4・罪と情事は円舞曲の後で

「……何で知ってるって思ったの?」


 リン・ドッグがベッドに腰掛けると、不思議そうにグレシアに訊ねる。


「富裕層程性的嗜好は狂うものです。この近代では同性愛も珍しくは無いですし、複数人での遊びも貴女なら慣れたものでしょう。この店はどうやらかなりの高級店のようです。恐らくは受付も予約制。つまりは、この廊下を歩ける時点で富裕層であることは確定的。なのに何故私を見た瞬間に、様々な選択肢があると言うのに客じゃないと断定したのか。答えは簡単です。自慢ですが、私はよく新聞にも取り沙汰されますからね」

「……凄い自信ね」

「事実ですので」


 リンは取り繕っていた仮面を剥がすように、大きな溜息を一つ吐く。そして、ベッド脇に置いてあった紙巻煙草を咥えると、マッチを擦り煙を天井に吐いた。


「正解よ。知ってたの、新聞でね。凄いんですってね。今ので大体分かったわ」

「光栄です。今日は少し聞き込みをしたくて参りました。構いませんか?」

「断ったら……違反なんだっけ?」

「いいえ。ですが、状況によっては逮捕の実例もありますね」

「分かった。いいわよ。昼間は客来ないし」


 彼女は灰皿に灰を落とすと、渋々と言った様子でグレシアに向き直る。対するグレシアは部屋に合った椅子をリンの前に置き、脚を組みながら座った。

 リンはメリルとは違い、捜査に協力的だという訳ではなさそうだ。

 気持ちは分かる。ある日突然仕事場に、自分よりも年齢も下、身長も下、しかし明らかに自身よりも明晰な頭脳を持っている有名な探偵サマが訪れて、捜査に協力して欲しいという。

