3・罪と情事は円舞曲の後で

 クインテット南東。そこには、他の通りでは見慣れない風景が広がっている

 客引きをする美しい女。逆にそのような女を全て弄ぶ美形の男。街道の真ん中で堂々と唇を交わす男女。

 女を侍らせる恰幅のいい男。昼間だというのに、過剰なまでのアルコール臭を撒き散らす千鳥足の男。不気味なまでに顔が白い枯れ枝のような女。

 一見すると相反した者らだが、本質的には同じ。皆、欲を金で買っている。

 そう、売春宿が立ち並ぶここはボウナーストリート。通称、色街。

 異質な空気に辺りを見渡す。

 ここは浮浪者も寄らない地区だ。理由は単純明快で、他よりも環境が悪い。

 華やかな印象とは裏腹、身ぐるみを剥がれた女も寝床探しの競合相手に加わるし、残飯には精液が紛れ込む。血で真っ赤に濡れた布が積み上がってるなんてことは、ここでは常識だ。

 光が強ければ強い程、影も濃くなっていく。表を繕っているからか、他の路地よりも裏面が凄惨なのだ。クインテッドも広いし、わざわざここに来ようと思わなかった。


「ボウラー二三だから、ここの一つ先の通りだね。歩くよ」


 一切物怖じすることなく、グレシアは手元をメモ帳に記された住所をもとに進んでいく。彼女には、人の目が気になるという感覚が無いのだろう。

 ポケットに手を入れながら追行する。

 周りの人間に恋人だと思われないようにできる限り、静謐な彼女と関わりがなさそうな育ちの悪い浮浪者に見えるように、なるべく離れて歩いて。


「ん? 何をしてるんだい?」

「……なんでもねぇよ」


 小走りで追い付き、気を取り直して進む。

 そうしている内に着いたようだ。店先で立ち止まるグレシアを、客引きの女が奇妙な目で見つめている。

 ここはカート・ガルバートが事件当日に向かった娼館。店名はオーキュパイ。表向きは宿屋を営んでいるが、その正体は買収宿だ。雰囲気が少し古めかしいのは、この娼館が中程度のランクだからだろうか。


