2・月夜の比翼
「待て、言うな。俺が当てる」
「ふふっ、いいよ」
コートに手を突っ込みながら微笑むグレシアを片目に、俺はこの事件の情報を整理する。
主要な食材は二つ。
被害者はダン・シーカー。一人暮らしの記者。
二つ目、容疑者は二人。
デイル・ノートック。アリバイは無く唯一の犯行可能な人物だが、第一発見者ということもあり心証はいい。
カート・ガルバート。アリバイが立証された容疑者。加えて、わざわざダンを殺す様な確執があったという事実も無い。
この事実と、既に出た情報を元に脳内で殺害の状況を再現していく。グレシア風に言うならば、下拵えだ。
「じゃあ考えやすいように補助線を引いてあげよう。実はね、手口については然程重要じゃないんだ。動機もね。問題は、誰が出来るか」
「あぁ」
それはつまり、どういうことか。
疑問を口にするよりも、彼女の声の方が早かった。
「兎を殺したのは二匹の狐。一匹は巣に籠っていたと言い、もう一匹は雌と逢引き。さて殺したのはどちらか、となると前者に目が行く」
「デイル・ノートックか?」
アリバイが立証されているカートとは異なり、彼にはアリバイが無い。つまり、第一発見者だというノイズにさえ目を瞑ってしまえば、彼は殺人犯という役に最もふさわしい人物だ。
ただグレシアは、俺の回答に心底不思議そうな表情を浮かべた。
「何故?」
「何故って、もう一人にはアリバイがあんだろ」
「はぁ……そうだね。でもそのアリバイは完全かな?」
「は?」
アリバイはカート、メリル・エレガンツ。そして娼館の女将による三人によって立証された堅牢なものだ。そうそう破れるものではない。
しかし彼女は、言葉と言う破城槌を手に、攻城を止めようとはしない。
「メリル・エレガンツは面白い情報をくれたよね。覚えてる?」
メリルが話したことで、引っ掛かったことと言えば。唯一グレシアが追及した、時間の件だろうか。
「時間か?」
「そう。メリル・エレガンツの下に訪れたカートは、二十三時五十三分頃に訪れ、時計を気にしながら一時半ピッタリに水を零し、決められた時間があるかのように二時十五分にオーキュパイを去った。まるで予め決められていた予定に沿っていたようじゃないかい?」
確かに言われてみれば水を零したのも、娼館を出た時間もまだ偶然だと言える。しかし、時計を気にしていたという事実がそこにあった時、それは果たして偶然だと言い切ることが出来るだろうか。
「そしてもう一つ。リン・ドッグから話を聞いた時、君も違和感を感じた筈だよ?」
「ジョン・ドゥか?」
「正解。
急に登場人物が増えた。カートに加え、リンとジョン・ドゥ。脳内でこれらの人物を列挙しても、何かを思いつくことは無かった。
だがそれも、次のグレシアの言葉を聞くまでの話。
「さて。もしこの三人が繋がっていたら、何が起こると思う?」
「繋がってたら? ……何が起こんだ?」
「……例えばほら、入れ替わっていたら?」
言われてようやく気付く。
そうか、入れ替わっていたら。。
カートのアリバイはメリルと女将によるもの。もし繋がっていたら。そう、例えばカートとジョンが、お互いにお互いの名を名乗っていたとすればどうだろう。
示し合わせたかのように、二人のタイムスケジュールは重なっている。その上、ジョンの方のアリバイも、リンが共犯であれば無効になる。
オーキュパイを訪れたカートの方の行動も、そう考えれば辻褄が合う。水を零したのは、その体験談をカートに語らせることで、アリバイを完全にする為。
同じ時間に訪れ、同じ時間に去った。カートがジョン・ドゥであり、ジョン・ドゥがカートであった場合なら、或いは。
「言ったろ? 手口に関しては問題じゃない。私はこの事件の犯人は、一人による犯行では無いと思ってる。犯人は――――」
