メリーゴーランド
瞼を持ち上げると、真夜中にありがちな暗い天井が見えるだけだった。いつの間にか眠ってしまっていたようだが、まだそれほど時間は経っていないように思える。
しかし隣にいたはずの彼女の姿はなかった。そこだけがひどく空っぽで、微かな匂いと、彼女の甘い温もりだけが湿気たシーツに染みついている。
もう帰ってしまったのだろうか、と思ったが、部屋の隅にはまだ彼女の鞄があって、時計を見れば、始発まであと三十分ほど時間があることがわかった。もしかしたら外の空気でも吸いにいったのかもしれない。
俺はまた天井を見上げた。
ぐるぐると回る天井は、まるでメリーゴーランドだった。アルコールが入ったみたいに天井も頭もぐるぐると回り、ゆっくりゆっくり、その深みにハマっていくような。
それと同時に、本当にあの人としてしまったのだ、という妙な高揚感に胸を締めつけられていた。まるで現実味を帯びていないそれは、しかし正真正銘自分の身に起こった真実で、瞼の裏には今もなお先ほどの光景がはっきりと浮かび上がっている。
少し高い彼女の声が、影に
隣室に音が響かないよう声に配慮したことも、下半身が擦れるたび恥ずかしさが減っていったことも、けれどふとした瞬間にまた顔を背けたくなって照れてしまったことも、本来であれば子供っぽくて笑ってしまうことではあるのだろうが、なぜだかそれらは特別に感じられた。
寝返りを打つようにして横を向く。
彼女の匂いが、まだそこに残っているような気がした。
布団を剥いで立ち上がり、俺は床に落としてそのままだった服を着始めた。思わず声が出そうになるくらい、部屋の中が肌寒かったからだ。
彼女が電気ストーブを消していったのだろうか。テーブルに残された食べかけのビスケットと空の缶ビールを見つめ、その気配を追いかけるように俺は外へ出た。
冬の冷気に喉が締めつけられ、ふと見上げた仄暗い夜空に、孤独のような切なさを覚えた。彼女がどこへ向かったかは知らないが、自然と足はアパートの階段を降り、寝静まった住宅街をひた歩いている。
ばちばちとほとばしる壊れかけの街灯を通り過ぎ、夜中でも明かりを灯す自動販売機の横で数分立ち止まった。そして歩くまもなく、近所の公園でぼうっと夜空を眺める人影を見た。
三船先輩だった。
彼女は誰もいない公園の隅っこで、煙草を一本、寂しそうに吸っていた。その風貌には似つかわしくない苦そうな煙が、さっきまで交わっていたはずのその唇から吐き出されている。彼女も煙草を吸うんだなと、驚きはしたが、それだけだった。
俺は思い出したかのようにそこへ近づいていった。三船先輩がはたと動きを止め、こちらを見た。
「寝ててよかったのに」
一瞬、煙草を隠そうとしたが、手遅れだと気づいたのか、彼女はそのまま笑いかけてきた。
「なんだか眠れなくって」
「私も」
そのとき彼女の唇から漏れた白い吐息が、煙草の煙なのか冬の冷気なのか、わからなかった。
「寒くないですか」と俺は訊いた。
「寒いよ」と彼女は言う。
「戻りますか。部屋に」
「ううん。もうちょっとだけ、ここにいさせて」
そう言って首を振った彼女は、どこか遠い目をしていた。そのせいで、近づいていたはずの距離が、また遠くなったような気になった。
「普段は、こういうことしないんだよ」と彼女が言った。その意味を理解するまでに、おおよそ三秒は時間がかかった。
「こういうこと、ですか」
「うん。今日は本当に、そういう気分だっただけなの。だからって、誰でもよかったわけじゃないけどね」
そこでまた、俺は彼女とのセックスを思い浮かべている。寒いからお互いの肌を温め合いましょう、というように、その行為はやけに自然に感じられた。
ただ、今日の出来事をすべて、気分や成り行きによるものだと片づけてしまうことが、俺は、どうしようもなく悲しかった。そうなれば今自分の抱えているこのやり場のない感情は、いったいどこへ行ってしまうのだろうか。
わからないからこそ、この一度きりでは終わらせたくなかったのだと思った。
「これで最後になりますか」
気づけば俺は、そんなことを口走っている。
ドッ、ドッ、ドッ、と壮大な排気音を響かせながら、公園の横を一台のバイクが通り過ぎた。
煙草一つで何かが変わるわけじゃない。自分が放った一言で、何かが変わってしまうなんてこともそうそうない。それでも、今日のこの夜の出来事を、俺はたぶん死ぬまで一生忘れることができない。
それはまさしく、変化の一つがここにあったからだ。待ち焦がれていたはずの、些細な変化の一つが。
「まあ、気が向けば」
三船先輩は意味深に微笑むと、俺のそばまで数歩ほどの距離を歩いて近寄ってきた。
そして揶揄うように声を潜ませると、耳元に向かって、小さく背伸びをして言っていた。
「またしようね」
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