寄道・変人だらけのヴェリタス

「そろそろはっきりさせようぜレア!」

「いいとも! そろそろ泥水の臭いに耐えるのも飽きて来た頃さ!」


 ローラスが探偵事務所の一員となる少し前。ディギタスとグレシアの激しい声が探偵事務所に響いていた。

 ソファーで剣を磨きながら、紅茶を愉しんでいたアリアの視線が二人に向く。

 執務机を挟んで二人、どちらも前のめりになり、唾を浴びせ合っているのはこの場所ではよくある光景だ。

 ただ、止めない訳にも行かない。


「どうしたんですか二人して。騒がしいですよ」


 処刑人の剣を鞘に納め、アリアは二人の下に歩く。

 いつも通りの片付いた執務机の上は、少し見慣れぬ状況だ。見覚えがあるのはティーカップとソーサーが二杯。目に慣れないのはその配置だ。

 グレシアは好んで紅茶を飲み、ディギタスはコーヒーが好みだ。

 だと言うのにグレシアの方にはコーヒーが。そしてディギタスの方には、紅茶が注がれている。珍しい配置だ。時折それぞれの勧めで飲むこともあるが、好んで飲むのは逆である。


「こいつがまた勧めて来たんだがもう限界だ! なんで俺がこんな泥水を飲まねぇとならねぇ!!!」

「泥水はどっちだいディグ。至高なる我らが紅茶と、その下品な汚水を一緒にしないで欲しいね」

「何だお前……。こいつが聞いてきたから答えただけだろうが」

「その説明が公正さに欠けると思ったからこそ口を挟んだまでさ」

「あぁ……」


 そのやり取りだけでアリアは理解する。

 この探偵事務所に属する人間の好みは、丁度二分されている。その上、グレシアとディギタスにおいては完全に好みが真逆であるのだ。

 そのカテゴリは色々だが、今回は嗜好品に関してだろう。

 グレシア・ユーフォルビアは紅茶を好み、煙草を嫌う。まだ適齢でないこともそうだが、酒を嫌悪しているし賭博に対しても厳しい。

 ディギタス・ラナトシドは反してコーヒーをよく飲む上、超が付く程のヘビースモーカーだ。酒に関しても浴びるように飲むし、定期的にトトカルチョを愉しんでいる。

 育てられた者と、育てた者。引き取ったのは六年前と聞いているから、八年もの間共に過ごしたとは思えない程、好みが違うのだこの二人は。

 その争いが、度々この場所でも起こっている。


「またですか? その論争、この前もやってませんでした?」

「やったね。やったさ、つい一か月前だ。その時も君は我らが王国人の誇りを侮辱したな」

「なぁにが王国人の誇りだ保守的な頑固野郎。そんなにこの臭い草の煮汁が好きか」

「何だと……」

「お前こそ……」

「まぁまぁお二人とも……」


 アリアは二人を引き剥がす。

 この至極不毛な争いは定期的に行われている。ただ、毎回毎回勝負は決まらず引き分けに終わるのだ。

 因みにアリア自身は、どちらかと言えば紅茶派ではあるが、コーヒーも好んでいる。つまり中立派である。


「今回はしっかり、勝敗を決めたらどうです?」

「毎度毎度それが出来れば苦労しないよ」

「すぐ詭弁で煙に巻くからなこのガキは」


 毎回毎回アリアは面倒で放置しているが、言い合いになればグレシアが勝つと思いきやそうではないようで、善戦をしては結局それぞれ飲みたいものを飲むという結論に至っている。

 それなのに何故、この話は度々再燃するのか。


「そもそも今回は何故です? 今日の火種は?」

「こいつが俺が貰って来た豆全部捨てやがったんだ。あれ高かったんだぞ!? 所長から貰ったコーフェ・コート!」

「残念ながら私も得意先からルシャール・フレールを貰ってね。王室御用達の高級茶葉だ。あの汚い糞便を置くぐらいなら、茶葉を置いた方が清潔ってもんだろう」

「雑草よりかはマシだろ。それに、あれはあれで独特な香りがある高級品なんだよ……」

「猫の糞が高級品? 紅茶が雑草? まさか。冗談にしては面白くないね。そんなに糞のコーヒーが好きなら、今日から君のお手洗いだけは別にしておいてあげよう。後で回収するからね」