正直にアリバイは無いと告げる人間、アリバイをわざわざ協力して作り出す人間。どちらが怪しいか等、火を見るよりも明らかだった。
「――――犯人はカート・ガルバート。リン・ドッグ。そしてプロメの遺児の
月光の銀が、グレシアの飴色に吸い込まれていく。ただ一部だけ、ミルクで染め上げたような彼女の白髪は、寧ろ月光を更に強く反射し、白く輝いていた。
カート、リンの二人の額に汗が浮かぶ。
「どうです?」
「正解だよ。やっぱり凄いな、未解決事件は無しだって?」
「お陰様です。動機はなんです? やっぱり、お二人の恋愛関係ですか。下級院とは言え、市民を代表する議員が、連続殺人を引き起こすプロメの遺児のメンバーで、尚且つ娼婦と愛し合っているなんて、記者にとっては見過ごせない大スクープですものね?」
カートの自宅の洗面所に赴いた際、彼女は二組の歯ブラシを発見していた。一人暮らしの成人男性。歯ブラシが二つある道理など考えずとも分かってしまう。その洗面所の布にリンが吸っていたものと同じ煙草の臭いがしたとなれば尚更だ。
「そこまで知られてたのか」
「えぇ。その場で殺すつもりで赴き、殺人に至ったのでしょう? 密室を作り出すトリックは弄しているのに、殺害方法に関しては憎悪が見え隠れしている。右腕を切り取ったのは、その際熱された紅茶を掛けて火傷したからですか?」
「あぁ」
「やはりそうでしたか。さて、どうしましょう。自首をするというなら、お手伝いします。私は警察組織内では顔が利くので」
カートは諦めたように溜息を吐くと、隣に立つリンと顔を見合わせた後、再び自分を追い詰めた幼き探偵を見上げる。
同時に、グレシアの視線も動く。路地の中、カートとリンを挟む闇の中へ。
「僕たちはな……兄妹だったんだ」
「……? 道理で。似てると思いましたよ」
「ありがとう。……僕らは一緒に長子様に拾われて、一緒にプロメの遺児に入った。そして、偉大なる計画を実行するために……」
「何の……」
カートの脈絡の無い言葉に、グレシアはこの日初めて不思議そうな表情を浮かべた。そして、瞬時にその瞳を虹色に染め上げる。まるで、武器を手に取るように用心深く。
そして二人は手を繋ぐ。グレシアの極彩色が、発せられた仄跡を観測し始める――――。
「……新たな"火"を、与えられたんだッ!!!」
「ディグ!!!」
二人が繋いだ手の中から、黄金の光が溢れ出る。
それは一瞬にして路地を染め上げ、通りを染め上げ、空を照らしていく。そして、二人を挟み込むようにして路地の両側に立っていた、ローラスとディギタスの姿も。
ただ同時に、笛の音が鳴り響く。
「『止まれ』!」
二人の動きが、ディギタスの声が届いた瞬間にピタリと停止する。
同時に、ローラスの影が揺れた。
獣のような低姿勢。その踏み込みと体勢は、不意を打たれディギタスの異能で時が止まったかのように静止している二人の視界に入らない。
「――――はッ」
だが、強い抵抗の意思によって、二人を縛る糸は今解ける。
黄金の輝度が、再度膨張を始める。
「
「
黄金の光と、それにより織りなされた濃密な影。それらが徐々に形を成し、二人の身体に纏わり付いていく。
黄金の光は剣。そして、濃い闇は盾へ。
ローラスが低い姿勢から蹴りを繰り出す。だがそれを、漆黒の盾は受け止め、ローラスの矮躯を弾き飛ばした。
何度か自ら回転することで、ローラスは衝撃を殺す。そして、眼前の二人を再び視界に入れた。
彼は思い出す。ここへ来る前にグレシアが告げた、プロメの遺児の一部が有す能力について。それは極めて異能に近く、固有の能力を有すもの。
「これが……種火か」
光は礼服へ、闇はドレスへ。
次第に形無い物が、形の有る物へと変化する。二人が繋いだ手から溢れた光と、それにより生まれた闇が、二人の新たな鎧を編む。それも、只の鎧じゃない。異能によって齎された、光と闇の鎧だ。
