第4話 Dear. Mama
3度、墓地の中へと風にまかれて運ばれた後、彼女はどこか嬉しそうに叫んだ。
「あちゃぁ、ついに見つかっちゃったわね」
「……お待ちしておりました。巫女さま」
暗闇の中、その墓地にはすでに先客がいた。白一色の、ゆったりとした服装に身を包んだ女性の翼人で、装束も相まって、墓地の中心に天国が現れたかのように周囲の風景からひと際浮いている。
「お待ちしておりました、ね。あの人の差し金でしょう?」
「…はい、お察しの通り、わたくしは女神の命を受けてまいりました。申し遅れましたが、わたくし、女神様直属、聖都エデンを管轄しております、神官のサリエルと申します。お見知りおきを、巫女さま、邪神さま」
サリエルと名乗る翼人の女性は、俺の方にも礼をする。そうすると俺は今、邪神、と呼ばれたのだろうか。
「はいはい。サリーね。あのさ、丁寧に自己紹介してもらったところで悪いんだけど、このヒトにはその説明じゃ訳わかんないし、」
と、俺を親指で指す。
「あたしには、そもそも説明が要らないから。ここからは聞かれたことだけ答えてくれる?」
「失礼いたしました。そうさせていただきます」
サリエルはそう言って、背中の羽がばっちり見えるほどの最敬礼をする。どうやら彼女らは関係者同士、そして身分にも違いがあるようだ。そう察し、とにかく俺は成り行きを見守ることにする。
少女は、(そういえば、俺はこの子の名前も知らない。……みこ?さまと呼ばれているようだが)「それじゃあ」、と少し間を取って、それから考えがまとまったのか、口を開く。
「この墓地に、イヴという女性が眠っています」
話し始めると、彼女は雰囲気を変える。そう、例のあの声だ。厳格で、優しくて、暖かい。聞く者の耳は支配されずにはいられない。俺たちは声の導きに従って、追憶の世界に誘い込まれる。
イヴは、本名をイヴ・アルファという、今から100年ほど前に農家の娘として生まれた。器量は十人並みといったところだったが、働き者で気立てが良く、誰からも好かれた。
そして、ある時彼女も恋をした。相手の男の名はアダム。好いて好かれて、好かれて好いて。ふたりは素晴らしい愛の日々を送った。しかし、その幸せにある時影が差す。相手の家からの大反対にあったのだ。アダムの家は有力な商家で、農家の娘であるイヴなんぞにはやれん、というわけだ。思い余った彼らは駆け落ち同然に街を出て、ふたりだけで生活することにした。そして、カインとアベルというふたりの男の子にも恵まれ、小さくも幸せな家庭を築く。そんなある日のこと
「ねぇ、おかーさん。だっこしてー」
「ん-?もう、アベルは甘えんぼさんね」
よしよし、と幼いわが子を抱きしめる。その小さな顔を引き寄せ、父親に似た茶色がかった髪の香りをかぐとき、イヴはこの上ない喜びを感じる。
「あーっ!アベルばっかりずるい!おかーさん、ぼくも」
「はいはい、順番だからね。カインはおにいさんだから、待てるわよね?」
「……はーい」
そんなやり取りをしながら、夕食を作っていつものように夫の帰りを待っていた。
そんなありふれた幸せに向かって、凶報というものは、決まって、前触れもなく、訪れるものだ。
ドンドン!と、強く玄関の扉をたたく音とともに、イヴを呼ぶ声がする。胸騒ぎを覚えつつ、来訪者を玄関で出迎えた彼女は、アダムが木を切っている時に熊に襲われて死んだことを知り、その場で声も上げずに泣き崩れた。
「兄弟で、助け合って、生きていくのよ。…幸せになってね。……ごめんなさい」
カインは、母が最後に言ったその言葉と、兄弟それぞれの首にかけられた母の手作りのブローチだけを持って、弟と共に父親の実家に帰された。幼い子供二人を抱えて女一人で生きていくことができなかったことを理解できるほど大きくなかった頃は自分たちを捨てた両親を恨んだこともあった。しかし、もろもろの事情を知らされて、母親が兄弟を預ける交換条件として兄弟への一切の関わりを断たれたことを知った時には、既に母親もこの世にはいなかった。死因は流行り病だったという。
兄弟は母の言いつけを守って二人で協力して生きていった。家業を盛り立て、今や彼らの家は街一番の有力商となった。
そして、今日、カインが死んだ。カインはたくさんの子供や孫たちに囲まれてこの世を去ったのだが、唯一、母親のことが心残りである
「…と、彼の魂に聞きました」
少女は、そこまで語ると、一つの墓石に手を触れる。と、彼女の腕輪が光を発した。光は形を変えていき、ぼんやりと少年のようにも見える姿を取る。
「母さん、ここにいる?」
陽炎のように揺れる少年の形をした光は声を発する。少女は頷き、墓石をもう一度撫でると、もう一つ、光が生まれる。
光は先のモノよりも大きく、大人の女性のようにも見える。こちらも話し始める。
「……カイン?あなたなの?」
「っ!そうだよ。おかーさん。……あいたかったんだ、ずっと」
「私もよ、カイン!」
二つの光は抱擁しあうように混じり合う。信じられないほど突飛なことではあるが、先ほどの話の親子らしい。そして、少女は彼らをここへ連れてきた。
と、光は再び二つに分かれる。
「…ごめんね、カイン。あなたには寂しい思いをさせたでしょう」
