微熱

 四人で海に行って、まだ日も経たない頃、俺たちは例のごとく夜遅くまで飲んでいた。どんな会話をしていたのかは忘れたが、その日は俺も浴びるほど飲んでいたので、久々に悪い酔い方をしていた。


 目を覚ますと、深夜の二時だった。


 頭痛がする。数秒ほど考えて、ここがアパートの自分の部屋だということに気がついた。その時点ではまだ、物事の分別や人の判別ははっきりしていたと思う。

 床の上で横たわるように、渡来さんが眠っている。ベッドでは背を向けるように藤崎さんが寝転んでいて、三船先輩の姿はどこにもない。玄関に行くと靴がなかったので、俺より先に外に出たのだろうと思った。


 果たして、扉を開けると、すぐそこの廊下で三船先輩を見つけた。彼女は目の前の柵に肘をつけるようにして、煙草をくゆらせていた。


「あれ、起こしちゃった?」

 

 近づくと、そんな当たり障りのないことを言われた。そして手の甲で頬を触られる。


「めちゃくちゃ酔ってるじゃん」

「くらくらします」

「寝てた方がいいって。ほら、」


 煙草の火を消し、三船先輩は俺の背中を押してそのまま部屋に戻そうとした。俺と話したくないのだろうか——しかしそんなことを思うと、居ても立っても居られなくなって、彼女の手首を強引に掴んでしまう。


「高野くん? んっ……」


 腰に手を回し、唇を奪う。驚いて固まってしまっていた彼女だが、下唇を軽く啄むと自然とそれを受け入れ始めた。彼女からも求めるような仕草があったので、俺はそれに応える。

 体を密着させ、空いている手を絡め、淫らな音を鳴らしながらその息遣いを聞いた。だが、自分の舌を続けざま押しつけようとしたところで、彼女の動きが止まった。


「ここまでにしよ」


 そっと、肩に両手を置かれた。


「今は……ね?」


 名残惜しくも中断するしかなかった。なぜなら部屋の中には俺たち以外にも二人の友人がいたからだ。まさか彼らの目の前でセックスをするなんて、そんなわけにもいかないだろう。


「すみません。頭、冷やしてきます」


 言いながら、俺は部屋の中に戻った。

 横になり、しばらくすると三船先輩が戻ってくる足音が聞こえた。「寝てる?」と耳元で囁かれ、どうしていいかわからなかった俺は、反射的に寝たふりをした。僅かな間の後に、「さっきはごめんね」と声がする。

 それきり彼女は言葉を発しなかった。寝てしまったのだろうかと思った。起き上がって確認するが、暗くてよく見えない。

 確か彼女は藤崎さんと一緒にベッドの上で寝ていたはずだ。他の二人を起こさないようにゆっくりと近づいてみる。ふいに空の缶ビールを倒してしまい、焦りを覚えたが、すぐにそんなことはどうでもよくなった。

 ベッドで寝ている彼女の上に跨る。無言で覆い被さり、ショートパンツの中に手を忍ばせると、反応があった。


「……えっと……たかの、くん……?」


 股の間に滑り込ませた手に、ふさふさと毛の感触があった。さらにその奥にある、柔らかで温かな部分を、何度か指でなぞった。彼女の魅惑的な脚が、腰と連動するようにもじもじと動く。


「ちょっと、なにやってっ……」


 そこで、自分が何をされているのか気づいたのだろう。微睡んだ目から一転、彼女はあらん限りの力で俺を押し退けた。


「待って。だめだって、こんなこと」


 だが、止めることはできなかった。むしろ、そこまで嫌がる必要はないではないかと、俺は彼女の言動を不思議に思う。

 きっかけはこちらからだったかもしれない。しかしそれに応えたのは彼女の方だし、生殺しにでもするかのように途中で放置したのも彼女の方だ。このままお預けを食らうなんてのはあんまりだと思った。

 半ば開き直ったような暴論だが、このときの俺にはそれが正しく思えたのも事実で。だからこそかろうじて自制していた心が、簡単に欲に押し潰される。

 

 そこからの記憶は、酷く断片的だった。


 流れでショートパンツやら下着を脱がそうとして、彼女に抵抗されたような感じだった。そのため途中までしか脱がすことができず、半裸の状態で事に及んだことを覚えている。

 俺は何か言いたげな彼女の唇を塞ぎながら、ベッドが軋む音を聞いた。息を吐くだけで汗をかくような朦朧とした夜だった。肌と肌が擦れると、重なり合って滑るのとは違う、吸盤に押しつけられたような感覚がある。お互いの汗と汗が、粘っこく混じり合っていたのだ。

 息を潜めても、そのせいで意図してない音が部屋中に響いてしまうので、もはや潜めている意味すらなかったのかもしれない。ただバレていなければいいと思った。バレていなければいいと。