「お見事だ、グレシア・ユーフォルビア。こんなにも早くバレるなんて思わなかったよ」
「光栄です」
「でもな、ここでお前を殺せば、全部帳消しになる。違うか?」
「……まぁ、概ねは」
グレシアは顎に手を当てながら、軽く首を傾げた。
「なら、そうするまでだッ!」
軽い動作でカートが、屋根上に立つグレシアに剣を投げる。
ただ、グレシアはそれを避けようとしない。代わりに、躍り出た赤い髪の麗人が、銃声を二発響かせる。
「チッ……!」
「危ないですよ。あまり前へ出ないで下さい」
「無茶言わないでくれよ。出ないと推理を披露できないだろう?」
ディギタスが再び笛を咥える。しかし、笛の音が鳴り響くと同時に二人は繋いだ手を一瞬離し、耳を塞いだ。
ディギタスの異能『
プロメの遺児は異能犯罪者集団。当然、異能を用いる対人戦に慣れていると言えるだろう。
ディギタスの異能は笛の音を聞かせるという発動条件にさえ気付いてしまえば、対処は容易。
「クソッ、気付かれた!」
「ディグ! 銃貸せ!」
ただグレシアは、二人の鎧が一瞬剥がれた事を見逃さない。ディギタスが投げたリボルバーが宙を舞う。
「その種火は手を繋ぐ条件を満たさないと発動しない。そうだね!?」
返答の代わりに、二人は再び手を強く握る。
解け掛けていた鎧が再び姿を現す。同時に、投げた筈の光の剣が蘇った。
ローラスとディギタスが再び走駆する。ただローラスは、その最中にあった雨樋に手を掛けて止まった。
「グレシア!」
グレシアが銃口を向け、爆音を放つ。
狙ったのはローラスではない。彼が持つ雨樋を壁に設置するための、留め具の幾つか。
小さな音と共に留め具が拉げる。加えられた力によって、徐々に留め具が千切れていく。
グレシアは、アリアと渡り合ったローラスをこう、評価する。
圧倒的、まるで熊のような膂力と、猫のような瞬発力。基本的な身体能力を見れば、彼は文字通りの怪物であると。
「は?」
「嘘だろ?」
「おぉ、凄いね」
レイピアでカートとリンの攻撃を凌いでいたディギタスも、それを援護していたヘデラも、勿論カートとリンの二人も、グレシアも。この場にいる全ての人間の眼が、ローラスに向いた。
誰が考えるだろう。
雨樋を振り上げる。長く、しなったそれはまるで巨人の釣り竿のよう。
それは猛烈な速度で上昇を続け、ゆっくりと速度を落としていく。
完全にピタリと雨樋の先端が止まった時、今度は堕ちた。
「まずっ……――――」
尋常ならざる速度で雨樋が振り下ろされる。
ローラスの攻撃を察知したディギタスがレイピアを壁に突き刺し、それを足場にして跳んだ。
だが、手を繋いでいる状態の二人では、完璧な回避行動を取る事は出来ない。
恐れと驚きを露わにしながら、迫っていく雨樋を瞳に映し、リンが右手に備わった盾を頭上に構える。
轟音と共に、土煙が舞う。
石畳が割れた破片が、壁中に飛び散り灰色に汚した。
ディギタスが離れた場所に着地する。
ローラスが溜息と共に、もう一度雨樋を振り上げる。今度は振り下ろす為ではない、ただ除ける為だ。
徐々に土煙が晴れていく。立っている恋人の姿は、そこには無い。
「少し荒かったが、依頼完了でいいかなヘデラ?」
グレシアは得意気に腰に手を当て、隣に立つヘデラの方に視線を向ける。
土煙が晴れた先、雨樋の先端が最高速で衝突した中心。
手を繋ぎ、抱き合った男女を見ながら、ヘデラは静かに頷く。まるで、堕ちた比翼のようなその様を。
「そうですね。ありがとうございます。依頼料は後程、でいいですね?」
「あぁ勿論。今後ともヴェリタス探偵事務所をご贔屓に。君たちの依頼なら、私はいつでも歓迎さ。何せ、金払いがいいからね」
グレシアは饒舌に語ると、微笑みをローラスに向けた。
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