕の震えが、その威力を物語る。


「なんでアンタみたいなクソ陰キャが、ユウタ君と話してんだよ!!?」


 コイツはなにか勘違いをしている。わたしはただ、優男やさおの誹謗中傷のまとになった憐れな被害者だ。


「・・・ちっ・・ちが・・う」

「はぁ!?聞こえねぇんだよ!」


 河上は手を止めて、やっと口を開いたわたしの言葉を待つ。


「わたしは・・・」


 普通であれば、「臭くてキモすぎるから、風呂にでも入れ」と言われたむねを正確に伝えるだけだ。しかしわたしはその言葉の暴力と、河上からの物理的暴力という2つの方面から心身ともに深い傷を負った。


 傷ついた自尊心を慰めるには、このツケを誰かに払わさなければならない。無論、それは目の前にいる河上と、あの優男やさおの2人である。


 そしてわたしは閃いた。その2人が確実に、更にはわたしと同等あるいはそれ以上に苦しむであろう方法を。


「わたしは・・やさ・・・ユウタに・・・」

「・・・あ?」


 深く呼吸をして唾をのみ、浮足立つ心音をなだめて河上を見据えた。相手の眉は経過とともに勾配こうばいがきつくなっている。それが45度を超す前に言わなければならない。


 そして空気を限界まで吸い込んで、吠えた。


「今度デートしに行こうねって言われたんだよ!!!」


 2人だけの女子トイレに、わたしの言葉が木霊こだました。自分でも驚くほどの大きい声が出たことに戸惑う。昔から父にやればできる子と言われてきたが、あながちお世辞ではなかったのかもしれない。


 しかし不意に思いついたこの言葉は、考えてみればかなり馬鹿げた内容だ。今まで優男やさおがわたしに話しかけて来たのは、あれが今年初めてで、はたから見ても接点なんてつゆほどもないと分かる。それにデートに誘うだけなら今のご時世、スマホでやればいいものを直接面と向かって言う必要もない。


 果たしてこんな分かりやすい嘘に引っかかるのだろうかと河上を見る。


「・・・キィヤアアアアアア!」

 

 すると突然絶叫が耳をつんざき、狂ったように河上が掴みかかってきた。わたしの肩や髪を見境なく引っ張って荒れ狂う様は、獰猛どうもうな狂獣そのものだ。


 しかしこれ以上、いいようにされてしまうのはマズイ。わたしは暴れる河上の腕を掴み返して渾身こんしんの力で振り払い、その勢いのまま態勢を崩した河上の顔面をぶっ叩いた。


「っ・・・!いった・・・・・」


 叩かれ、よろめく河上は洗面台を支えに、鏡を通してこちらを睨んでくる。すると、その鼻から一筋ひとすじの赤い線がしたたり、河上の顔がみるみるうちに怒り狂う獣から殺意を丸出しにした鬼の形相に変わった。


「おまえぇ・・・・・殺すぅッ!」


 わたしは奴が動き出すよりも先に走った。行き先は別棟の職員室。教師とは名ばかりの連中のたまり場だが、この殺人鬼一人を抑え込むことくらいはできるはずだ。


 だが、ちょうよ花よと育てられたわたしに、運動などという頭よりも体を使う習慣はない。そんなわけで階段に差し掛かる直前、獣じみた速度の化物に後ろ髪をひっつかまれた。


「ゼッッタイに逃がさないからぁ!絶対にィッヒヒヒ!」


 食われる。本能的にそう感じた。


 しかし逃げようにも、想像以上の力で後ろ髪に食らいついているらしく一向に離れる気配がない。さらには、わたしの髪を手綱たづなのようにたぐり寄せてジワジワと接近して来てすらいる。


 このままだと、本当に殺されかもしれない。死の恐怖が殺人鬼の粗い息と随伴してにじり寄る。


「・・・はなしてっ!!」


 わたしは階段の手すりで体を固定し、掴まれた後ろ髪をひるがえすようにして死ぬ気でもがいた。


「くっ!この・・・あっ」


 すると、力ない不意を突かれたような声が耳元をかすめ去っていく。それに伴って軽くなる髪。ひしゃげるような・・・あるいは割れるような音。

 

「・・・・・」


 そして今ではすっかり静まり返る、その音のした踊り場には何があるのだろうか。わたしは振り返ることなく、4階の反対側にある階段から保健室へ走った。

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