誘い

 爛れた毎日だった。

 

 桐沢さんの死から、まるで箍が外れたみたいに多くの女性と関係を持つようになった。理由はなかった。強いて言うならば、それが今の自分にとってのいちばんの精神安定剤だったからだ。あるいはこの「複雑な侘しさ」を埋めるための。

 とはいえ、その侘しさが埋まった実感など未だ一つとしてなかった。だいたいは飲み会や知り合いの集まりなどで出会った女性らで、関係が長く続くことはほとんどなかったし、お互いに続けるつもりもなかったからか一夜で終わってしまうことがざらだった。そのせいで「最近は付き合いが良い」と大学の友人に言われることもあったが——異性との関係を持つために、そういったコミュニティに積極的に顔を出していたためだろう——彼らの記憶に自分が残ることはたぶん一生ないだろうとも思っていた。こちらにしてもそれは同じで、気を抜けば、ノリだけで飲み明かした友人やベッドの上でただじゃれあった・・・・・・だけのあのときの女の子のことなど、すぐに忘れてしまいそうになった。


 でもそれでいい。一年後、あるいは数ヶ月後まで自分がこの生活を続けているかはわからない、「そう言えばあんなやつもいたよな」だなんて曖昧な記憶のままとどめてくれていた方が、自分としてはそれなりに気が楽だった。

 そういうこともあり、以前にもまして将来性のない生き方をしているわけだが——あの頃、自分がもっとも毛嫌いしていたような人種に自身が成り果ててしまっているわけだが、そこから引き返すつもりも最早なく、それを自覚したときには、いつの間にか季節も変わり梅雨が明けていた。


「少し痩せた?」


 三船先輩が、肩を寄せ合うようにして訊いてきた。俺は自分の体を見ながら、そうだろうかと首を傾げる。


「あんまりわからないです」


 以前より痩せたと言うのなら、それはたぶん病気の影響だろうと思った。しかし慢性的な気怠さはあろうとも、血便は診断を受けた次の日にはぱたりと治まり、体に異常が出ることもあれからなかった。

 

 本当に、自分はこれから死んでしまうのだろうか。


 疑っているわけではないが、いつ訪れるかもわからないその最期には、一抹の怖さがあった。三船先輩は何もない真っ新な壁を遠目に眺めている。


「暑いねぇ、今年の夏は」


 東京の蝉の音は、雑でうるさい。

 エアコンのないこの部屋には、入り混じった街の雑音や、生ぬるい夏風がたびたび入り込んでくる。そういう何でもない日にセックスをすると、平日にピクニックをするような浮ついた背徳感を覚えた。


 もはやセックスをすることには慣れており、平然と裸で部屋をうろつくことすら厭わなかった。今もベッドの上で二人して座り込み、服を着ないままだらだらと喋り続けている。


 大学生の日常とはこんなものだろうか、と俺は思うが、怠惰すぎるあまりに同年代の若者には軽蔑されそうだった。しかしどう否定されようともこの行為を止めることは自分にはできない。


「ん、飲む……?」


 三船先輩から渡されたペットボトルを、俺は「あ、いいですか」と言って口につける。飲みながら視線を向けると、彼女の首筋にしたたる汗が、そのまま胸の谷間へと消えていくのが見えた。

 先程まで体を重ねていたのに、時間が空くとまた彼女の肌に触れたくなる。そう思うことはとくだん珍しくはなくて、最近は馬鹿みたいにセックスして、気づけば一日が終わってしまうことがある。

 

 今日も、漠然とそうなるのだろうと思っていた。

 

 ティファニーのネックレスから、視線を彼女の胸の方に移す。その白い肌には青い静脈の筋が透けていて、手のひらを乗せると、まるでぬかるみに足を取られたみたいに沈んでゆく。


「したいの?」と彼女が言った。


 言葉の代わりに、俺は目の前の唇にキスをすることで答えた。抵抗はなく、啄むような接吻が繰り返される。この流れで彼女を押し倒そうと思ったが、しかし、ちょうどそのとき携帯の通知音が鳴った。


 水を刺されたような気分だった。それも一度ではなく、三度ほど鳴っていたので、反応せずに無視を決め込むことができなかった。「すみません」と言って俺は三船先輩から離れる。


 その通知は、渡来さんからだった。


 どうせまた飲みの誘いやらサボりの言及やらだと察したが、しかし、どうにも今回ばかりは違うようだった。携帯の画面を見ながらベッドに腰かけると、後ろから「なにか考えごと?」と三船先輩が覗き込んできた。


「彼女を紹介したいって、渡来さんが」


 そう返すと、三船先輩は俺の肩に顎を乗せるようにして、しばし間を置いた。


「その人って……前に、高野くんが話してた?」

「はい、二つ上の」

「そっかー」これまた突然だね、と彼女は唸る。

「渡来さんって、たまにこういうところあるんですよ」何の前触れもなく呼び出しを喰らうのは、それこそ、一度や二度のことではない。「でも、正直、行くかどうかは迷ってます。彼女とか紹介されても、やっぱり気まずいだけなんで」

「それなら断っちゃえばいいじゃん」


 三船先輩にはそう言われたが、自分としては断りづらいのが本音だった。それは別に目上だからとかそういうことではなくて、自分が渡来さんの恋愛話を割と意欲的に聞いてしまっていたからだ。飲みの場なのでほとんど聞き流しているような状態ではあったが、渡来さんからしたら良い相談相手になっていたことだろう。

 それを伝えると、三船先輩は「なるほどね」と言ったあとすぐ、思い切ったように声を高くしたのだった。


「だったら、私もついて行こうか」


 へ、と変な声が出る。予想外の言葉に驚きが隠せなかった。


「驚くことじゃないよ。それともなに、このままエッチなことでもしたかった?」


 無防備な俺の背中に、三船先輩が揶揄い交じりに抱きついてくる。「やめてくださいよ」と言っても、「やめなーい」と言ってじゃれて聞かなかった。

 そよ風が吹き込み、窓際のカーテンがぱたぱたと揺れている。俺は三船先輩にされるがままになりながら、今日の夜に行われる渡来さんとの付き合いへ、仕方なく、彼女に同伴してもらうことを決めた。


 

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