「ハッ。お前こそ食材全部雑草に置き換えておいてやろうか? それとも今後は俺が淹れてやるよ。ティーカップじゃなくて、海にな」

「それはどうもありがとう。ただ君には後で紅茶の淹れ方を懇切丁寧に教えてあげようか? どうやら茶の淹れ方すら知らないみたいだからね」

「……」

「……」

「はぁ……この二人は」


 喧嘩する程仲がいい。とは言うが、この二人は仲が良すぎる。

 アリアは頭を掻きながら二人の論争を眺める。この二人は滅多に喧嘩をしないが、一度炎が燃え上がると中々にその炎が消える事は無い。しかしその感情を、仕事には決して持ち込まないのが二人の見習いたいところではあるが。

 ただそこで、妙案を思い付いた。


「あの、お二人とも」

「ん?」

「あ?」

「だったら、私たち第三者の多数決で決めません?」


 二人の眼の色が、怒りから困惑に変わった。




 ◆~~~~~◆




「さて集まりたるは我らがヴェリタス探偵事務所の仲間たち!!」

「仲間じゃないです。というか、何なんですか急に呼び立てて」


 ヘデラ・ヘリックスが少しだけ、不機嫌な様子で零した。

 応接室のレイアウトを大きく変え、今この部屋の中には計五人もの人間がいる。

 部屋の最奥、執務机の向こうには二つの椅子。座るのはディギタスとグレシアだ。その向かい、入り口付近に座すのが残りの三人。入口から見て右端がアリア・シャルル。中央がヘデラ・ヘリックス。

 そして左端に座すは、未だローラスとは邂逅していない人物だ。


「何故わたくしがここに……」

「いいじゃないですか。レイさんは繁忙期で手が離せないですし」

「良くないですよ。今日も――――」


 グレシアは探偵業務に行うにおいて、幾つかの組織を業務提携先としている。

 警察組織に色街一の娼館や、このクインテッドで最後に生き残ったもう一人の私立探偵。そして彼女は、それらの内の一つ。


「――――ウォレリアナ先生のお世話が残っていますので」


 狂人。その言葉が一番似合う男とはその者のこと。このブレタリア王国一の発明家にして、発明以外に一切の興味を見出さない精神異常者、ウォレリアナ博士。の、助手にして用心棒にして世話係。

 焦げ茶色の髪は全て後頭部で一つに纏められており、横髪は左側だけ長く垂れている。黒く、細い金属フレームの眼鏡の奥には、切れ長の紅梅色の瞳はどこか物憂げだ。


「お互い大変ですね、プラナスさん」

「貴女……血の猟犬ブラッド・ハウンド様でしたっけ。そうですね」


 プラナスとヘデラは、互いに顔を見合わせ溜息を吐いた。奇しくも、二人の口調と低い声は少し似ている。


「この三人に審査してもらうんです」

「成程ね。お前にしてはいい考えじゃないかアリア」

「うるさいですね」 

「当たり強いな」

「私たちが紅茶とコーヒー。それぞれの良いところをこの三人にプレゼンし、三人に審査してもらう。って言う事だね?」

「流石グレシアさん。その通りです」

「当たり優しいな。そう言えば、このメンバーはどっち派なんだ?」


 審査員席の三人は静かに答える。

 紅茶とコーヒー。どちらかを決めるこのディベートで、審査員が全員紅茶、もしくはコーヒーを好んでいれば意味が無い。


「私は勿論、紅茶派です!」

「私はどちらかと言うとコーヒーをよく飲みますね」

わたくしは……水ですね。先生が匂いのある液体を嫌うので、わたくしも専ら」

「紅茶、コーヒー、水それぞれ一か。ちょうどいい具合だな」


 そうして早速、紅茶とコーヒー。どちらが上かを決めるディベート大会が始まる。

 公平を期す為にアリアがブルト硬貨を投げる。表面、かつての偉人の肖像が出ればグレシアが先先攻。そして裏面、国樹のクエルクスの紋章が出ればディギタスの先攻だ。

 宙を舞う硬貨は静かに回る。

 手の甲に落ちた硬貨の上に描かれていたのは、雄々しく生えるクエルクスだった。


「じゃあ俺からだな。コーヒーはな、この近代において最も近代的な飲み物と言っていい。芳醇な苦みと酸味、そして香り。楽しみ方が多いのも面白い点だ。純粋に味や香りを楽しむのもいい。味は産地ごとに違うんだ、好みを探すのもいい。苦すぎるってなら、牛乳や砂糖を入れるのもまぁ……………………………………………………まぁ悪い選択じゃない」