 メリルやカートのような人間はともかく、俺ならば快く受けようとは思わない。

 グレシアと同じように椅子を持ち出し、雇い主の少し後ろに座る。


「改めまして、私立探偵のグレシア・ユーフォルビアと申します。こちらは助手のローラス」

「どうも」

「リン・ドッグよ。見ての通り公娼。で、今日は何の用?」


 グレシアはコートのポケットより、二つ折りの紙を彼女に渡す。リンはそれを開くと、素早く目を走らせて溜息を吐いた。


「あの子の紹介?」

「えぇ。ある人物について聞きたいんですが……。折角ですし、二十三日の二十三時以降の行動をお聞かせ願えますか?」


 心底嫌そうな表情の後、グレシアの圧に負けてかゆっくりと口を開く。


「相手をしてたわ。その日最後の客よ」

「お名前は?」

「ジョン・ドゥ」

「へぇ……それは面白いですね」


 グレシアの手が右の髪に伸び掛ける。


「容姿は?」

「フードを被ってたわ。終始ね」

「フードを被ったまま相手を?」

「そうよ。あと、ランプを付けないように言われたから、暗かったの」

「…………成程。相手をした正確な時間は?」


 考える素振りの代わりにリンは左の人差し指と薬指で煙草を摘まみ、マッチで火を付けた。

 既に一本目の煙草は、彼女の肺胞の中の血中成分と灰へに変わっている。


「二十三時……五十三分ね。帰りは二時十五分。ボーイに訊いても同じ事を言うと思うわ」

「ほぉほぉ、実に有益な情報ですね。来て良かったですよ、ミス・リン」

「私は逆ね。貴女と話すのは……何か嫌だわ」


 遂にグレシアの指先が、白髪へと伸びた。

 今の供述の違和感は、流石の俺でも分かる。

 メリルの供述は、二十三時五十分頃にカート・ガルバートが訪れ、一時半丁度に水を零し、二時十五分丁度に退転したと教えてくれた。

 リンの供述は、その時間と全く同じになる。これがもし本当ならば、想像以上に面白い状況になるだろう。

 詰まる所二十三日の夜、オーキュパイとアクト・オブ・ダークネスには、全く同じ時間に訪れ、全く同じ時間に退転した客が存在することになる。

 これが偶然とは、俺には到底思えない。


「これで満足?」


 俺たちの思考の時間に痺れを切らしたらしい、燃え尽きた煙草を灰皿に押し付けながら、リンが迷惑そうに漏らす。


「失礼。カート・ガルバートという名に聞き覚えは?」

「……あるわ。一度店に来てたわね」

「では、ダン・シーカーは?」

「…………無いわ。一切ね」

「成程。失礼ですが、今日この後のご予定は?」


 訝し気なリンの瞳が、ギョロリとグレシアの方へ向く。


「それは事件と関係あるの?」

「いえ。個人的に気になりまして」

「なら言わないわ」

「そうですか」


 終始不機嫌な彼女はベッドを立つと、俺たちに背を向けた。それは、言葉で表すよりも単純な拒絶のサインだ。

 案の定、彼女は箱の中にもう煙草が一本も無いという事を確認すると、溜息と共に拒絶の声を漏らす。


「もう訊くことが無いなら帰ってもらえるかしら」

「そうですね。どうやら私のことがお嫌いなご様子ですし、この辺りで退散すると致しましょう」


 恭しく一礼し、グレシアは部屋を後にする。その最中、彼女の瞳が虹色に染まっていることに気付く。

 作法なんて知らないので、グレシアを真似るように礼をして部屋を出る。出てすぐの廊下で、彼女は昇降機の方へゆっくり歩きながら髪先を弄っている。


「おいグレシア。どうだ?」

「……ん? あぁ、大変有益な事情聴取だったよ」

「ちげぇよ、昇降機やらせろよ」

「だからだめだって! ……操作教えてあげるから、次機会があったらね」


 再び感動と共に一階へ舞い戻り、先程のボーイにも話を訊く。

 こちらは 剣交の戦乙女メイデン・オブ・サルタイアーに怖気付いてかリンのように不満を露わにすることは無く、むしろ聞いていないことまで答えてくれた。

 しかし、内容は概ねリンと同じだ。新しい情報としては、その日最後の客を取っていたのはリンであり、彼女の接客中既に閉店の作業を進める為、ロビーにはいなかったこと。

 ただ、最後にグレシアは奇妙な事を訊く。


「今日、リン・ドッグの退勤はいつかな?」

「そ、それは……捜査に関係ある事でしょうか……?」

「無論さ」

「どういうことだ?」


 娼婦と言えば、娼館に泊まり込みで働くものだろう。


「最近は泊まり込みじゃない娼館もよくあるんだよ。ね?」

「はい、そうですね。増えています。えっと……零時頃ですね。もう一度お会いになる場合は、その時刻に来て頂ければ叶うと思います」

「ありがとうボーイ君。ついでに、今より四日前からのリンさんの指名状況を訊いてもいいかい?」

「……四日間ですか。その間の指名は無いですね」

「ありがとう。純鉄の剣アイロン・ウィルには良く言っておくよ。君の誠意ある対応に感心したからね」

「あ……っ! ありがとうございます!!」


 直角に腰を折り曲げるボーイを背に、俺たちはアクト・オブ・ダークネスを出た。

 色街の通りの喧騒は激しさを増している。女を連れる男のペアも、見かける数が多い。気付けば空は茜色。既に日は落ちかけている。


「純鉄の剣って?」

「偉い人。さて、一回帰るよ」

「何か分かったのか?」

「勿論。ディグからの報告も欲しい。二つ程確認さえ済めば、すぐアリアに新しい仕事を頼むことになるね。最も、最近は斬首による処刑は廃れつつあるが」


 婉曲的な言い回しに、理解に数秒が掛かった。死刑執行人アリア・シャルルの仕事と言えば、たった一つ。


「それって……」

「あぁ、解けたよ。ほぼ全てね」

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