 そうして、いつしか、彼女からの抵抗がなくなっていることに気がついた。あるのは荒れた息遣いと、最後までシてしまったという事実だけだった。

 どれくらいの時間そうしていたのかはわからないが、俺はたぶん、気が済むまで彼女とセックスをしたのだと思う。



※ ※ ※ ※

 


 薄っすらと目を開けると、朝だった。眉間に皺を寄せ、億劫ながらも上体を起こさせる。すると目の前に見えたのは、壁とベッドだった。

 どうやら、俺は机にでも突っ伏するみたいに、ベッドの端を枕にして眠っていたらしい。ずっと同じ体勢で寝ていたからか、肩や首が物凄く痛い。頭痛もまだある。

 揺れる頭で状況を整理しながら、ふと隣を見てみる。そこには、先程の俺と同じようにしてベッドで突っ伏する、三船先輩がいた。ただ一つ違うところを挙げるとするなら、彼女は左の頬の方を下にして、俺のことをじっと見つめていた。


「おはよ」

 

 顔に垂れたその毛先が、右の頬を通って唇に触れている。まるで髪を食べているみたいだと感じたが、浴びた朝日とその整った顔ぶりを考えれば、とても絵になっていた。

 数秒ほどそんな時間が続く。一先ず何か言わなくてはならないと思い、俺は口を開けた。


「おはようございま——」


 しかし言いかけて、尋常じゃない吐き気を覚えた。堪らずトイレへ駆け込み、腹の中身をぶち撒けた。

 しばらくして呼吸は整ったものの、体の倦怠感は一向におさまらない。


「二日酔いか」

 

 最悪だと思った。二日酔いなんて、好奇心で死ぬまで飲み続けて本当に死にかけた高三の春以来だ。

 俺はトイレから出ると、行き先も定まらないまま部屋の中央に戻る。そのときにはもう三船先輩は体勢を変えており、回る扇風機に向かって「あー」と無意味な声を出し続けていた。


「二人なら帰ったよ」


 風を浴びながら、三船先輩は目を細めるようにして言った。よれたTシャツの襟ぐりから、黒色のブラジャーの紐が垣間見えている。よれすぎて、わざと肩を出しているみたいだった。

 缶ビール、スナック菓子、コンビニで買ったにぎり寿司は、見渡す限りない。彼女の言葉通り、渡来さんと藤崎さんが帰る前に片付けていったのだろう。片付けてもらって有り難くはあるのだが、先に帰るのなら声はかけて欲しかった。


 自分が寝ていたのだからしょうがないと思いつつ、そんなことより——と俺は昨日の夜のことを思い出す。言い方を変えればほんの数時間前のことだった。

 冷静に考えると、酔っていたとはいえ、三船先輩には悪いことをしてしまったと思う。表情にこそ出してはいないものの、不快には思っただろう。気まずくはあるが、俺は昨日の夜のことを三船先輩に素直に謝ることにした。


「昨日はすみません。……怒って、ますよね」

「んー?」ぺたんと地べたに座った状態のまま、三船先輩が振り向く。「別に怒ってないけど。気にしすぎだよ、高野くん」

 そう微笑みかけられるも、俺は首を振った。「いや。嫌がってるのに、無理やり迫ったのは俺なんで」

「我慢してくれてたじゃん」

「でも結局、最後まですることになったので」

「なんの話?」


 そこで、話に食い違いが生じたようだった。

 彼女こそ何の話をしているのだろう。昨日の夜、俺たちは間違いなくこの場所でセックスをした。


「もしかして、夢でも見てた?」三船先輩はそんなことを言う。


 夢、だったのだろうか。そんなはずはない。


「今なら時間あるけど……どうする? 続き、する?」


 二人もいないし、とマッサージのノリで軽く言われるが、思考が追いつかずそれどころではなかった。

 あの記憶が夢だったなんてどうしても思えない。話を聞く限りだと、三船先輩の記憶は俺とキスしたところで終わっているようだった。それならば寝ぼけていて、記憶が曖昧だったと仮定すれば説明がつく。

 そう思いたかった。もし仮に、三船先輩の言っていることが正しかったとして、あるいは俺の言いたいことにも間違いがないのだと断言できるとしたら、俺はあの夜、三船先輩以外の誰かとセックスをしたことになる。


 あの場にいた女性は、三船先輩以外に、一人しかいない。


「まさかな」

 

 信じがたいことではあるけれど、考えれば考えるほど、そうではないかと思うようになってしまった。

 頭が真っ白になる。血の気が引いていくようだった。改めて三船先輩に真意を問いたかったが、怖くて訊けなかった。

 聞こえるはずのない誰かの嬌声が聞こえてきて、俺は頭にチラつく女の裸体を振り払うと共に耳を塞いだ。


 何かの勘違いであって欲しかった。しかしそういうわけにもいかないのだろう。この推測が正しければ、俺はとんでもない過ちを犯したことになるのだから。

 

 

 

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