「随分耐えたね」

「俺の好みはブラックだからな。……コーヒーは宝探しにも似ている。自分なりの楽しみ方を探すんだ。俺が言った楽しみ方を沿うのもいい。淹れ方にこだわってみるのもいい。色んな飲み物を足して新たな飲み方を探してみてもいい。毎日の楽しみにしてもいいだろう。そうして自分なりの……――――」


 そうして長々と、コーヒーの具体的な楽しみ方を語っていたディギタスのスピーチが、ようやく終わった。


「以上だ」


 隣席のグレシアと共に、審査席の三人のやる気の無さそうな渇いた拍手が鳴り響く。


「そこまで気にしたことは無かったですね」

「私はまだ紅茶ですよグレシアさん!」

「アピールしなくてもいいよ」

「……わたくしは別に、好みとかは無いので」

「敬語ばっかだな」


 続けて行われるのは、紅茶派代表のグレシアのスピーチだ。

 彼女は立ち上がり、机上の紅茶で喉を濡らした。


「正直この論争は気が向かなくてね。何でかって? 勝ちが分かっている戦い程面白いものは無いじゃないか。この王国で最も伝統的で上品な飲み物、紅茶に勝てる訳が無い。ただ、今ここで歴史や伝統を語っても意味が無いからね、幾つかの楽しみ方を教えてあげよう。淹れ方については基礎中の基礎だ。少し難解だが、これさえ覚えればいつでも美味しい紅茶が飲めるよ。省略してしまうのもまぁ……………………………………………………悪い事じゃない」

「随分耐えたな」

「基本だからね。さっき彼はまるでコーヒーの専売特許かのように言ったが、色々な楽しみ方があるのは紅茶も同じさ。最大の利点は効能。殺菌効果があるから病床で飲むのもいいし、リラックス効果があるから寝る前に飲むのも良い……――――」


 どのような場面で、何故役に立つかを語るグレシアのスピーチが終わる。恭しいカーテシーと共に。

 だが今度の拍手も、やる気が無さそうな渇いたものだ。


「以上だ。紅茶は人生を豊かにする。皆も是非、お試しあれ」


 否。一人だけ、一際激しい拍手がグレシアを包んでた。


「素晴らしいですグレシアさん!!」

「あの審査員贔屓凄くね?」

「それは私も思うね。公平さに欠く」


 席を立ち、残像が見える程の勢いで手を叩いていたアリアが、頬を膨らませながら席に着いた。


「少し飲みたくなりましたね」

わたくしもです。先生に勧めてみるのも悪くないですね。流石にグレシア様、話すのがお上手です」


 かくして、二人のスピーチが終わる。

 審査員席のアリアは除き、嫌々連れてこられた残り二人は渋い顔のままだ。


「さて、お二人の話を聞いた我々が、これからどちらがより飲みたくなったかを発表いた

 します。準備はよろしいですか?」

「えぇ……まぁ」

「出来てます」

「どっちが言ったか分かんねぇなこれ」


 投票の方式は、机上の二杯の内どちらを指差すか。静寂の後、三人は目を瞑る。投票の合図はグレシアが手を叩いた瞬間だ。

 そしてグレシアは、ゆっくりとした動作で手を開き、そして叩いた。


「おっ」

「あぁ……」


 それぞれの指が示したのは、アリアが紅茶。ヘデラがコーヒー。そしてプラナスが――――。


「紅茶かぁ……」

「まぁ知ってたけどね」


 三人目、プラナスが指差したのは既に冷め切った紅茶だった。

 ディギタスが困ったように頭を掻き、グレシアが得意気に胸を張る。かくして紅茶、コーヒーの頂上決戦は、紅茶に輝いたのだ。

 応接室の配置が元に戻り、呼び出された二人はそれぞれ茶葉とコーヒー豆を手土産に探偵事務所を去った。


「残念だったねディグ。私の勝ちさ。いや、偉大なる王国の歴史が勝ちと言った方が正しいかな?」

「えぇ! 流石の勝利ですグレシアさん!」

「……なぁレア」

「ん?」

「負けてから言うのも大人げ無いが、よく考えたらコイツ審査員なのおかしくないか?」


 ディギタスが、グレシアの腕に纏わりついていたアリアを示した。


「……確かに。よく考えたらそうだね」

「え!? え、違います!」

「無効試合にしようか」

「だな」

「えぇー!!」


 二人の合意により、この試合は引き分けとなった。

 しかし、紅茶派とコーヒー派の戦いは終わらない。果たして次の戦は、いつ起こるのだろうか……!

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ゴーストウィードは真実に咲く 朽木真文 @ramuramu

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