アパートと大学生
それからだった。特に示し合わせたわけではないのだけれど、あのとき居酒屋で飲んだ顔馴染みになったばかりの四人で、夜、たびたびどこかで集まることが増えていた。それは別に連絡を取り合ってまた会おうといった感じでもなく、渡来さんが俺を飲みに誘うときにはたいてい藤崎さんもいて、そういう日に限ってなぜか、俺は三船先輩と飲んでいた。
最初のうちはたまたま居合わせたからとか、そんな白々しい理由で卓を囲んでいただけだったと思うが、途中からそれが当たり前みたいな空気になっていた。場所は決まって居酒屋で、長引くと深夜のファミレスや、ときたま俺のアパートの部屋に行くことがある。あまり気乗りはしなかったが、全部が消去法で決まったことだった。つまり、俺の家がいちばん融通が利く、ということだ。
断ることはもちろんできた。それをしなかったのは、そこまでこの状況を、自分が悪い風に思っていなかったからだった。
友達の愚痴、駅の改装工事、大学の授業、犬派と猫派、およそ賢明と呼べるほど真っ当な話もなく、話題は様々だった。大して聞きたいこともないのに、酒を飲みながら空っぽの頭で語り合って、次の日には結局すべて忘れてしまっている。
やっていることは以前と変わらなかった。渡来さんと飲むことは以前からあったことだし、三船先輩ともそれ以上のことをこのアパートで何度もした。そこに渡来さんの彼女である藤崎さんが加わっただけで、自分の人生が何か劇的に好転するなどということはなかった。
以前より、ちょっと騒がしくなっただけ。
たったそれだけの光景を、俺はどこか俯瞰するように眺めている。缶ビールを揺らしながら視線を下に置いていると、真剣に手元を見つめていた三船先輩が、チャミスルの蓋をこちらに差し出してきた。
「次、高野くんの番」
はっとした。ささくれ立ったチャミスルの蓋を受け取り、俺は今自分が彼らとゲームをしていたのだということを思い出した。
棒状にしたキャップリングを、誰が一番に指で弾き飛ばせるのか、というとても簡易的なゲームだった。「フタ打ち」と言うらしい。勝った人の両隣は、罰としてお酒を一気飲みする。
コン、という控えめな金属音が、そのときテーブルの上で鳴った。俺が弾いたキャップリングは、見事にテーブルの方へと飛んでいった。
「まじか」と渡来さんが言った。すでにいい感じに酔ってきている。「この場合は……そうだなぁ、おれと、三船ちゃんか」
もう慣れたことではあるのだが、関わり始めて二週間ほど経った頃から、渡来さんは三船先輩をそういう呼び方で呼ぶようになった。彼女である藤崎さんのことは、苗字の後ろを取って「さきちゃん」と呼んでいる。
誰とでも壁がなくて、相変わらずノリの軽い人だと思った。俺はそうはできない。
「これで七杯目だぁ」
そう言って、三船先輩はテーブルの上に並べられているクライナーを、一本だけぐいっと飲んだ。まだそれなりに余裕そうだったが、渡来さんの方は500mlのストロング缶を並行して飲んでいるので、しばらくすればまた潰れてしまうだろう。
「水、持ってくるね」心配した藤崎さんが、すっと静やかに立ち上がる。「たかのくん。冷蔵庫、勝手に開けちゃっていいかな?」
「全然いいですよ。まだ二本くらい、中に残ってるはずですから」
「ありがと」
その二本は、藤崎さんによって渡来さんと三船先輩に渡された。テーブルを挟んでベッド側に、年上の女性が二人。自分の右隣には、酒の臭いを漂わす二つ上の同級生がいる。男臭いはずだった自分の部屋が、どこか甘い香りで満たされていたのは、間違いなく彼女たち二人のおかげだった。ときおりそれが感じられなくなるのは、むろん渡来さんのせいだ。
「もう七月も終わるのか」渡来さんが口を開いた。「夏休み、何するよ」
「たかのくんは、去年、何してたの?」藤崎さんが微笑みかけてくる。