「よし」

「ちょちょちょちょっと待ちな!」


 宿内に踏み入ろうとすると、ずっとこちらの様子を伺っていた客引きの女が遂に口を挟んでくる。

 化粧の濃い女だ。巻いた金髪と真っ赤な唇。露出は多く、身体の線が露わになっている。


「え噓でしょ、入るの?」

「勿論。和姦年齢は満たしていますよ? 僅か齢十四の名探偵グレシア・ユーフォルビア。新聞にもそう書いてある筈です」

「そういう問題じゃな……ん? グレシア・ユーフォルビア……あぁ! 探偵の!!」


 またこの反応か。グレシアはこれを見越してわざと年齢を言ったんだろうな。俺は一歩離れた場所から、冷めた目で二人のやり取りを眺める。


「何を勘違いしているかは存じ上げませんが、警察の諮問依頼で捜査協力をしている、私立探偵のグレシア・ユーフォルビアです。こっちは助手のローラス君」


 向いた視線に、軽く会釈する。


「二十三日にカート・ガルバートの相手をしたメリル・エレガンツはいますか? 少し話がしたいと思いまして」

「それなら私よ。私がメリル。よろしく」


 差し伸べられた手をグレシアは躊躇無く握る。


「丁度良かった。話を聞いても?」

「いいわよ。少し待ってて、控室を借りてくるから」


 そう告げ彼女が俺たちを残して店に入る。ただ、戻ってきたのはすぐだった。

 小綺麗だが、香水と劣情の臭いが強い店内を抜けると、今まで見たものがすべて張りぼてだったのだと理解できる。

 下着や香水、煙草の吸殻に剥がれた長い爪。物が散乱した部屋でメリルはそれらを無理やり壁際に追いやって空間を作り、俺たちを案内した。


「お茶は?」

「大丈夫、すぐ済みますので。それにしても、客観的事実に基づいて言いますが、随分片付いていない部屋ですね」

「娼館なんて皆こんなものよ。良い子のふりをするのは顔だけで精一杯だもの」

「私の助手には娼婦を兼任している子がいましてね。その子の店はこんな汚くはなかったので、それが普通かと思っていました」

「ならとびきり上等の公娼ね。それこそ、レイ・チュベローズとか」


 雑談も程々に、グレシアによる聴取が始まる。


「客の名前はカート・ガルバート。そう名乗ったのは間違いないんですね?」

「えぇ。確かにそう名乗ってたわ」

「来た時間と帰った時間は分かりますか?」

「大体二十三時五十分頃ね。帰った時間は二時十五分丁度だったから覚えてるわ」

「何か不自然な点は?」

「無いわね。至って普通の客だったと思う」

「時間を気にしていたりとかは?」

「……それはあったわね。部屋に時計を持ち込むように指示されたし」

「へぇ……。印象に残った行動はありますか? その時間も覚えていると助かるのですが」

「そうね。一時半丁度頃かしら、あの人水が飲みたいって私が持ってきた水を、盛大に零したの。それはもう盛大な転び方で」


 吐息を最後に、グレシアの質問が途絶える。同時に、右手の指先は徐々に自身の髪へと伸びていった。

 今までの情報で、既に何かを思いついたらしい。


「……しかし噂の天才探偵がこんなに幼い子供だったとはね」

「事実は得てして小説よりも奇妙なものですよミス・メリル。私自身も、これは奇妙な縁だったと思っています」

「奇妙な縁ね……。不思議だわ。自分よりも遥かに年下が、こうも大人びていると」

「よく言われます。……そう言えば、カートを他の場所で見かけたことは?」

「この通りの三一にも娼館があるんだけど、そこで一回。他は無いわね」

「それを知った経緯は?」

「私が見たのよ。アクト・オブ・ダークネスって店でね、友達が居るの。そこに入るのを見たわ」

「成程。……そのご友人のお名前は?」


 一度告げた名前を、メリルは反芻するようにもう一度唱えた。

 その後も幾つかの問答を交わすと、訊きたいことは終えたと告げグレシアは席を立つ。一番最初と比べ、メリルの表情は何処か感心したようなものに変わっている。


「また何か聞きたくなったらおいで。暇ならもてなしてあげるわ」

「おやこれは有難い。ですが非常に残念です。こう見えても多忙な身でして」

「あら、それは確かに残念ね。ならこっちから行こうかしら」

「それなら問題無いですね。ヴェリタス探偵事務所は、いつでも歓迎しております。是非ご依頼くださいませ」


 続けて女将にも同じような問いを投げ、同じような答えを貰い、オーキュパイを後にする。

 思案顔の雇い主を邪魔しないように、少し後ろを追行して向かうのはアクト・オブ・ダークネスだ。その間、俺もグレシアに負けぬように先程までの情報を整理した。

 オーキュパイより齎された情報は多くない。

 新しく知れたのは、カート・ガルバートが確かにあの娼館に訪れ、一夜の夢を体験したという事のみ。強いて言うなら、グレシア自ら訊ねたカートの不信な点、時間を気にしていたこと。ぐらいか。

 この情報を、今まで得て来た情報と組み合わせることで新しい真実が――――。


「着いたよ」


 全然分からなかった。

 訪れたアクト・オブ・ダークネスは、見るからに先刻の娼館とは佇まいが違う。

 まず小綺麗だ。壁も屋根もどこかしこも、塗装の剥がれた場所が一切無い。細やかな装飾はどれも高級感と格を感じさせるもので、客層が明らかに富裕層をターゲットとしていることが見るだけで分かる。

 よく見れば、客引きもいない。パッと見て売春宿と分かる要素も無い。色情の街にしては、随分と場違いとも言える。

 必要無いのだろう。とびきりの上客のみを相手にする為、客引きをする必要が無い。知る者のみをターゲット層とする為、売春宿と見て分かるようにする必要も無い。


「こんにちはー」


 ドアを開け、受付に声を投げかけるグレシア。受付のボーイは不思議そうな顔をし、その次は面倒そうにグレシアを見下ろす。


「お嬢さん、ここは子供の来る場所じゃないよ? お母さんは?」

「もう死んでるよ。それより、警察の捜査協力をしてる、私立探偵グレシア・ユーフォルビアだ。先日起きたある殺人事件について捜査していてね、是非捜査への協力を要請したい」


 そう言いながら、彼女は懐から取り出したペンダントを見せつける。剣を交差させる乙女の紋章だ。

 剣交の戦乙女メイデン・オブ・サルタイアー。警察と、その関係者のみが所有を許されるペンダントだそうだ。詰まるところこれを見せれば、いくら子供の風貌のグレシアとて捜査協力の要請を無視することは出来ない。

 上客を相手にするこの店ならば、この紋章の意味が分からないという事も無いだろう。戸惑った様子のボーイは、先程までの態度とは一変。狼狽えながらも、俺たちに十○二号室へ向かうよう告げた。

 事件現場に続け、また長い階段か。と思えば、そうではない。グレシアに追行してみれば、そこには見慣れぬ物がある。まるで、人間専用の鳥籠のような。


「昇降機だよ。見るのは初めて?」

「お、おう……」


 先に乗ったグレシアに続き、恐る恐る乗り込む。一瞬だけ籠が揺れ、そして収まる。

 蛇腹のドアを閉め、籠内に付いていたいくつものボタンをグレシアが操作すると、ゆっくりと鉄の籠が昇っていく。


「おぉぉ! すげぇ!」

「え、そんなに興奮しなくても……」


 軽快な金属音と共に、十階への訪れを人籠は告げた。

 機械音が徐々に低くなり、最後には聞こえなくなる。ガラガラと音を立てて蛇腹扉を開き、俺は訪れた階層へと飛び降りた。


「なぁ、帰りは俺に操作させてくれよ」

「だーめ。誤操作で私が死んだらどうする。一人の時にしてくれたまえ」


 未だ興奮冷めやらぬ状態ながらも豪奢な装飾が為された壁に挟まれ、朱いカーペットの上を歩いていく。とは言え十〇二号室はすぐそこだ。

 灯ったランプは、嬢がそこにいることを示しているのだろうか。グレシアが軽くノックすると、美しい女の声が俺たちを招き入れる。


「あら? 客じゃないのね」

「おや、どうやら私の事をご存じの様子ですね」


 扉を開いた先に広がるのは、広いベッドと一人の女。

 一枚の布を何重かにして纏い、局部を隠したような服の栗色の髪の若い彼女は、俺たち二人を見て不思議そうに首を傾げた。

 その立ち姿、面影は、どこかカート・ガルバートにも似ている。


「初めまして、リン・ドッグさん。、私の名前はグレシア・ユーフォルビア。只の、私立探偵です」


 布を巻いたような薄い服の女、リン・ドッグは眉間に皺を寄せる。まるで、遥か彼方に天敵を見つけた、草食動物のように。

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