「ううん。母さんこそずっと寂しかっただろうに、今になるまで会いに来れなくって、ごめんなさい。・・・この人に連れてきてもらったんだ」
と、少年が少女を指すと、親子は彼女の方を見る。
「……浮かばれない想いに、道を示すのが我々の務めです。そして、想いはもうふたつ」
いつの間にか懐から何かを取り出している。首に通すための鎖が付いているが、3つの、ブローチのようだ。と、再びそれらも発光し、今度は光が周囲を包み込んだ。
眩しさに、思わずつぶった目を再び開いた時、さっきまでの墓地は消え失せ、目の前には野原の丘が広がっている。いくつかの春の花が身を寄せ合うようにして咲いていて、そんな花々の固まりがそこここにある。ふと、目をやると、家族と思われる4人組が丘を登ってくるのが見える。
「おとーさん、まだ着かないのー?」
「うん。もう少しだよ。頑張れ。」
「もうぼくつかれたー!おんぶかだっこして」
「アベル!とうさんはもう少しだっていってるだろ!がまんしろよ」
「・・・だってだって、もうつかれたんだもん!あるけないよー」
うわーん、と弟の方が泣き始める。兄の方もそれにたいして怒って「うるさい!」と叫び始める。
「ふたりともケンカしないの。カイン、弟には優しくしてあげて。アベル、男の子はむやみに泣くもんじゃありません。ほら、仲直りして」
母親が兄弟の髪を撫でながらとりなすと、兄弟は仲直りのしるしに握手をする。そうして、手を持ち替えると、兄は弟の手を引いて歩き始める。そして、反対の手で、兄は父と、弟は母と手をつないで、家族は再び丘を登り始めた。
ふっ、と光は消えた。そして俺は元の場所に立っていた。
「これで、彼らはやっと逝けたでしょう。まあ、カイン以外の3人は、既に亡くなっていて彼を一緒に待っていたのですが」
独り言のように呟く少女の手にはまだブローチが握られている。
「じゃ、これはもういらないから、返しといてくれる?サリー」
「かしこまりました」
神官は
「これで、あたしの仕事はおしまいだから。女神にもそう伝えといてね」
「……本当に行ってしまわれるおつもりですか?おひいさま」
「決まってるじゃない。そういう、いらない質問はしないでって言ったでしょ」
「申し訳ございません。…それでは」
というと、サリエルは静かに目を閉じる。すると彼女の頭の上に光の輪のようなものが浮かび、次に目を開けたときにはその瞳はまるで満月のように淡く灰色に光っていた。
俺は彼女から発されるプレッシャーに驚きつつも、少女を案じてそちらを見るが、全く動じていない様子で、
「あら、あなたが直接いらっしゃるなんて。二人の門出を祝ってくださるのかしら?」
挑発的にそんな言葉まで投げかける。
サリエルが口を開く。先ほどまでとは声色まで違い、間近で大きな太鼓を叩かれているように心臓に響き、足元の地面まで揺れているような衝撃を感じる。
「…邪神を連れて、世界を壊しにでも行くのかい?」
「ふふふ。それもいいかもしれませんわ。この世は気に食わないことが多すぎる」
「お前が望むのならそうすればいい。もはや私にもどうすることも出来ないのだから」
少女はその言葉につまらなそうな顔をして、鼻を鳴らす。
「我々の間には冗談も成立しないようですわね。とにかく、あたしは行きます。あとのことは良しなに」
「……仕方ないでしょう。任せておきなさい。それと、あなたに持たせたいものがあります」
声が「これを」と言うと、サリエルの懐中から、何か、輪っかのようなものが出てくる。それは少女の手元までフヨフヨと空中を漂い、その手に収まった。
「……はなむけにしてはイマイチ地味ではありますが、ありがたくいただいて行きますわ」
少女はそれだけ言うと、俺の方へ向き直る。
「別れの挨拶も済んだことだし!行きましょう。新しい世界へ!」
彼女の声と共に風が巻き起こる。その風は今までのものより疾く、力強い。ビュオウという大音量と砂煙に巻き込まれながら、俺は少女が「さよなら、おかあさま」と呟くのを聞いたような気がした。
風がやんだ後、あとには薄ら寂しい墓場と神官だけがその場に残されていた。
女王、もしくは女神の部屋で。部屋の主はぴくりと体を震わせた。
「!女王様、ご無事で。」
側に仕える兵士長が声をかけると、手を挙げてそれをおしとどめる。
「ああ、あの子はもう行ってしまいました」
「…左様にございますか。間に合いませんでしたか」
悔しそうに顔をゆがめる部下に、女王は優しく声をかける。
「いいえ、間に合ったわ。あなたたちのおかげで。ありがとう」
「…もったいないお言葉でございます」
「…ミカ。あなたが納得できないのも分かるけれど、こうするしかありませんでした。今はあの子たちを信じましょう」
女王は一つ、ふぅと息をつく。そして、夜空を見上げる。
「ひとつ、お願いできる?私と一緒に祈ってほしい。あの子の旅立ちに」
「・・・。はい」
「────不肖の御子よ。そなたの旅路に、どうか出会いの多からんことを。」
「────アーメン。」
女神の祈りは、星の煌めく夜空に融けていく。星の光が、彼らの往く道を照らしてくれることを願うように。
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