「去年、ですか?」バイト漬けだったということ以外、記憶がない。
「渡来くんは、浪人生してたんだよね」
「まあ、二年もしてれば、受験の方は楽に合格できたんだけどな」
「て言いながら、かなりほっとしてましたけど」
俺が暴露すると、ちょ、言うなって、と渡来さんが慌てる。それを見て、藤崎さんが口元に手を当てて笑っている。
浪人してまで今の大学に行きたかったのかは甚だ疑問だが、あながち、自分のプライドが許さなかったとかそんな理由だろう。俺は勉強以外にすることがなかったので、その辺に関してはあまり苦労した記憶がなかった。
「去年のこの時期ってさ」すると、三船先輩が俺の心を見透かしたように言う。「ちょうど、高野くんがまねきねこに来たときだよね」
「あ」俺は思い出す。「そういえばそうでしたね」
「懐かしいなあ、少年」
「その呼び方、やめてくださいよ」
テーブルの横で三船先輩は足を伸ばしていたらしく、なんでよ、と俺の足元をつま先でつついてくる。恥ずかしいので、と負けじとつつき返すが、変わらず、今でも、彼女は俺のことを年下扱いしているらしかった。
これら一切の行動は他二人には気づかれていなかったようだが、俺と三船先輩がバイト先で知り合ったということは、以前にも彼らに伝えていたことだった。だからそんなにも仲が良いのか、と渡来さんがいつだったか納得していたことを覚えている。大学の先輩と後輩と言えど、それだけでは毎日のように飲む俺たちの関係に、説明がつかなかったのだ。
実際は他にも理由があるのだが。
「ていうか、渡来さん、試験とか大丈夫なんですか」次は、俺が渡来さんの心を見透かしたように言っている。「夏休み、とか言う前に、レポート諸々、まったく終わってませんけど」
げっ、と渡来さんが潰れたカエルのような声を上げた。これは、完璧に忘れていたときの人間の顔だ。
「ま、なんとかなるだろ……」
「困ったら、さきちゃんに頼めばいいんだよ」扇風機の風に当てられながら、三船先輩は体育座りのような座り方をして、膝に顎を乗せている。「レポートでも試験勉強でも、一応、一学年、上なわけだし」
「そうですね。一応、渡来さんの、彼女なわけですから」
俺が同調すると、藤崎さんは困ったように笑った。
「荷が重いなぁ」
それでもどこか、まんざらでもなさそうな顔をしていた。
「で、それらを踏まえた上になると。結局、夏休みはどうすることになるんだろう」三船先輩が間を置いた後で訊いた。話は先程の話題へと遡る。
「そうだなぁ、無事に試験を乗り越えられたらだけど」渡来さんが物々しく腕を組む。「どこか行きたいな」
「どこかって、どこですか」俺は言った。
「そりゃあ、海とか、山とか、川だよ」
「海とか、山とか、川。はあ」
「夏と言ったら、バーベキューが相場だろ」
そうなのか、と一度は否定しようとしたが、もしかすると本当に、そうなのかもしれない。
「何か予定でもあるの?」
考え込む俺に、三船先輩が口角を持ち上げるだけの軽い笑みで訊いてきた。予定、と問われて、もちろん、セックスとは言えなかった。
そもそも彼女は、俺がどうしようもなく自堕落で曖昧な日々を送っていることを、知っているはずだった。決まりきった予定などない。それをわかった上でこの問いを投げかけてきているのなら、相当、意地が悪い——。
「特に、予定とかはないです」
「なら、決まりだな」渡来さんが張り切るように言った。俺以外の三人は、予定云々、最初からこの件に関しては乗り気だったらしい。夏休みに何をするのか、という話題で盛り上がりながら、何度目かの乾杯を交わしている。
自分も控えめに缶を掲げながら、七月の最後を、何食わぬ顔で乗り切ることにした。
「バーベキューって、鹿とか焼くんですかね」
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